小さな冒険日記

青春時代を記録したものです。

スイス 2007/10

 

今回は家族でツアー参加(JTB旅物語)である。スイスのように鉄道網が発達し治安もいい国にツアーで行くなよという批判の声が聞こえてきそうだ。だが今回にも一応自分なりに考えた目的がある。私、母、祖母、祖父の4人で参加したのだが、このメンバーで旅行するのはまず間違いなく、最初で最後だろうと思ったからだ。また、ツアーの雰囲気を感じておくことも勉強になるだろうと思った。(ついでに言えば、旅行代金を快く出してもらえたことも大きい・・・かも。) なぜスイスに決まったかというと、ヨーロッパ好きの母・祖母がこれまで行ったことがなく、秋なので値段が安かったことが大きい。ツアー料金は約20万(他に、燃油サーチャージー等で35000円かかったが。)

17日。空港で添乗員さんと挨拶した後、9時55分発のルフトハンザにて日本から脱出した。スイスフランへの両替は関空で済ませた。機内で横にしゃべり相手がいるとはいえ、やはり約12時間のロングフライトには退屈して疲れた。ドイツのフランクフルトで乗り換えて、約1時間でスイスのジュネーブに到着。入国の際、入国審査官がパスポートにスタンプを押してくれなかった。スタンプはいい記念になるので、結構ショックだった。現地は夕方で、そのままキレイな観光バスでホテル予定地のローザンヌへ向かう。夕暮れ時の、車窓から見る牧場の風景が美しかった。その日は、疲れていたのでそのまますぐ寝る。

 

 

18日。朝、ローザンヌの旧市街を観光した。ここローザンヌは(ジュネーブもそうだが)フランス語圏で、みんなフランス語を話していた。私は仏語を、大学の第二言語として習ったが、もう忘れた。とはいってもさすがに、'Bonjour' 'Merci' 'Au revoir' なんかは覚えていたので、ショッピングの際には使った。午後はバスに乗ってワイナリーに行ってきた。そこで、ワインと一緒に、パンやチーズやサラミやピクルスなどの質素な軽食を食べた。その後、ブドウ畑をほんの少しだけハイキングした。丘の上にブドウ畑があり、眼前にレマン湖という湖が広がっていたので、景色はなかなかイケていた。ブドウ畑を後にした後はモントルーのシヨン城というところに行ったが、どうってことはない建物だと私には感じられた。それから、今日のホテルのあるツェルマットに向かった。ツェルマットというのは山間にある小さな村だ。だが、かなり有名な村だ。なぜならば、そこにマッターホルンがあるから・・・。村からあの特徴的なマッターホルンが良く見えた。ちなみに環境を考慮してか、ツェルマットにガソリン車は入れない。だから、テーシュという駅に観光バスを停めて、ツェルマットまで一駅だけ電車に乗った。夕食はツェルマットにあるレストランでミートフォンデュを食べた。オイルフォンデュともいい、サイコロ状の牛肉を串に刺し、鍋に煮たせたサラダオイルで揚げていろんな種類のソースにつけて食べるもので、代表的スイス料理の一つである。シンプルなだけにどおってことはないが。

 

 

19日。朝一から、登山鉄道に乗り、ゴルナーグラード展望台に向かう。45分間ほどの登山鉄道の車窓からは終始マッターホルンを眺めることができた。雲ひとつない晴天であったので、展望台からの景色は抜群だった。展望台は3000mのところにあるが、なぜか思ったほど寒いとは感じなかった。1時間ほど自由時間があったので、私は一人で縦走路を歩いてみた。往復しなければならないのであまり遠くには行けなかったが、なんとも気持ちが良かった。いつものように急いで歩いたが、高山病の気配すらなかったのは幸いである。下山後は、ツェルマットで昼食としてラクレットを食べた。これはラクレットというチーズをポテトに絡めて食べるもので、おいしいと思った。その後はバスにてグリンデルワルトへ向かった。グリンデルワルトはアイガーを目の前に臨める村として有名である。日本人観光客もやはり多いらしく、日本語観光案内所というものもあった。夕食はこの日は付いていなかったので、ホテルでお湯を沸かして日本から持参のカップ麺を食った。

 

 

20日。終日自由行動の1日である。もちろん標高3573mのユングフラウヨッホ展望台に家族四人で行く予定であった。だが、前日にツアーで一緒のおばちゃん達四人にいっしょに連れて行ってほしいと頼まれ、断ることもできなかったので、一緒に行動することになった。前日の夜に、風呂に浸かりながら私は真剣に予定を組んだのだった。9時の登山列車に乗り、1時間半ほどで展望台に到着。チケットは往復158スイスフラン(日本円で約16000円)とチト高い。朝、ガスが出ていてどうなることかと心配していたが、頂上に着くころにはちょうど晴れ渡り、運が良いなと思った。上で2時間滞在する予定を組んでおり、私は一人だけで行動することにした。早速、ガイドブックに載っている、メンヒスヨッホヒュッテまで雪上を歩くハイキングをしようと出発地点まで行ったが、なんと簡素だがロープが張ってあった。行けないことはなさそうだったが、誰もそのロープを乗り越えてハイキングしている人がいなかったので、悔しいながら断念した。なぜこの晴天の中、ロープが張ってあるのか理解できなかった。仕方ないので「スフィンクステラス」という展望台や「氷の宮殿」という氷像のギャラリーなどを見て回った。全部見回ってまだ小1時間ほど集合時間まで時間があったので、もう一度ハイキングの出発地点に行ってみた。するとたくさんの人が柵を乗り越えて、ハイキングしているのが目に見えた。たとえ誰かに怒られようとも、少々危険な目に遭おうとも、行かなきゃ絶対後悔すると思ったので、今度は躊躇することなく柵を乗り越えた。往復2時間のコースタイムなので行けるとこまで行って帰ってこようと思った。最初風がなく寒くなかったが、登っていくにつれて風が強烈に吹きぬけるところもあり、帽子をしていても耳が痛かった。展望台に備えつけてあった温度計では-16℃とあったし寒いはずだ。そういうわけで途中で引き返したわけだが、その時これからメンヒに登山しようとしている大勢のグループを見かけた。ザイルでみなが結ばれていて、ガイドツアーだろうか?メンヒは確かに見ていて登れそうだなとは思った。いつか登ってみたいなと思った。その後、みんなと合流して登山電車で途中(クライネシャイディック)まで下山して、そこで昼食をとった。それから1時間半ほどのハイキングを楽しんだ。真横にずっとアイガーを臨みながら歩けるなかなか通なハイキングだった。予定の電車に乗ってグリンデルワルトまで下山したとき、他のおばちゃん達が喜んでくれていて私に何度も感謝していたので、まあ一緒に連れて行ってあげてよかったかな思った。晩飯はレストランに入った。結構賑わっているだけあって、おいしかった。ちなみに横で一人で食べている在住しているらしい日本人がいた。モンベルのフリースを着ていたし、その風貌からすぐ近くにあったモンベルの店員さんだなと思った。海外で一人過ごしているその姿をみてかっこいいな、自分もやはり海外で働きたいなって強く思ったのだった。

 

 

21日、朝から観光バスでユングフラウ3山(ユングフラウ、メンヒ、アイガー)に別れを告げ、ルッツェルンへ。バスの中でおばあさんがゲロ吐いて臭かった。午前中、旧市街の市内観光した。昼食は市内のレストランで取った。午後は、ピラトス山へ。行きは、ルッツェルンを走る湖船と世界最勾配で有名な登山鉄道でアクセス。帰りは、ロープウェイで降りてきた。残念ながら、頂上のピラトス展望台はガスで何も見えなかった。だが自由時間1時間の間に、ガスの中私は一人トムリスホルンへの往復ハイキングをできてまあ満足できた。その晩は、ホテルのレストランで食べた。

 

 

22日、今日は終日自由行動の日だ。リギ展望台へ行ってハイキングするか、鉄道でスイス最大の都市であるチューリッヒに行くか、かなり迷ったのだが、結局家族と共にルッツェルンの町の中でブラブラすることにした。ハイキングは充分堪能したしお金もかかりそうだし、チューリッヒも特に見所もなさそうだからである。ルッツェルンの観光名所である、カペル橋・ライオン記念碑は昨日の市内観光で行ったので、今日は残りの観光名所であるムーゼック城壁と3つの教会巡りをした。昼食は、レストランに入った。だいぶんレストランに慣れてきたので、これからは一人でも入れそうだ。午後はひたすらショッピングに明け暮れた。スイスにはコープとミグロという2つのチェーン店スーパーがあり、安いのでいつもそこでミネラルウォーターを買っていた。お土産用のチョコレートも家族はよく買っていた。そこで買って帰ったちょっと変わったものとしては、コーンフレークとトイレのモップだ。日本に売っているコーンフレークは量が少ないわりには値段が高いからだ。また、トイレのモップはカナダのルーシーの家にもあった優れもので、掃除が極めてラクなのだ。それから観光客で賑わうお土産商店街みたいなところで、ハイキング用の水筒(モンベルにも売ってるSIGG)やコップ、ぬいぐるみや置物などを買った。もちろんビクトリーノックスのアーミーナイフもね。スイスの物価はだいぶ日本以上と聞いて恐れていたが、それほど高いという印象は受けなかった。おそらくイギリスは言うまでもなく、フランスやイタリアの方が高いだろうと思った。夕食はイタリアのレストランに入った。「チェックプリーズ」を担当以外の人に言ってしまって、怪訝な顔をされた。席ごとに担当が決まっているのを忘れていた。勉強になった。

 

 

23日、朝早くからホテルを出て、チューリッヒの空港に向かう。出国審査も素通りで、審査官に頼んでもスタンプ押してくれなかった・・・。10時20分、スイスとさようなら。フランクフルトでまた乗り継ぎして、11時間のフライト。ロングフライトはやっぱりしんどい。ゲロも吐きそうになった。ところで帰りの隣の席に、ドイツ人のお父さんと日本人のお母さんと赤ちゃんの家族3人が乗っていた。お父さんとお母さんは、時に日本語、時にドイツ語で会話していておかしかった。赤ちゃんは7ヶ月だそうで、かわいかった。自分も外国人と結婚したいなという夢が強くなったのであった。

 

 

(まとめ)

行く前、ツアーなんてつまらないだろうなと思って、止めときゃ良かったかなと思ったりもしたが、想像以上には楽しめたと思う。なにより精神的にラクだった。ツアーは14人(ほとんどが40~70歳のオバちゃん)と少人数だったのが、気楽でラッキーだったかなと思う。添乗員さんは若いがしっかりしていて感心した。私ならしんどくて絶対できないなと思った。この時期のスイスは想像以上に寒かった。街中でも、大阪の真冬より寒いくらいだと感じた。