小さな冒険日記

青春時代を記録したものです。

インド周遊 2009/8

 

年1回の長期休暇を利用してインド一人旅に行くことにした。やっぱりインドは人口世界2位の大国だから、一度は行かねばならないと学生時代から思っていたのだった。航空券は、デリー往復航空券とベナレス~デリー片道航空券のセットで、トータル92000円。インド国内移動手段としてて、鉄道Eチケットをウエブサイトで購入。ホテルは全て日本からメールベースで予約した。

 

1日目。

12時のフライトで成田を発つ。機内では、仕事の疲れが残っていた為か、よく眠れた。約8時間かけてデリーへ。時差が3時間半(中途半端!)もあるので、まだ夕方である。空港ではトーマスクック200ドル両替したが、なんと手数料で20ドルも取られた。信じられないボッタクリである。さて、悪名高いデリー空港であるから、身構えるが特に話しかけてくる輩もおらず一安心。インドも発展とともに治安がよくなったのかな~とのんきにも思い込んでしまった。実は空港でインド人の友人(サンジャイ)と待ち合わせをしていた。彼は去年日本で働いていて、富士山も一緒に登ったこともある良きハイキング仲間であった。ただ、昨今の世界恐慌の煽りを受けてインドに帰ってしまったのだった。その彼とインドにて感動の再開である。さて、空港で彼の姿を探すも見当たらない。そこで、事前に聞いていた電話番号をかけてみるが、つながらない。せっかく海外専用の携帯電話を購入したのにどういうことだ???仕方ないから、公衆電話でかけることにする。電話会社らしき人物が声をかけてきて、代わりにかけてくれる。そしてすぐにサンジャイにつながったようで、外に出たところに車を止めているらしいと教えてくれた。お金を払う段階になって、電話会社の男は「いい時計をしているな。くれ。」と言ってきて、ばかかお前は、と思い一蹴する。細かい金がなかったので、近くの店で水を購入して支払った。外に出るとサンジャイの車が止まっていて、久しぶりの再会を果たす。サンジャイの車というと、ぱっと見ただけですさまじいと分かった。車体が汚れているのは当然として、ドアは鉄板部分と内部のプラスチック部分が剥離しかけている。さらにサイドミラーは両方とも内側に折れて、今にも千切れそうにぶらぶらしている(これは後で理由が判明する)。こんな車を日本で乗っていたら、どんなに貧乏人なのかと思ってしまうが、インドでは車を持っているだけで相当お金持ちなのである。さて、私を乗せたサンジャイの車は市街中心部に向けて快走する。まだ時間が早かったこともあり、デリーを車で案内してもらった。私は機内で爆睡した甲斐あり、さほど眠くない。まずデリー門を観光。想像よりもインドはきれいだななんて思っていた。「ここはニューデリーだからだよ。オールドデリーに行けば、本当のインドを知ることができるよ。後で、オールドデリーのバザールを見せてあげるよ。」なんてサンジャイは言っていた。その後、日本からメールで予約したホテルへ連れて行ってくれる。そのホテルまで行くのに、サンジャイはやたらに狭い路地を走ろうとする。そのホテルはメインバザールという大きな通りだぜ。絶対間違っているわって思っていると、ホテルはたぶんこのすぐ近くだから、歩いて探してみなと言う。そんなアホなと思っていたが、確かにそのホテルは細い路地に存在していた。さっきまで車で走っていた。狭い凸凹の道がメインバザールなのかと分かると愕然とした。その後、ホテルにチェックインした後は、引き続き車でレストランに連れて行ってもらう。人とリクシャーと牛でごった返す狭い道をサンジャイCARはひたすらノロノロと進む。1時間以上も乗っているので、他にもうちょっとマシな車道があるはずだが、と思っていたが、サンジャイはバザールを僕に見せるために、わざわざ車で通過してくれたのだと後で分かった。こんな道を車で通っていたら、そりゃサイドミラー折れるわな、とそこでサンジャイCARの謎が解けたのだった。実際街中で見かけた車はすべて、「耳」が折れていた。やっとのことでレストランに到着し、そこでインドカリーを食べた。まあまあ名の知れたレストランらしいが、見た目は汚い食堂だ。とにかく食べた後は、今度はまともな車道を通ってホテルまで送ってくれた。明日朝また会う約束をして、その日は別れた。さて私が泊まったホテルは、ボロボロでこれをホテルと呼んでも良いものかと思わされる代物である。ただ冷房はしっかり効くのでまだましである。着いたのが夜10時くらいだったので、急いでシャワーを浴びて寝た。

 

 

2日目

朝、メトロに乗って、サンジャイちの最寄りの駅まで行く。切符を購入する時に大きな金額の紙幣を出して、50ルピーちょろまかされた。メトロの職員ならまともだろうと思っていたのが、甘かった。インドでは、警察であろうが、善人であろうが、信用ならない。話は戻って、約束の時間よりもずいぶん早く到着してしまったので、30分ほどボーっと待っていた。とうとうサンジャイがバイクとともにやってきた。そう、今日はバイクでデリー郊外を案内してもらう約束だったのだ。ヘルメットを付けてサンジャイの後ろに座っていざ出発。しばらくして自動車専用道路を走っている時はスピードも速くさすがに怖かった。このバイクが転んだり、バイクから滑り落ちたら、重傷を負うだろうと容易に想像できた。実際、サンジャイはその翌週、大きなバイク事故を起こして、3週間入院の憂き目をあったそうだ。バイクではまず、南インドの人たちのためのヒンドウ寺院というところに連れて行ってもらった。ガイドブックには載っていなかったが、悪くなかった。それからマクドナルド(インドではビーフハンバーガーしかない)で昼食を食べて、世界遺産クタブミナールへ向かった。近くにサンジャイお気に入りのハイキング道があって、そこを通って20分くらいでクタブミナールにたどり着けるが、歩いてみるか?と聞いてきた。OKしたものの、実際歩いてみると暑くてたまらない。この時期のデリーは真夏ではないにしても、日本人からすればかなり暑い。真夏は連日40度はゆうに超えるらしい・・・。まあやっとも思いクタブミナールに着いた。料金は外国人は250ルピーで、現地人はたった10ルピーだ。インドの観光地はすべて外国人料金が設定されていて、この金額がバカ高い。正直ぼったくりだなと思える金額である。政府までそんな状態だから、一般市民も外国人からお金を巻き上げることをちっとも悪いと思っていないのであろう。また、愚痴ってしまった。さて、クタブミナールといっても高い塔がドンと立っているだけであり、猛暑の中だだっぴろい敷地内を歩くのは一苦労だった。その後、ロータステンプルへ向かったが、なんと休館。ついていないが仕方ない。そこで代わりにサンジャイは豪華なヒンドウテンプルに連れて行ってくれた。ガイドブックに載っていなかったが、新しくきれいで見ごたえはあった。無料なのは良いが、入場するのにカメラと手荷物を預けなければいけなく、時間がかなりかかったのは嫌になった。そして日が暮れてきたので、最後にサンジョイの家でご馳走になった。サンジャイ母の作るカレーは絶品であった。別れ際におみやげまでもらった。ガネーシャの置物である。ガネーシャというのは、象の頭をもったヒンドウー教の神様である。おかしな風貌をした特徴的な神様で、私が覚えることができた唯一のヒンドウー神様である。メトロの駅まで送ってもらい、そこでさようならをした。サンジャイは本当にやさしい男だな。そういうオーラがでている人物であると彼の後ろ姿を見て思ったのだった。

 

 

3日目。

一人さびしくデリー観光の1日である。ホテルを出て、まず地下鉄に乗るため、ニューデリー駅の方へ向かう。しかし、国鉄ニューデリー駅の構内を通過しないと、地下鉄ニューデリー駅に行けないらしい。通過しようとすると、駅員らしき人物が、チケットがないと入場できないという。「まず地下鉄1日券を買うといい、コンノートプレイスにあるツーリストオフィスで買える。」と言って、近くにいるタクシーを呼んで、「友人だから、50ルピーで連れて行ってやってくれ」と言って、値切ってくれた。今思えば確かに怪しい展開であるが、彼は駅員であるようだし、全く怪しい人物のような雰囲気はなかったから、つい信じてしまった。タクシーは乗ってほんの数分で目的地に到着。連れてこられたのは、旅行会社。このとき、やっと騙されたのだなと悟った。地球の歩き方に、しつこいくらい「旅行会社に注意!」とあったからだ。旅行会社の人物は、やはり日本語が上手であり、「どこを旅行するつもりか?」「ホテルは決まっているか?」といろいろ聞いてきた。間違いなく悪徳旅行会社であると確信してから、「すべて予約済だ」と言って退出した。その後、すぐ近くのコンノートプレイスでぶらぶらしていると、来るわ来るわ詐欺師たち。「どこへ行くつもりか」「私は英語を勉強している学生だ」「近くのツーリストで無料のマップがもらえるよ」などと皆同じようなことを行ってくる。平日だというのに、こいつらはぶらぶらして外国人を騙すことばかりしてふざけた奴らだと、日本で毎日激務をこなしている私は憤慨した。こんな楽して儲けようとする奴らに一銭もやってはいけない。その後、地下鉄に乗って、ジャマーマスジットへ向かった。たどり着くまでにバザールを通過したが、恐ろしく道路が汚い。また、ボケーっと道端に座りこんでいる人たちが異様に多い。「何をしているんだろう?とりあえず働けよ。いや、人口が多すぎて職がないんだろうか?」などと思った。さて、ジャマーマスジットであるが、残念ながらここでインドが嫌いになる。まず入り口で靴を脱げと言われる。同時にカメラ持込料として200ルピーも取られる。インド人でカメラを持っているような人はいないので、これは明らかに外国人から金をせしめる為だ。また入り口で頼んでいないのに、ガイドみたいなのがついて来て、しきりに身振り手振りで説明しながら(英語は全く話せないらしい)、カメラを取っていってくれる。一回りすると、お金を請求してくる。200ルピーと言ってくるが、相手にせず30ルピーでお引取り願う。絶対にこいつらに大金を渡してはいけない。ますます外国人をカモにして、楽して儲けようとする輩が増えるからだ。真面目に働いている人がバカを見るような世間にしてはいけない。我々外国人は、インドでの物価が約10分の1であるという事実を決して忘れてはいけない。さて話は戻って、その後、ミナレット(塔)に登ることにする。入場料は100ルピー払う。そして塔の階段に登るところに人が待ち構えていて、「靴は塔に持ち込むことができないから、ここに置いていけ。20ルピーだ。」ふざけるな、さっき入場料支払ったではないか?無視して通りすぎようとするも、しつこく言ってくるので結局支払う。ミナレットのてっぺんは風が心地良い。レッドフォートの広大な敷地が見える。入りたいな・・・。しかし、本日は入れない。昨日サンジャイの家でくつろいでいる時に、ガイドブックに月曜日休とあったのに気づいた。つまらないヒンドウ寺院に行く代わりに、今日レッドフォートに行けばよかったと思ったのだった。休みを事前に確認しておかなかったことをかなり後悔した。さて、一人オールドデリーの町並みを眺めていたのだが、下からさっきの20ルピー野郎が欧米人夫妻を連れてきてガイドしだした。私は降りた。モスクを出る前に、インド人の真似をして、池で足や顔を洗ってみたら気持ち良かった。さて、出ようかと思って出口に向かっている途中、「はっ、しまった、靴を履いてしまっている。」と気づいて、すぐに靴を脱いだ。だが、奴らは見逃していなかった。「罰金を払え。200ルピーだ。」私は「ごめん、忘れていたんだ」と、両手を合わせて申し訳そうにしたが、奴らは容赦なかった。無視して通りすぎようとすると、「ポリスに連絡する」と言った。逃げ切れるかもしれなかったが、インドはなんせ信じられない国だから、怖くなって結局支払った。非常に気分の悪い思いをした。インドの通貨ルピーにはガンディが載っている。ガンディは身分の低い貧しい人たちを救うために一生懸命訴えた人物である。そして今、その貧しい人たちがガンディの描かれた紙幣を手に入れるために、さまざまな汚い手を使ったり、人に嫌な思いをさせたりしている。皮肉なことである。それともガンデイは、金持ちからお金を巻き上げることだけは許容するのであろうか?さてその後、近くのヒンドウ寺院やシーク寺院を巡ったが、さっきの経験から気持ちがふさいでいて楽しめなかった。ただ、熱心に祈る人々を見て馬鹿げていると、資本主義の先進国から来た私はそう感じた。祈っている暇があったら、働けばよいのに・・・。それから再び地下鉄に乗ってコンノートに戻り、マクドナルドで昼食を食べた。ここだけは清潔で唯一安心できる場所であった。その後、各州物産店を見て回った。ちょっとした美術館巡りしているようで良かった。店員さんたちに色々質問してコミュニケーションしたのも楽しかった。次に、ジャンタル・マントルという昔の天文台へ。ここは公園みたいなところで、カップルが何組も幸せそうに寄り添っていた。ただでさえ暑いというのに・・・。その後、今度はコンノートプレイスの地下にあるバザールを見て回った。狭い路地に色んな店がひしめきあっている。結構な面積であり、迷路みたいになっていた。コンノートプレイスはデリーでもっとも栄えている場所であるが、それでもショッピングモールなどは全くなく、この地下街でデリー人はショッピングをするのであろう。外に出て時計を見るとまだ3時である。でもやることもないし、身体も心もくたびれたのでホテルに帰ることにした。ホテルで涼んでから、夕方の散歩をすることにした。路地歩きは刺激的だった。1時間くらい歩いていて、日が暮れてきた頃、調子に乗って、人通りの少ない細い路地に入ろうとした瞬間、向こうからやってきた中学生くらいの何人かの不良少年にからまれて、「ここは安全な場所ではないぞ。」と言われて怖くなって、すぐに人通りのある道に引き返した。しかし、彼らはまだ私の後ろからついて来て、何人かでからかってくる。ポケットの辺りをしきりに触ろうとしてくるので、ポケットに手を突っ込んで、財布を盗まれないように防御した。やっと奴らもどっかに行った。怖い体験であった。その後私はメインバザールに戻って、レストランで夕食を食べた。その時、何を思ったか、生野菜に手を付けてしまった。これが大失敗であった。その晩3時くらい、寝ている途中で腹痛に見舞われてトイレに直行。激しい下痢で、水のような排便・・・。さらにその2時間後、再びひどい下痢で長時間トイレに篭ることになる。

 

 

4日目。

アグラ行きの6時過ぎ発の列車に乗らねばならないので、辺りが真っ暗な中ホテルを出発。ニューデリー駅はすぐだが、メインバザールの凸凹の道をスーツケースを運ぶのは大変であった。地球の歩き方バックパックが断然良いと書いてあったが、私は鍵のかかるスーツケースを選んだのだった。インドでは都会であっても、舗装路がほとんど無いなんてつゆにも想像していなかったから。ニューデリー駅構内では、列車が来るのを待っている間、隣に座った人と話をして時間を潰した。インド人はよくきさくに声をかけてくる民族だな。さて、電車に乗ってほぼ定刻通り出発。飛行機の機内さながらのサービスで、朝食がおいしかった。車窓の風景はインドをよく知るうえで良かった。線路のそばで、パンツ1丁の姿で座り込んでいる人たちをしょっちゅう見かけた。そう、おそらく大便中なのだ。それから線路内に立ち入っている人も多く、高速で疾走する電車のすぐそばを普通に歩いている。非常に危なく、日本では考えられない。おそらく列車に轢かれるという事故は頻繁に発生していることだろうと容易に想像できた。しかし、その場合でも、列車は日本のように停車して清掃などせずに、おかまいなしに通過するのではないかと想像できるのが恐ろしかった。2時間ほどでアグラ・カント駅に到着。駅の観光案内所でタージマハルまでの行き方を聞いて、教えてもらった通りプリペイドリクシャーに乗ってホテルへ。カマルというホテルで、地球の歩き方に載っている中から選んでメールで予約していた。到着して荷物を降ろした後は、早速タージマハルへ。バカ高い入場料を払って、厳重に荷物検査を受けたのち、入場。おお~、よく旅行パンフレットに載っている建物が、目の前にそびえているではないか。広い庭園を通り抜けて、靴を脱いで階段を登って、タージマハル内へ。内部にはお墓があり、涼しく心地よかった。その後、タージマハルの後ろ側へ。実はタージマハルの背後には、ヤムナ川という大河が流れている。この大河を200kmほど遡れば、デリーに行けるのだ。この川を横切る牛たちや、泳いでいる子供たちを眺めているとのどかな気分になれる。ただ、暑いのがやっかいで、長時間そこにいようとは思えなかった。タージマハルはさすが非常に美しい建物で、思わず私は写真を取りまくったのだった。その後、サイクルリクシャでアグラ城へ向かう。登り坂を大変そうに漕いでいたので、少し多めに支払ってやった。アグラ城からはタージマハルを眺めることができた。あまりの暑さに何度か座り込んだ。本当に学生の時と違って、体力が落ちたナ・・・。その後、近くにあるバザールを通り抜けてジャマーマスジットへ。そうここアグラにもあるのだ。恐る恐る靴を脱いで、入場。すると、遠くから私に向かって大声で怒鳴る人物がいる。私はやばいやばいと思って、何が悪いのかよく分からないまま(靴下履いたままだから?手に持っていたビニール袋の中身が靴だから?)、とにかくそそくさと退散した。しかし、インドには、いきなり人を怒鳴りつけてくるような洗練さ・上品さがないような人が多すぎる・・・・。それにしても、わたしはイスラム教に嫌われているのか、ジャマーマスジットには縁がないらしい。もう何もやる気が失せてしまって、まだ時間は3時頃と早かったが、リクシャーに乗ってホテルに帰った。このホテルで結構高い部屋(約2000円)に泊まったのだが、最悪であった。A/C(エアコン)はなく、エアークーラー(水蒸気を飛ばして室内を冷やす機械らしい)というものだけだ。屋根の真下の部屋であるため、天井から太陽熱が伝わってきて、まるで蒸し風呂状態である。エアークーラーで余計に湿度を上げて、逆効果なのではないかと思われた。こんな暑い部屋ではとてもじっとしていられないので、近くの森林散策路へ行った。そこからタージマハルが見えることもあり、カップル達ばかりであった。そこには言い寄ってくる奴らはいないので、ほっとした気分で過ごせた。戻って、ホテルの屋上で夕食を食べた。一人で来ていたドイツ人と話をして楽しんでいたが、途中で彼の知り合いのアメリカ女2人が来てからは、彼らの英語についていけず、会話に取り残されて居心地が悪くなったので、急いで食べて部屋に戻った。部屋は依然として灼熱地獄のようで、とても眠れるような暑さではない。おまけに時々停電が発生して、シーリングファン(天井で回るプロペラみたいなの)が止まるからたまらない。クーラーが当たり前の日本でぬくぬく育ってきた私は、生まれて初めて本当の熱帯夜を経験したのかもしれなかった。シャワーで水をパジャマに染み込ませて、気化熱を利用して身体を冷やそうとしたりして、涙ぐましい努力をして何とか眠ったのだった。眠れるまでの間、こんなにホテルでボーっとしているくらいなら、ジャイプールに行く時間が十分あったのではないか、とずっと後悔していた。それから、もう日本に早く帰りたいなと思ったが、まだまだ旅は長いので嫌な気持ちになったのだった。

 

 

5日目。

世界遺産、ファーティプル・シークリーへ行くべく、朝からサイクルリクシャに乗ってバススタンドへ。ちょうど通学時間と重なっているようで、自転車を漕いでいる小中学生たちをよく見かけた。サイクルリクシャのオヤジは他のリクシャーマンと同様、よく日に焼けた顔をしていた。がりがりなのに、よくこんな重そうな自転車をすいすいと漕げるものだと感心した。向こうには物売りが多いので、注意しなよとアドバイスしてくれたり、悪くない人であったので、少し多めに支払ってあげた。バススタンドには、たくさんのバスが駐車されており、どれに乗ればよいのかわからなかったので、オフィスで訊いた。バスはファーティプルシークリーまで1時間以上かけて走る。途中、小さな町を通り過ぎたりしたが、店先でボーとしてしている人が多くみかけた。彼らは何もすることがないからか、いつも道路の行きかう人を鋭い目で観察していた(目つきが悪い・・・)。だから、こっちと目が合うと、通り過ぎるまでずっと見つめてきて、恥ずかしくなるくらいだった。バスを終点で降りて、汚いバザールを通り過ぎたところにファーティプルシークリーがそびえていた。中に入ろうとすると、また来た、ガイドを名乗る人たち。最初は断るつもりだったが、モスク内は案内してもらったほうがいいなと判断(これまでのいきさつから)。50ルピーでいいかと確認してから一緒に回る。彼の英語は他のインド人と違って、英語は非常に聞き取りやすかった。外国人旅行者のガイド歴が長いのであろう。途中、やはりお供え物の販売勧誘があった。まずは生地の購入を勧誘してきて断ったら、今度は花だけでもどうかと言ってきたが、これも断った。その次には、モスク内でおみやげとしての象の置物を売っている親父のところへ寄り、買わないかと言って来た。ガイドは売り上げの一部をマージンとしてもらうのだろうか。なかなか精巧にできた象の置物であったが、別にあっても仕方ないものなので買うつもりはなかった。売っているオヤジが置物の製作者のようである。最初「800ルピー」とか言ってきたが、私は本当に要らないので「要らない」と言った。「いくらなら買うのか?」と言ってきたので、「いくらでも要らない」と答えた。それでもしつこく、「いくらなら買ってくれるのか」と言って追ってきてしまいには悲しそうな顔をしているので、仕方なく適当に「150ルピー」と言った。オヤジは「まあ安くでも売れないよりましか」という顔で了承した。私もなんとなくかわいそうになって、仕方なしに買ってあげたのだった。さて、その後ガイドにも50ルピーを支払った後、宮殿へ向かう。その途中にもペンダントの売人がひつこく付いて来た。彼らの執念はすさまじくずっと付いてくる。よほどお金に困っているのだろうか・・・と思わされた。宮殿の方に着いても、再びガイドが寄ってきて勝手に案内しようとする。何人か振り切って、ようやく一人で見て回ることができた。宮殿は保存状態が良く、美しいと思った。時間は十分あったので、ゆっくり見て回った。途中でまた勝手にガイドをしてくる親父がきたが、今度はもう追い払わず耳を傾けた。ちょっとこの宮殿についての説明を聞いてみたいなと思い始めたからだ。写真を何枚か撮ってもらった。最後に、お金を払った。これは少なすぎると言って不満を口にしていたが、「私はあなたにガイドしてくれと頼んでいない」と言って、納得させた。まあ、彼は服装から判断して裕福そうなので、余分にお金をやる必要もなかろうと思ったからである。その後、バススタンドに戻り、アグラ行きのバスに乗った。アグラに到着したのはまだ14時くらいで暇だったので、リクシャに乗って対岸からタージマハルでも見るかと思った。リクシャは最初片道100ルピーで合意していたが、途中で、他の名所にも行って、最後にホテルまで連れて帰るから、200ルピー(ウェイティング・フィーはなし)でどうだと言ってきた。まあいちいち都度リクシャと交渉する必要がないので、悪くないなと思ってそれでOKした。マタブ・バーグというタージマハルの対岸地に着くと、また付いてくるガキがいる。「オレはお金を払わないぞ」と何度も言ったが、「後でお土産屋に寄ってくれればそれでいい」と言う。ちょうど雨が降っていたので、ガキの傘に入れてもらうのもいいかと思って、追い払わなかった。ガキは一緒に歩いて写真を何枚か撮ってくれた。最後にやっぱりチップを要求してきて、「500ルピーくれ」と言ってきた。このクソガキはなめとんのかと思ったが、30ルピーだけやった。すると明らかに不満そうに文句を言っている。しかし、こんな小学生のガキには30ルピーで十分だと判断し、聞き入れなかった。するとやっとあきらめて去っていった。まあ日本人の金銭感覚からすると、あと10~20ルピーくらいやってもいいかとは思うが、後の観光客のためにも、奴らをつけあがらせてはいけないのだ。外国人相手に商売すると楽して儲けられるという概念をインドに植えつけてはいけない。お金を稼ぐことは大変なことであり、不公平な世の中にしてはいけないと思うのだ。さて、話は戻って、次にイティマド・ウッダウラー廟というところに行った。ここからはヤムナー河の見晴らしがよく、赤く染まった空とともに、いい眺めであった。座って眺めているとインド人2人が隣に座って話しかけてきた。彼らは英語があまりできないので、会話するのに苦労したが、2人は兄弟で工場で働いている。休日は水曜と日曜なので、今日は休みなんだ。ということは分かった。長々とそこで話しこんでしまい、日が暮れようとしていた。リクシャーのところに戻ると、リクシャマンは非常に不快そうにしていた。さすがに待たせすぎたので、ちょっと悪いなと思った。ホテルに戻ると、ナンを食べて、荷物を持ってジャマーマスジット近くのバススタンドへ向かう。バナラシ行きの列車にアグラ郊外のツンドラ駅から乗ることになっており、そこまでバスで向かうつもりだったからだ。バスは満員で、暗闇の中を進む。小1時間で、ここだと周りの乗客に教えてもらい、降りる。しかし、降りたところは自動車道の途中地点で、周りに駅どころか、お店すらない。困った顔をしていると、一緒に降りた警官が、付いて来いと言って、近くに止まっていたリクシャに他の乗客とともに乗り込んだ。そこから2kmくらい走って、駅に到着。駅に着いたら、荷物を運ぼうとしてくる人がいる。見ると、赤い紐を腕に巻きつけているので、公認ポーターなのかと分かった。私は重い荷物を運ぶので本来必要ないのだが、「お前の乗る電車のプラットフォームまで案内する」というので、まあいいかと思って運んでもらった。待合室に案内されて、30ルピー払ったら少ないと言う。ガイドブックに書いてある相場からするとこんなもんだろうと思ったのだが、ぶいぶい不満を言われた。かなり不満そうだったので、私の荷物が重すぎたか、ガイドブックに書かれている相場が古すぎるのかなと思った。待合室で列車が来るのを4時間くらい待った。途中で、日本人の男4人組が入ってきたので、話をしたかったが、4対1だとこちらから話しかけにくく、結局話さなかった。列車は約30分ほど遅れて到着。生まれて初めての寝台列車だと思う。疲れておりかなり眠たかったので、早速眠りに着いた。

 

 

 

6日目。

朝方、6時くらいに目が覚めた。何時に着くか分からなかったので、再び眠りにつくことはできなかった。車内販売で玉子焼きとチャイを買って食べた。かなりうまい。お腹がいい感じで痛くなってきたので、トイレに行って、用を足した時に電車は駅に停車した。まだだと思うが、心配なので、大便を中断し、外へ出て周りの人に聞いたら、「ムガルサライ駅は次の次だ」と聞いて一安心。再びトイレに戻り、大便再開。トイレは垂れ流し方式で、さっきは駅内の線路にブツを落としたことになる。さすがインド、ワイルドだな・・・。すっきりした後は、ムガルサライ駅に着くまで隣のベッドのおっさんと話をしたりして、朝から本当に幸せな気分だった。この後、ひどい体験をするのも知らずに・・・。ムガルサライ駅には10時に着いて、早速バナラシ行きのバスを探す。リクシャーがいっぱい寄ってきてして探す。リクシャマンたちはバナラシ行きのバスはないという。しかし、バスが何台か止まっているので、どれかだと思うのが、どれか分からない。結局いろんな人に聞いてみるが、みんな言うことが違い、誰を信用すればいいのか分からない。みんな口裏を合わせて騙しているような気もしたり、孤独な気持ちだった。結局乗り合いバスに乗った。満員の車内で隣に乗った女の子と少し話をした。25歳ということで同い年だ。身体は小さく、僕にはやさしく話しかけてくれたが、運転手には大きな声でなにやら怒鳴っていた。すごいギャップだ。駅の近くの会社で働いているのだが、今日は遅れそうだと言っていた。運転手にもっと急げと言っていたのだろう。ところで、その時に私は自分の過ちに気がついた。このバスはバナラシ駅に向かっている。俺が行きたかったのは、ガンジス川沿いのゴドーリアだ。さっきバナラシに行きたいとオレが言うものだから、みんなオレの行きたい場所が分からなかったのだ。ムガルサライ自体バナラシなのだから。しまったな・・・。バララシ駅に着いて、再び別のリクシャに乗らなければならなかった。そして新しいリクシャの運転手は日本語が少しできた。行きたいホテルを告げたが、途中で別の名前のホテルに行かないかと言ってきた。予約をもうしているからと言って黙らせたが、何かいやな予感がした。さて、リクシャは止まって、「ここからはリクシャは入れないから、歩いて案内する」と言う。ますます怪しい気がする。細い路地に入っていって、実際案内されたところは、ホテルの名前を示す標識が何もない。おかしい・・・。ホテルの人物に聞いたら、「フレンド・ゲストハウス」だと言うが、どうせ事前に口裏を合わせておいたのだろう。予約しているはずなので、ホテルの予約帳を見せろと言ったら、意味が分からないふりをしてとにかく奥に案内しようとするので、これは違うホテルだと確信して出た。リクシャマンに文句を言ったら、「ここが、フレンド・ゲストハウスだ。お前はクルクルパー(日本語で)か?」と言ってお金だけ受け取って立ち去るし、ホテルマンに文句を言うと、「これはリクシャトラブルだ」と言って、言い逃れしてきた。疲れてヘトヘトなのに、この仕打ちとはインド人は情けもないのかと思って、もう泣きそうになった。仕方ないから、ここから自分でホテルまでたどり着かなければならない。でも現在地がどこなのかさっぱり分からない。「ここはどこですか?」地図を見せて近くの人に聞いたが、みんな回答が違うので、また私の頭は混乱した。知らないのであれば、知らないと言ってくれ!もうリクシャートラブルに会いたくないので、歩いて行くつもりだったが、どうやらスーツケースを運ぶには大変な距離(もちろん凸凹道)だと言うことは分かったので、サイクルリクシャに乗ることにした。しかし、そのリクシャもホテルの場所がイマイチ把握していない(フリをしている?)ようで、違う方向へ行こうとするので、「こっちだ!!!」と言って、私はついにブチきれてバン!とスーツケースを手で叩いた。これがまた、当たり所が悪くて、手がジンジンと痛んだ。もう嫌だ・・・。やっとのことで、フレンド・ゲストハウス(以下、GH)に着いたが、これがまた胡散臭い建物に見えて、オーナー(ラジャーさんと言う)に会ってからもしばらくは、「本当に本物か?」と少し不安だった。この時の私は完全に人間不信(インド人不信)になっていた。さて、部屋でシャワーを浴びた時には、すでに14時前になっていた。一連のトラブルで結局2時間以上ロスした。私はもう日本が恋しくてたまらなかった。どうせ日本に帰ればまたいやな国だと思うのだろうが、それでもインドよりは数倍良い。こんなに日本のことを素晴らしい国だと思うのは初めてで、恋しくて涙が出た。泣いていても仕方ないので、まず最初にガンジス川沿いを探索することにする。GHを出る時に、オーナーの親戚なる人物が付いてきて案内しようとする。私はもううんざりして、「チップはお金は払わないぞ」と言うと、「心外だ。私はホテルのオーナーに案内するように頼まれたのだ。チップは要らない。後で案内するオーナーが経営するショップで気に入ったものがあれば、買ってくれればいいだけだ」と言った。まあ確かに、とりあえずチップは払わなくていいようだなと一安心したが、正直今日は一人にしてくれという気持ちだった。彼は20歳の少年で、着ている服装から見て、きっと結構金持ちなのだろう。日本人を相手にしていると金になるのだろうな。だから、こんな平日に仕事もせず、こんなオレとぶらぶら散歩していられるのだろう。まあこれが仕事なのか・・・。ぶらぶら歩いて、火葬場まで行った。ちょうど火葬している最中で、ちょっと衝撃だった。黙ってしばらく眺めていた。その後、民家の屋上とかにも連れて行ってもらって、ガンジス川を俯瞰できた時は、こいつもまあ役に立つなと思った。彼は、時々「この辺りは警察が多くて、外国人を一緒に歩いているインド人は叱られるから、ちょっと離れて歩いてくれ」とか言って来た。君の言うことは分からないではないが、そんなところがやっぱり怪しいんだよ・・・。その後、ファミリーが経営するシルクショップに連れて行かれた(強制ではないが、行かなかったら文句を言われそうなので・・・)。店主はきちんと畳んであったたくさんのシルクを一枚ずつ開いて俺に見せ付ける。私は買うつもりはさらさらなく、売り方を見たいと思ってやって来たのだった。すぐ終わるかと思っていたが、何種類ものシルク生地を次から次へと開いていく。なかなか終わらないので、これは本格的になってきて何となくやばいな・・・と思った。結局100枚近く拡げてしまった。そして一枚ずつしまっていくから、気に入ったのがあったら、ストップと言ってくれと言われた。ずっとストップを言わないのも、きまりが悪くなってきて、適当にストップと言った。その結果、結局10枚くらいになった。その後、やっぱり要らないと言って席を立ったが、相手は泣きそうな顔しているので、ここまでやらせて買わないのはかわいそうだなと思っってしまった。またこの展開か・・・「同情買い」。結局、言い値の半額くらいで2枚(6ドル)買った。素人なので、生地が良いのか悪いのか、そもそも本物のシルクなのか偽者なのか、それすら未だに分からないが・・・。その後、今度はファミリーが経営するティーショップに連れて行かれた。そこでは、チャイをいただきながら、ダージリンやアッサムの茶葉の匂いを嗅いだりした。4人くらいのインド人少年に囲まれて形勢は不利だったが、「お茶の相場が分からないので、他のショップを見てから明日また来る」とか言って逃げれた。その後、いったんGHに戻って、夫婦で世界一周旅行中の日本人と話をしてインドの不満をぶちまけたりして、しばらく休憩した。7時半くらいになって、セレモニーを見に行くことにした。いったん外に出たが、真っ暗で目の前が見えないので懐中電灯を取りに戻った。真っ暗の中歩いたら、確実に牛の糞を踏んでしまう。バナラスは迷路のような細い路地ばっかりだが、糞が至る所に落ちている。裸足で歩いている人もあるから信じられない。常に路上は臭いし、「牛を街中で飼うなよ」って本気で言いたい。さて私が懐中電灯を取りに戻っている間に、オーナーが呼んだのか、例の彼が入り口で待機していた。またお前か、うっとおしい奴だなと思ったが、さすがに付いて来るなとは言えなかった。そして、いい場所へ案内すると言って、私はある建物の屋上に連れて行かれた。そこはセレモニーを上から見渡せる場所で、自分以外には他に誰もいないのでちょっとVIPになったような感じで良かった。ただ、どうせインドのことだから、後からお金を請求されるのだろうな・・・。結局セレモニーの最後まで見て、帰るときに150ルピーを請求された。インドで鍛えられたのか、もはや私は言い値をそのまま受け入れることはできない人間になっていた。「100ルピーにしろ」。それで駄目だと言うならいつものように「オレはここに連れて来いと頼んでいない」とか言って喧嘩してやろうと思っていたが、さすがに状況を察したのか100ルピーでいいということになった。50ルピーでもいいくらいだ。この国では何かをする時には、常にお金の問題がつきまとうので疲れる。サービスとかいう概念はないのか??GHに戻ってからは、ママさんの作るターリー(定食)を食べた。その中には生野菜があって、全部残すのも悪いなと思ったので半分食べた。結果、やはりその晩下痢になって、あの日と同じように夜中に2回トイレにかけこんだ。

 

 

7日目。

朝、ボートから日の出を見る予定であったので、早起きする。しかし、雨のため中止。再度寝ようとしたが、結局眠れなかった。体は疲れきっているはずなのにな・・・。その日は、とうとうお金が尽きてしまったので、まず両替しなければならない。幸いこのホステルで小額両替をしてもらえるようだ。ラジャーさんを探すが、いない。子供に聞くと、外出していて30分ほどで戻ってくるから待っていてくれ、と言われる。両替くらい、ママさんとか代わりに誰かやってくれよと思ったが、そういうわけにはいかないようだ。仕方ないので、ガンジス川の散歩をして時間を潰した。朝から沐浴する人、洗濯する人、ヨガする人、ボートの勧誘する人、等等。戻ってみると、ちょうどラジャーさんが戻ってきたところで、すぐに両替をしてもらった。40ドルだけ両替してもらったが、手数料もないしレートも悪くなかった。両替と同時に、郊外の仏教遺跡サールナートへ行くために、知り合いのリクシャを手配してもらった。宿のオヤジに説得してもらって、往復300ルピーにしてもらった。おそらく街中で拾うと、談合があるためにもっと高くなっていただろう。運転手は片目が白内障ぽく、見えていないようであった。30分ほどでサールナートに着いて、日本寺・中国寺・ビルマ寺・タイ寺など各国の寺めぐりをした。もちろん、ストウーパのある遺跡にも入場したが、信仰心などない私には単なる公園みたいにしか見えなかった。しかし閑静な場所で、ブッタが初めて説法を行った土地であるというのもうなずける雰囲気を持っていた。インドでは数少ない落ち着けるスポットの一つだと言える。インドに来ていろんな宗教に接していると、私には仏教が一番まともな宗教だなと思えた。やはり私は日本人だから、そう思うのだろうか。しかし実際に仏教が一番紛争が少なく、マイルドだと思う。日本人にはやはり仏教が向いている。サールナートで3時間くらいゆっくりと見て回って、リクシャの所に戻ると、片目の運転手が700ルピーでバナラシ大学などの市内観光でどうかと言ってきた。言い値では決して納得しない私は値切ろうとしたが、それではオイル代とリクシャレンタル代金で私の利益がなくなるとか言っていたので、600ルピー(+私が納得した場合のみ100ルピー)で合意した。オヤジの片目を不憫に思っていたので、最初から私は700ルピー支払うつもりであったが、一応観光客の代表として抵抗を見せておいたのだった。さて、まずはバーラト・マータ寺院というところへ向かう。ここには床にインドの立体地図が彫られているユニークな寺院だ。その次にバララシ大学へ。ヴィシュワナート寺院でうろうろしていると、サングラスをかけたいかにも怪しそうな人物が「ドラッグいるか?」と声をかけてきた。びっくりしてNOとだけ言ってすぐに私は逃げた。ここバナラシでは麻薬がすぐに手に入りやすいと聞いたことがあるが、それは事実のようだ。私の泊まっていたGHの看板にも、麻薬禁止と書いてあったから、日本人でも麻薬をやりにバナラシを訪れる人がいるのであろうか・・・。さて話を戻して、次は構内にあるインド美術館に行った。ここは優れた細密画・彫刻が多数展示されてあり、美術館好きな私は1時間以上そこでぶらぶら観賞した。最後にリクシャに乗って、モンキーテンプルとトウルリー・マーナス寺院へ。前者は中に入れないが、周囲の回廊から境内を眺めることができるらしいが、その時は境内にも入れないと勘違いして、結局外から眺めただけだ。後者には、機械で動く人形がたくさんあり、地元の子供たちですさまじい賑わいを見せていた。それからゲストハウスに戻り、片目の運転手にお金を払う段になって、700ルピー支払った。すると、相手は「8時間」も働いたんだからと言って、さらなるマネーを要求してきた。お前は新聞読みながらボオーッと待っていただけじゃないかと心の中で言って、却下した。まあ悪い人ではなかったから、意地を張らずに、もうちょっとあげても良かったかなと今では少し思うが・・・。GHでしばらく休憩した後に、昨日と同様にセレモニーを見に行った。今度は一人でこっそり外出することに成功した。セレモニーの場所はほんの目の前だから、帰りも安心である。大勢の観光客(インド人が多い)に混じって、私は1時間以上間近で眺めていた。神官はみんななぜかイケメン揃いである。時折写真を撮ったりしたが、近くの子供がオレのカメラを興味深々で見ていた。インド人でカメラを持っている人はほとんどいない。だからみんないつもすごく気になるようだった。自分で情けないことだとは思うが、そのことにちょっとした優越感を感じたのだった。セレモニーが終わりGHに戻ると、またママさんの作るターリーを食べて寝た。

 

 

8日目

早朝起床。もちろんボートで日の出を見るために。昨夜にラジャーさんにボートマンの手配を頼んでいたのだ。1時間200ルピーである。薄明かりの中、ボートは出航。ボートマンはいきなり何の前振りもなく、「ジキジキ」(SEXとか、エロとかいう意味らしい)とか言っていた。頭がおかしいのか、ただのエロオヤジなのかよく分からない人物であった。対岸近くの小島まで行く。天候はいつもの通り曇りがちで日の出は見えないようだ。小島に降りて私は念願のことを果たそうとする。「ガンジス川で沐浴すること」!!服を脱いで徐々に川の深みへ向かう。足元は泥でぬるぬるしていて気持ち悪い。死体に足があたらないか心配だった・・・。ボートマンの言うように、私は頭ごと潜って、完全沐浴を果たしたのだった。もちろんGHへ戻って速攻念入りに体を洗ったが・・・・。その後、まだ時間が余っていたので、インドへ来たからには本場のヨガを経験したいと思って、またラジャーさんに手配してもらった。1時間半で200ルピーである。このGHに泊まって良かったなと思う。全部ラジャーさんが手配してくれるので、いちいち交渉する必要がなかった。それに金額もインド人料金ではないものの、決してぼったクリではない料金であったからだ。ヨガレッスンは1対1だった。最初は呼吸法から始まり、その後、全身のストレッチをした。終了間際、ヨガの程よい疲労感からか、ほとんど眠りそうになった。全て英語で指導してくれるので、特に困ることもなく、いい経験ができたと思う。最後に空港へ向かう前に、1時間ほどガンジス川の見納めをすることにした。火葬場まで行って、一人でじっくり見たいと思っていたからだ。幸い火葬が行われており、一部始終を見ることができた。まずは、死体が運ばれてきて、薪の上に乗せられる。バラモンが火を持って周りを歩いた後、遺族に手渡す。遺族はそれを遺体に着火する。という流れだ。途中、死体が運ばれてくる時に、寄り添っていた遺族が気が狂ったように泣き叫ぶのを目撃した。その光景を見て、私は心が締め付けられるような気がした。最愛の人を失った時には、あのように文字通り気が狂ったように泣き叫ぶのだろうか・・・。そして、その後GHへ戻る途中に、私はガンジス川に子供の腐乱死体が浮かんでいた。子供は人生をまっとうできなかったということで、火葬はできず、ガンジス川に重石をつけて沈めると聞いたことがあった。その重石が外れて浮かんできたものであろう。その死体は片腕・片足がなく、腐敗しているので人形みたいにも見えるくらいだ。あと恐ろしかったのは、犬がその死体にしきりに近づこうとしていたことだ。結局は足が届かず断念して立ち去ったが、その犬は死体を食べるつもりだったのだ。さっきの火葬場でも犬がなにやら食べていたが、あれは死体の残骸を貪っていたのだ。その時インドの凄まじさを思い知った。辺りには他の外国人もおり、彼らは写真を撮っていたが、私はさすがに死体を撮る気にはならなかった。さて、GHに戻るとリクシャマンが待っていた。ラジャーさんに空港行きのリクシャの手配をお願いしていたのだ。300ルピーで交渉してもらった。そのリクシャマンは乗ってしばらくすると、警官に100ルピー駐車料を支払わなければいけないから、400ルピー払ってくれと言ってきた。警官に払うのは10ルピーだと知っていたから嘘をついているのは分かったし、、そもそも約束が違うだろう、と腹が立った。しかし、今からまた別のリクシャを探すのは大変だし、何しろフライトの時間に遅れるのが一番困る。ここは仕方なく相手の言うなりになった。最後の最後までインドという国は・・・呆れた。空港は意外と遠く、リクシャはかなりの距離を走った。300ルピーではたいした儲けにならないから、あんなことを言ってきたのかと少しは相手の言い分を納得した。しかしそれでも、約束を破るのも、嘘をつくのもいけない。後々の観光客のためにもインド人の言いなりになってはいけない。だから、支払う際に300ルピーしか支払わなかった。当然相手は不満を言う。私も約束が違うと文句を言う。結局、間をとって50ルピーだけ渡したら相手はなんとか納得した。本当にお金のことを考えるのに疲れさせる国であった。ベナレスからデリーまで国内線に乗った。機内食を食べてうとうとした頃に、急に周りががたがた言って揺れたので、「墜落か!?インドの国内線なんかに乗るんじゃなかった!!」と思って目を開けて窓を覗くとデリー空港に無事到着していた。デリーの空港で4時間ほどの乗り換え時間があったので、おみやげを買おうと思っていると、なんとルピーは使えず、USドルのみとなっている。しかも手ごろなインドのお土産などいっさいなく、バカ高い外国の商品ばかりである。紅茶だけUSドルで買った。飛行機は1時間くらい遅れて離陸(理由は不明)。隣は日本人女性だったので、暇つぶしに「インドは初めてでしたか?」と話しかけてみた。そんな自分から隣の人に話しかけるようなキャラじゃなかったのに、インド人みたいにフレンドリーになってしまったのかもしれぬ・・・。もしくは、インド人不信の為、信用できる日本人と話すことを欲していたのかもしれぬ・・・。その人は旅行会社に勤めているということだったので業界のことを聞いたり、これまでに訪れた国のことについてお互い話したりして、全く退屈しなかった。夜中の1時頃に機内食を出すような訳の分からぬエアインディアではあるが、無事に成田に到着したのだった。

 

 

(さいごに感想)

「インドなんて二度と行くか!ボケ!!」という本があるそうだが、まさにこんな気持ちである。インド人にとってはインドは住みやすくても、外国人には住みにくくて仕方ない。しかし、人生において非常に良い経験をしたと思う。日本の素晴らしさを実感した。また、サバイバルな環境に身を置く事によって、自分自身成長できたと思う。そういう点では、いやな思いをいっぱいしたこの旅であるが、非常に意義あるものだったと思う。