小さな冒険日記

青春時代を記録したものです。

バンコク一人旅 2007/6

「微笑みの国、タイ」-これ以上ふさわしい表現はあるまい。世界中でタイ人ほど笑顔の似合う人々だろうと思った。

 

就職活動を終え、学生生活がもうあと少ししかないという状態になると、学生の間に海外に行かなければならないという一種の強迫観念のようなものが出てきた。そこで友人を誘ってみたのだが、だれもいっしょに行ってくれる人が見つからなかった。一人で行くのは不安だから、6月に行くのはやめようかなとも少し思った。しかしやはり何が何でも海外旅行に行きたいという強い意志が勝り、一人旅を決行することにした。HISで自由行動メインのツアーを申し込んでから出発の日まで、毎日「地球の歩き方」を読んで計画を立てたり準備をしたりした。

 

9日。関空から出発。なんせ飛行機への乗り方もまったく知らなかったので戸惑った。まず、旅行会社(HIS)のカウンターに行って、チケットをもらった。その後、航空会社(JAL)のカウンターに行ってチェックイン。その時にマイレージカードを出し忘れた(カードリーダーに通すのも忘れていた)ことに後で気がついて、引き返してその事をJALのスタッフに言ったら、カードリーダーに通しくれた。それから搭乗までだいぶ時間があったので、昼食としてざるそばをすすった。その後、出国審査場であほなミスをした。小型のアーミーナイフをザックの中になぜか入れていて、没収され廃棄処分されることと相成った。自分のあほさ加減と、もったいないという気持ちで、ブルーな気持ちになった。旅の幸先が悪いなと思い厭な感じだった。でもまあこれもいい経験になるでしょうよと思い、泣く泣く自らを納得させるしかなかった。14時、Take Off。チェックイン時に、「羽の上じゃない前の方の窓際の席をお願いします。」って言った甲斐あって、眼下の見晴らしが良かった。5時間ちょっとのフライトを経て、着陸態勢に入ると、区画に沿ってきれいに並んだ家が見えてきた。はるか遠くには、ぼんやりとかすんでいるが林立する高層ビルが見えていた。あれがバンコク市内だろうと分かった。期待と不安のゾクゾクした気持ちを持って、スワンナプーム国際空港に無事着陸。空港に降りたち、入国審査を受けて外に出ると、HISバンコク支店のタイ人が待っていた。彼女は日本語がうまいが、それでも聞き取りにくい時もあった。空港では、1バーツ=約3.5円のレートで2万円分を両替した。(ショッピングセンターや観光地など、至るところに「EXCHANGE」と書かれている両替所があるのでここであまり両替する必要はなかった。)車に乗り込みホテルまで送迎してもらった。僕以外には、仕事でよくバンコクに来ているという夫婦が乗っていた。バンコク市内までは高速を走るのだが、運転手さんがよく飛ばすせいか、道路がガタガタなせいか、よくタテに揺れた。窓の外を見てみると夕焼けがとてもきれいでうっとりした。30分ほどでホテルに到着。わが滞在するホテルは「バンコクセンター」というホテルである。地下鉄フアランポーン駅の真上という最高の立地条件だ。ここは滞在中非常に便利であった。部屋に入って少し休憩した後、何か食べないといけないと思って、道を渡ったところにあるコンビニに出かけた。ホテルを出た途端に、野良犬がいて動き回っているのでビクッとした。狂犬病が発生している地域なので、出発前から不安だったのだ。知らぬ顔をして通り過ぎたら大丈夫だった。それにしても滞在中に野良犬をしょっちゅう見かけた。だいたい昼間は暑さゆえへばって死んだように倒れこんでいるのがほとんどで、こちらが無視していれば何もしてこなかった。道路に信号がないので地下から渡ることにしたが、地下鉄の入り口には警備員が立っていて、荷物の中身をチェックされた。やはりテロ対策なのだろう。コンビニというのは、セブンイレブンだ。このセブンイレブンバンコクに本当にたくさんあって、飲み物を買うのに便利で、いつも助けられた。コンビニに入って、弁当みたいのがなかったので冷凍食品を買うことにした。電子レンジを指差して一言「HOT」と言うと、すぐに理解してくれたようで温めてくれた。ほんの少し歩いただけだったが、緊張していたのかホテルに戻ったときにはホッと安心した。買ったそのエビピラフを食べたが、辛いし見た目よりおいしくなかった。その日、11時頃に横になってすぐに眠れた。

 

 

10日。朝はオプショナルツアー(昼食付き寺院観光1500円)を入れていて、バイキング形式の朝食をとった後にホテルのフロントで待つ。現れたのは、登山者に有名な岩崎元郎にそっくりなガイドさん(プラなんとかさん)。車に乗り込むと他に旅行者が7人いた(うち6人は団体)。まず、ターティアンの船着場から渡船でチャオプラヤー川を渡りワットアルンへ。暁の寺とかいって、なんとも神秘的な建物だった。日本人ツアー客がたくさん見受けられた。それから戻って今度は王宮へ。エメラルド寺院では熱心にお祈りしているタイ人がたくさんいた。王宮では警備員が多かった。王宮を後にすると、ツインタワーズホテルというところで昼食を食べた。トムヤムクンや麺類を食べた。グァバが梨に似ていておいしかった。その後、お決まりらしい宝石店に連れて行かれた後に、ホテルに送ってもらった。それからは、日曜日ということもありウィークエンドマーケットに出かけることにした。地下鉄に乗り、30分くらいでカンペーン・ペッ駅で降りると、すぐそこがマーケットであった。マーケットは多くのタイ人や観光者で賑わっていた。何のあてもなくただ単に適当に歩き回った。商品よりもすれ違うタイ人の顔を見ることの方がおもしろかった。タイの女性には、日本人的な感覚でいうところの美人が全く見当たらなかった。タイではどんな顔をした人がモテるんだろうかと疑問に思ったが、よく分からなかった。マーケットはかなり大規模なもので、2時間くらい細かい路地などもうろついたが、キリがなかった。疲れてきて足が痛くなってきたのでマーケットを後にして、スカイトレイン(モーチット駅)に乗った。ショッピングセンター街として知られるサヤーム駅で下りた。そこからしばらく歩いて、タイシルク王と知られている(らしい)ジム・トンプソンの家に行った。日本語でのガイドツアーで内部を見学できた。その後、とりあえず伊勢丹に行ってみた。伊勢丹にスーパーマーケットが入っていて、フルーツとみやげ物を買った。その際、試食コーナーがあって試食させてもらったため、フカヒレスープとドライフルーツを買った。が、後でレシートを見てみると意外に高かったことが判明して、後悔した。ついつい日系企業のデパートということで安心してしまっていて、値段をろくに見ていなかった。まさか日本企業にボラれるとは思わなかったよ・・・。ホテルに帰ってから、先ほど買った、マンゴスチンを食べようと思ったが、ナイフがない(空港で没収された)ので困った。何とか箸の先で剥いて、中の白い実を食べたところ、おいしいともまずいとも思わなかった。そして2つ目を食べようと剥き始めたところ、ウジ虫みたいなのが、いっぱい出てきて気持ち悪くなって、もう食べるのを止めた。その日も良く眠れた。

 

 

11日、世界遺産、アユタヤへ。国鉄フアランポーン駅に向かう途中、黄色の同じポロシャツを着ている人の集団を見て、何の制服だろうなと思った。そのときふと昨日ガイドさんが言っていた言葉を思い出した。現国王が生まれた日が月曜日で、その月曜日のカラーが黄色なので、黄色の服を着ている人が多いですよ、という話をしていたのだ。駅で切符を買い、列車を来るのを待っているとき腹が痛くなってきて、駅のトイレ(3B)に入った。すっきりして外に出るとみんなじっと立ち止まっているではないか。よく見ると警察が国王の肖像の前に並んでいて、賛歌が流れていた。賛歌が終わるとすぐにみんな歩き始めた。私もホームに入り列車が来るのを待った。列車が来て、乗り込んだのは、エアコンは効いているが、窓が汚すぎて外の景色が見えないのが残念だった。列車が出発してしばらくすると制服をきた車掌さんがやってきて、切符を見せると、言葉は分からないが「席が違うから20Bくれ」と言っているのがなんとなく分かって支払った。どうやら乗り込む列車が違ったらしい(エアコン効いているし)。次がアユタヤかなという時、車掌さんに「ネクスト、アユタヤ?」って訊くと、「イエスネクストアユタヤ。」と言ってくれた。それを聞いていたのだろう、後ろの席に座っていたタイ人が私の肩をポンとたたき、自分の時計を指差して「nine forty」って言ってくれた。9時40分くらいに着くよって教えてくれたのだ。後ろの乗客に礼を告げて、降り立った。駅前で声をかけてくる人物がいたが、最初からレンタサイクルをするつもりだったので、「No,thank you.」とだけ言ってろくに話も聞かずに立ち去った。渡船で川を渡るとすぐにレンタサイクル屋があったので、そこで自転車(40B)を借りた。自転車に乗ると、ブレーキがあまり良くないらしくやや不安だった。まずはマップをもらうべく、アユタヤ観光案内所に向かった。そこにいた所員の若者と楽しく英語で少し会話した。しかしいかに自分が英語ができないかということを思い知った。タイの人の方がよほど自分よりも英語ができるなって思った。その後、もらったマップに書かれてあるワットチャイワタナーラームに自転車で向かった。しかし思ったよりも遠く、しかも横を車がびゅんびゅん通り過ぎていくのが恐ろしかったので、途中で後悔した。なんとか着いたときには汗がダラダラだった。とにかく暑く、じっとしていても汗が吹き出てきた。やはり、遠いだけあって観光客は自分以外は皆無だった。仏像がたくさん見受けられたが、それらはすべて頭部がなかった。昔にミャンマー軍に破壊されたのだろうが、それがかえって歴史を感じさせられ趣深かった。もと来た道を戻って、エレファントキャンプで象に乗った(20分400B)。ゆっさゆっさと大きく揺れて、手すりにつかまっていないと落ちそうなくらいだった。その後、ワットプラシーサンペットという格式ある寺院を訪れた。暑くて意識が朦朧としてきてもうすでに早く帰りたかったが、木の根にはさまれた仏像頭部と寝仏は必見スポットなので、がんばることにした。まず寝仏で有名なワットロカヤスタに向かった。透き通る青空の下、巨大な仏像が涼しげに横たわっていた。その後、ワットマハータートを訪れた。暑くて倒れそうだったので、仏塔の日陰で芝生の上にしばらく横になって休んだ。ここには多くの日本人観光客がいてなんとなくきまりが悪かった。それから、そこにあるはずの木の根に挟まった頭部を探し歩き回るがなかなか見つからない。ツアー客に訊こうかと思ったがなんとなく情けないので止めて、暑い中探し回ってようやく見つけた。実際この目で見てみるとなんてことはなく何も思わなかった。最後にすぐ隣にあるワットラッチャブラナに寄って、アユタヤ遺跡めぐりは終了した。レンタサイクルを返却した後、30分ほど遅れて到着した列車に乗ってアユタヤを後にした。今度はエアコンなしの車両に乗り込んで外の景色が見れると喜んだのも束の間だった。隣に座っていたおばちゃんは田舎から出てきたみたいで大きな荷物を抱えていた。その人は汚い身なりをしていて、髪の毛は輪ゴムで結っていた。おまけに臭くてこっちはたまらなかった。私はこのとき、貧富の差を歴然と感じた。バンコク市内に住んでいる人たちはみんな富裕層の人が多いのだ。実際運賃を考えてみても分かる。田舎を走る国鉄バンコクからアユタヤまで75km、1時間半乗って20B。それに比べてバンコク市内を走る地下鉄やスカイトレインはほんの5分くらい乗って20B。同じ値段なのである。また、バンコウ市内でも貧富の差は感じた。滞在中、歩道のすみで頭を下げて歩行者に物乞いをしている人々をよく見かけた。中でも悲惨なのは、両足がなく倒れこんでいる人、5歳くらいの小さい女の子、顔が歪んでいる人などがいた。日本はなんだかんだ言っても貧富の差の少ない良い国なんだなと思い知らされた。終点フアランポーン駅に着くと、フードコート(食堂みたいなの)に入った。「Chinese Soup」と書いてあるのでおいしそうだなと思い、注文した。その時おばちゃんはなぜか作るのを渋る素振りを見せたので変だなと思っていたが、出てきたものを見てみるとようやくその意味が理解できた。豚の内臓ばかりがスープの上に浮かんでいる。ギョッとして頭の中が真っ白になった。きっとおばちゃんはこれまで私のような日本人をたくさん見てきて、そのほとんどを残すから忠告してくれていたに違いない。席に座って仕方なく食べることにした。昼食を抜いているのでお腹が減っているはずなのにも関わらす、がんばって食べてもなかなか減らない。気持ち悪くて喉が通らないのだ。30分くらいかけてようやく半分くらい飲み込んで、残りを残して席を立った。ホテルに戻ってカップ麺を作って食べなおしたが、まだ気持ちが悪かった。しかし、その日も良く眠れた。

 

 

12日。スカイトレイン1日乗車券を使って、バンコク市内を適当に回ることにした。まずホテルからすぐのところにある、チャイナタウンのワットトライミットという寺院に行った。そこで時価120億とも言われる黄金でできた仏像を見た。その後、ヤオラワート通りを歩こうと思ったが、どうしても目の前にある道路が横断できなかった。バンコク市内にはこういうところがあちこちある。信号がなく、車がひっきりなしに通っていくのでいつまで待っても渡れない。タイ人はそれをうまく渡っていくのだが、外人である我々には恐ろしくて渡れないということが多かった。あきらめてフアランポーン駅に戻り、地下鉄に乗った。スカイトレインに乗り継ぎ、サパーンタークシン駅で降りた。そこからチャオプラヤエクスプレスというボートに乗った。チャオプラヤー川は泥水のように濁っていて汚い。これは様々なボートがひっきりなしに川を渡っていくから、濁ってしまうのだろうか。風が涼しく気持ちいい船の旅もあっという間で、ターティアンに着いてしまった。ここで下りたのは、1日目に行かなかった、寝仏で有名なワットポーに行っていなかったからだ。ワットポーではやはり日本人観光客がたくさん来ていた。でかい金色の仏像は圧巻だった。その後、ワンラン行きのボートがなかなか来なかったので面倒くさくなって、渡船に乗ってしまった。歩いてシリラート病院博物館に行くつもりだったが、意外と遠かったことに渡船に乗ってしまってから気づき後悔した。仕方ないので、トゥクトゥクかタクシーに乗ることにした。合図をすると、1台のメータータクシーが止まってくれ、病院まで連れて行ってくれた。親切な運転手さんで良かった。病院内では、法医学博物館と解剖学博物館に入った。拳銃で撃つ抜かれた骸骨や、ホルマリン漬けになった幼児の遺体などが数多く展示されていて、ずっと見ていると病院の特有の臭いとともに気持ち悪くなりそうだった。また、人はいつかはこのように死んでしまってまったく動かなくなる日がくるのだなと思い、生物のはかなさを感じた。その後、ワンランからチャオプラヤエクスプレスに乗って、再びボートの出発点に戻った。スカイトレインに再び乗って昼食のためサヤーム駅で下車。この駅から直結している大型ショッピングセンターであるパラゴンに入った。このパラゴンはとにかく規模が大きく、できたばかりなのでとてもキレイ。フードコートもあるし、スーパーマーケットもあるし、水族館まである始末・・・。たまにはおいしいものを食べたいと思い、マクドナルドへ入るが、あまり食欲がない。タイに来てから暑さゆえ、水分ばかりを欲しがって、食欲はいっこうに湧かない。パラゴンを出た後は、エラワンプームという祠を見に行った。ここではタイの伝統舞踊をちょっとだけ見ることができた。踊っているタイ女性の衣装や化粧が美しくたいそう魅力的に見えた。その後、シローム駅で下車し、そこで例の黄色のポロシャツが売っていたので買った(100B)。タニヤ通りなど周辺を歩いた後、疲れたので、ルンピニー公園で腰を下ろして休んだ。公園内では、このくそ暑い中ジョギングしている人の姿が目立つ。じっとしていても汗が噴出してくるというのに、あきれて信じられなかった。その後、ワット・ケークというヒンドゥー寺院に行った。その帰りに、始めてバスに乗ってみた。乗り込むと車掌さんがやってきて運賃を徴収してくる。古いバスで加速・減速するたびに倒れそうになるほど揺れた。皆がいっぺんに降りるところで自分も降りたら、スカイトレインの駅前だった。そこから再びパラゴンに戻り、フードコートでおかゆを食べた。食欲がないのでおいしくないが、確か40Bだったから、やはり安い。ホテルに戻って、初日に伊勢丹スーパーで買ったマンゴーを食べようとしたが、硬くてぜんぜんおいしくなかった。(後で聞いた話では黄色のマンゴーは熟していておいしいとのことだった。私がかぶりついたのは緑色のマンゴー。)その日も疲れていたので良く眠れた。やはり一人だから熟睡できたと言うのもあるだろう。

 

 

13日、最終日。バスを駆使してドゥシット地区の観光地を回るつもりだった。朝、前日に断念したチャイナタウンのヤオラワート通りを歩いた。金を売っている、いわゆる金行が軒を連ねていた。そこからバスに乗って、ワットスラッケ前で降りた。人工の丘を登りつめて、仏塔の上からはバンコク市街を見晴らせた。そこで少し休んでいると爺さんがやってきて、英語でたわいない会話をした。爺さんは日本のテレホンカードを持っていて、そこには伊勢志摩の写真がプリントされていた。日本人からもらったのだと言う。自分も何か爺さんにあげたいと思ったのだが、残念ながらふさわしいものを持ち合わせておらず、あげることができなかった。丘を下りてしばらく歩いたところのラーマ7世博物館の交差点で、突然前を歩いていた人物がふりかえって、英語で話しかけてきた。「どこに行きたいんだ?」「(地図を見せて)ここだ。」「それならこう行けばよい。」親切に道を教えてくれた。「英語を話せるのか?」「ほんの少し。」「どこから来たんだ?」「日本だ。」「日本のどこだ?東京か?新宿か?」「いや、大阪だ。」「学生か?」「そうだ。」「(私の地図にペンで書き込んで)そこ以外にはこことここに行くのが良い。」「そうか、そうか。」「トゥクトゥクで10バーツだ。」と言って、近くにいるトゥクトゥク(三輪車)を呼んだ。あれ、この展開は怪しいと感じた私は、「No,by Bus.」と言った。「No, TukTuk!」と向こうは必死だが、「No,by Bus!」と強い口調で言って、「Good Bye ~」とニッコリしながら言ってその場を離れると、全然追ってくることはなく、またダメだったかというようなニヤニヤした顔をしていた。タイ人特有の憎めない笑顔だった。その後、バスに乗って、ドゥシット動物園前で降りた。ドゥシット動物園には、象や、日本では見かけないような動物がたくさんいて楽しめた。タイの中学生がたくさんいて、みな楽しそうにはしゃいでいた。その後、ウィマーンメーク宮殿というところに入った。警備が厳しいばかりで正直おもしろくなかった。宮殿内には、英語のガイドツアーで回った。全然英語が理解できず悲しかった。英語圏でない国で生まれ育つのは不利だなと感じた。宮殿をでると、隣にある旧国会議事堂に入った。内部は非常に凝っていておしゃれだった。その後、大理石寺院として名高いワット・ベンチャマボピットに行った。どうってことはない、つまらない。それからバックパッカーの聖地と言われるカオサン通りを目指した。あまりの暑さの中での長時間の歩行でいらいらしてきた。カオサン通りは外人であふれかえっていた。塀の上に座ってこれからどうやって帰ろうかと地図を見ながら考えていると、声をかけてくる人物がいた。「どこから来たのか?日本か?日本のどこだ?私は先生をしている。」私は心の中で、(尋ねてくることがさっきと一緒だし、明らかに怪しい。第一、お前が何者なんか一切こっちは訊いとらんし。このくそ暑くてイライラしているのに、詐欺師なんか相手してらんねーよ。)って思って、すぐに「No,thank you.」とだけ言って、その場を離れた。その後、バスに乗って帰ろうと決めるが、バスに乗ってもなかなか自分の進みたい方角に進んでくれない。何度も乗りなおしてやっとのことで、サヤーム行きのバスに乗れた。もうすぐサヤームだというところ辺りで、「Mr ! This is Siam.」と乗客の一人が声をかけてくれた。バスの中で現在地確認のため、コンパスなどを見てきょろきょろしているのを見かねて声をかけてくれたのだろう。「Thank you!」とニッコリ笑って返事をした。バスを降りたら、またしてもパラゴンに入って、タイスキレストランのMKでタイでの最後の食事をすることにした。適当に頼んで食べてみると、昼食を抜いていてお腹がすいていたこともあり、たいへんうまかった。お腹がふくれて満足した。ホテルには20時までに帰ればよいので、まだ少し時間があった。パラゴンを出たところの広場に座って、ボオーと通りを見ながら時間をつぶした。今日でこのけたたましい道路の騒音を聞くのが最後かと思うと、少し寂しくなり涙が出そうだった。このように旅行終了の直前に哀愁を感じることは今までもよくあることだった。特に楽しく充実した旅では。HISの人が、ホテルに20時に迎えに来てくれ、空港でお別れをした。それから23時、バンコクを立った。飛行機の中でタイ語のアナウンスを聞いていて、またこのかわいい発音の仕方をするタイ語を聞きにタイを訪れたいなと思ったのだった。

 

 

今回、初めての海外一人旅ということで、行く前は非常に心配していたのだが、バンコクは治安が良くまったく心配がなかった。爆弾テロやクーデターがつい最近起きた国とはどうしても思えないほどだった。スリや詐欺といった犯罪は日本と同じようなもんだろう。また、言葉が通じなくてもジェスチャーや片言の英語で何とかなるもんだなということが分かった。でもそうはいってもやはり、英語ができるに越したことはない。英語の重要性を今回痛いほどよく分かった。英会話ができるようにこれからしっかり勉強しようと思う。ちなみに、今回かかった費用は現地での費用も含め全部でちょうど10万円くらい。海外旅行を初めて行くにはふさわしい国だったのではないかなと思う。それからタイ人には親切な人が多く、よく助けられた。ニコッとしたときの笑顔がみな本当に素敵だった。バンコクは今度いつ行けるだろうか分からないが、その笑顔を見るためにまたいつか必ず訪れたいと思う。今回の経験は自分にとってきっと特別な思い出になるだろう。