小さな冒険日記

青春時代を記録したものです。

カンボジア+タイ 2010/8

 

会社の年1回の連続休暇。去年はインドに行った。今年もやっぱりアジアを一人旅することとなった。メインは世界的に有名なアンコール遺跡を見に行く旅である。飛行機はスカイゲートという航空券販売サイトで購入。バンコク経由カンボジア行きのタイ航空のチケット。燃油・税金含めて約10万円。夏休み時期ということでやや高い。

1日目。深夜0時30分のフライト。バンコクには4時半着。眠いし、シャムリアップへ向かうフライトへの乗り継ぎ待ち時間が長くて退屈。バンコクからシャムリアップまでは45分と、機内食(軽食)を食べるのもせわしないフライト時間である。距離で言えば、300~400kmくらいで陸路でも10時間程度なので、陸路で国境越えしても面白かったかなとちょっと思ったりもした。飛行機から見たカンボジアの大地は、平野が果てしなく広がっているという印象だ。シャムリアップ空港に着くと、まずはビザ取得(20US$)である。大勢の事務員がおり、発行は流れ作業で行われるので、10分もかからない。それから両替であるが、とりあえず空港では2000円だけリエルに両替した。あとから分かった結果論としては、リエルは全く両替不要であった。街中ではどこでも米ドルが通用し、リエルは補助通貨セントのように使われているだけだ。だから、おつりとして返ってくるリエルだけで十分である。さて、話は戻って、空港を出ると、僕の名前を書いたネームプレートを持ったトウクトウクドライバーが待っていた。シャムリアップでは、タケオ・ゲストハウスという日本人宿をメール予約していたが、ついでに空港ピックアップサービス(3ドル)を申し込んでいたのだった。ちなみに、このドライバーには滞在中ずっと世話になった。名前は忘れたが、31歳の背の低い男で、日本語がかなり上手。寡黙であるが、まあ真面目そうな男であった。空港から市内までは15分程度。道路はしっかりと舗装されていて、整然とした町並みというイメージを受けた。それから道路沿いの人を見物していると、若い人が多いなと思った。やはりクメール・ルージュの時代の大量虐殺により、高齢の人が少なくない年齢構造になっているのだろうか?いずれにせよ、ベトナムと同様に経済の発展しそうな活気が感じられた。ゲストハウスに着いて荷物を置いたあとは、市内観光へ。オールドマーケットというところで、さまざまな土産物店や食品の見物した。食品は、昆虫や内臓などグロテスクなものが多く、「おうえ~~」となりそうな代物ばかりである。その後、セントラルマーケットというところにも行ったが、売っているものはオールドマーケットの土産物店と同じである。僕は、そこで布に描かれた油絵を15ドルで買った。それは少女の肖像画で、顔の表情の繊細さがとても気に入ったからだ。以前から部屋に飾れる絵画が欲しいなと思っていたから、手頃なものが見つかってよかったと思う。午後は、カルチャービレッジに行った。ここは、カンボジアの歴史や文化を紹介したテーマパークで、中国深センにあった文化村のパクリのようなものだ。民族ダンスショーが各民族館で毎時間行われ、観客たちは次々とショーが開かれる民族館に一斉に移動するのであった。僕も4つくらいのショーを見た(計4時間くらい)が、正直眠くてしんどかった。変な夜のフライトであるから仕方あるまい。夕方にゲストハウスに戻って、近くのバンテアイスレイというレストランに入って夕食を食べた。料理はなかなかイケた。ここは昔、一之瀬泰三という日本人カメラマンがよく通っていた店らしい。彼は僕と同じ年である26歳のときにクメール・ルージュに捕らわれて殺されたらしいが、彼もここで一人ゆったりとこうして毎日食べていたのかなと少し感慨にふけったりした。

 

 

2日目。今日から3日間は遺跡三昧。4時起床。前日に、「明日は朝、アンコールワットサンライズを見たい」といドライバーに行ったら、5時出発と告げられた。朝起きると寝不足気味で正直眠いが、トウクトウクに乗っていて体に受ける風がとても心地良く目が冴えてきた。アンコールワットでは、大勢の観光客が日の出を待っていたが、曇りのために、いまいちというか全然駄目なサンライズ。やはり雨季ではなかなか厳しいようだ。アンコールワット内部は、デバターと呼ばれる多数の彫刻が見事であった。その後、朝ごはんを近くの食堂で食べてからは、アンコールトムへ。中心となるのはバイヨン。大きな岩に、穏やかな微笑をした菩薩像が彫られているのが圧巻であった。他のアンコールトム内の遺跡を見た次は、タ・プローム遺跡へ行った。ここでは、ぬかるんだ道に足を取られて激しくスリップした。もうズボンはどろどろだわ、手もどろどろだわ、おまけに手に持っていたカメラも被害を受けた。幸いカメラは命に別状はなく安心したが、ズボンは致命的な汚れ方である。近くに座って手で泥を落としていると、近くにいたカンボジア人青年が寄ってきて、あそこに水があるから使いなよと教えてくれた。行ってみると井戸があり、水を汲んで洗って泥を落とした。感謝感謝。その後、お昼にいったんゲストハウスへ戻って休憩した。眠れなかったが、横になっていて少し回復した。3時に再びトウクトウクに乗り、西バライとプノンバケンへ行った。西バライは大きな貯水池となっており、ドライバー曰く、シェムリアップ市内の人がよく休日に泳ぎに来るスポットだということだ。エンジンボートで中央に浮かぶ小島まで行けるが、15ドルと高いからやめた。プノン・バケンは、アンコールワット近くの丘陵であり、眺めが良いスポット。20分くらい登ると頂上である。帰りは、象が通る道を下り、象を交わしながらの歩行であり、スリルがあった。その日、ドライバーには20ドル渡した。晩は、市内中心部にある西洋人が集まるバーストリートをぶらぶらして、そこにある店で食事した。店を出てナイトマーケットへ向かおうとするとすぐに、タイミング悪く雨が降ってきた。それは物凄い雷雨であった。軒先で雨宿りしていたが、なかなか降り止まないので、退屈であった。それを見かねたのか、近くにいたトウクトウクのドライバーがFREEだから乗れと言う。とりあえず乗ると、近くの大きな土産物店に連れて行ってくれて降ろしてくれた。優しい~!カンボジア人って本当に親切だし、しつこくないし、いい国だと思う。ナイトマーケットは観光客相手のお土産物店の集合体で、売っているものはオールドマーケットやセンターマーケットと同じであった。

 

 

3日目。今日はドライバーが交代。昨日までのドライバーは日本語を話せるためか、別の日本人グループの案内をするそうだ。この日は、トンレッサップ湖とロリュオス遺跡である。トンレサップ湖までは約30分。そこで、1時間半のクルーズを楽しんだ。一人だけなので、ボートは貸切状態である。現地の小さな男の子も乗り込んできて、英語の発音が分かりにくいが、「あれは教会だ」「あれは学校だ」といろいろ教えてくれる。シャムリアップ川の両側には水上家屋が並んでいる。ハンモックでぶらぶら寝ているおじさんや子供を見ていると、気持ちよさそうだ。ここにはベトナム人が多いらしく、外国人は土地が持てないために仕方なく水上に家を建てて住んでいるらしい。途中、「お土産を買って学校へ行こう」と案内の男の子が提案する。ちょっとしたスナック菓子が5ドルと高いなと思ったので、止めといた。しかし、5ドルくらいだったら、買って学校へ行って子供たちと交流すればよかったなと、今では後悔。そんなところで、はした金をケチらないでもいいのに、と後で自分に呆れた。狭い川が急に大きなトンレサップ湖が広がる地点が、クルーズの終点である。そこには養魚場があり、ワニも何匹か飼われていた。彼らは普段全く動かないが、誰かが魚を投げ込むと突然動き出す。魚をワニたちが取り合う姿は圧巻であった。クルーズを終えた後は、次にプノン・クロムという丘に行くのを完全に忘れていて(アホ!)、そのままロリュオス遺跡群へ向かう。この遺跡を観光しているときに雨が降ってきた。仕方ないので、遺跡の中で雨宿りしたが、なかなかやまない。東南アジアにはスコールしかなく短時間で降り止むと思っていたから、傘など持ってきていない。結局1時間近く待ったが、やまないので仕方なく雨に濡れながら降りてきた。雨季だと、しとしと長時間降るということを始めて知った。市内への帰り道では、ニューマーケットに立ち寄ってもらった。ここは面積が大きく、観光客はほとんどいない現地人向けのマーケットである。ドライバーにはこの日15ドル支払った。市内に戻ると、昼食としてピザのファーストフード店に入った。ここシェムリアップには、外国人観光客が多い為か、結構外資系企業も入ってきているようである。その後、ワニ園というところに行った。チケット売り場の女性は典型的なワニ顔だったので、思わず噴出しそうになった。やっぱりワニばっかり見ていると人間もワニみたいな顔になってくるのか?あるいは、ワニ顔だからワニが好きになってワニ園で働くようになったのだろうか?さて、そこにはワニが100匹以上ところ狭しと寝ていて圧巻であるが、3ドル出す価値はなかったと思う。奴らは全く動かず、持っていた水をかけてやったりもしたが全く反応なし。まあ~、つまらないやつらである。私以上の怠け者も世の中にはいるもんだな。晩は、クーレンⅡというレストランでアプサラダンスショーを鑑賞しに行った(当日朝に予約していた)。バイキング料理を食べた後は、1時間ほどのショーを前の方で立って見ていた。化粧の影響も大いにあるだろうが、みんなびっくりするくらいの美人である。そもそもカンボジアには街中にも美人が多いと感じた。鼻は低いが、目がきれいな人が多い。クメール美人である。

 

 

 

4日目。郊外の遺跡巡りである。気温が低く、トウクトウクに乗っていると体に風が直撃して寒いくらいだった。道中は農村が広がり、のどかな風景が素敵であった。1時間半近くかけて、まずはクバールスピアンへ。ここで遺跡を見るには山道を30分以上登らなければならない。ちょっとしたハイキングをカンボジアで楽しめてよかった。その後、昼食を食べてから、バンテアイスレイ遺跡内部へ。有名な「東洋のモナリザ」はどれなのか結局分からなかった。毎日遺跡三昧であったため、もはやそんなことはどうでも良かったからだ。その次は、地雷博物館へ。館長のアキラー氏は、戦争中に地雷を埋めた経験があり、その後、その知識から長年地雷撤去作業に従事してきた人物である。彼の言葉が印象深かった。「自分の人生は自分で選べるんだ。」ずっと軍隊に強制的に働かされて、戦争が終わった時に、ある国際機関に地雷撤去を依頼されたときに、人間には選べる権利を持っていることでそう思ったそうだ。今の日本人の感覚からすると当たり前のことだが、戦争中はそうではないのだと思い知らされた。私たちはいい時代・いい国に生まれたもんだな~。さて、話は戻って、最後に行ったのは、バンテアイサムレ。ここは観光客がほとんどいなかった。帰りには、キリングフィールドに寄ってもらった。ここは、クメール・ルージュの時代に殺された墓があるところで、遺骨もそのまま積み上げられていた。当時知識人はみな殺されて、医者は全国で40名ほどしか残らず、アプサラダンサーのような文化人もほとんど殺され、眼鏡をかけているだけでも殺されたそうだ。今のカンボジアはその片鱗すら感じられず平和そのものである。市内に帰ってきてからは、ブラインドマッサージという、盲目の人によるマッサージを受けた(5ドル)。全く目が見えないのか、暗い部屋の中で手探りで体を探られるので、最初は気色悪かった。こんな店ではなく、若いお姉ちゃんと楽しく会話できるマッサージ店に入ればよかったなと後悔したくらいである。それに、意思疎通ができない為に、蚊に噛まれて大変だということを伝えることができなくて困った。おかげでマッサージ中に、無防備な私は7箇所くらい刺されて、かゆくてたまらなかった。しかし、その全盲の男性は腕は確かであった。気持ちええなと思いながら、ふとマッサージ師のことを考えてみた。彼はこれまで人生の果てしないくらいの辛い思いをしてきただろうなと思うと胸がじーんとした。自分だったら、毎日死にたくなるだろうなと思った。最後にお金を渡した時は、指触りで確認しているようだった。しっかり握手をして、ありがとうと言ってお別れした。この日の夕食は再びバンテアイスレイ。飲み物を尋ねられて、ココナッツジュースが欲しいと店員に言ったら、メニューに書いていないのにどこかから調達してきてくれた。しかも1ドルという良心的な価格。カンボジア人って素朴で親切。

 

 

5日目。バンコクへ旅立つ日である。5時起床し、空港へ行く前に、アンコールバルーンへ立ち寄る。これは気球に乗って10分間ほど空からの景色を楽しむものである。すがすがしい朝日の光が田んぼに反射する様が美しかった。カンボジアの旅の終わりにはふさわしい光景であった。空港には早く着きすぎて退屈であった。飛行機はプロペラ機でブーンブーンと激しい音を立てて飛ぶので、ちょっと不安であった。バンコクに到着したのが11時頃。市内に向かうのに、エアポートバスを利用した。近日に電車が開通するそうだが、私の到着日にはちょっと間に合わなかったようだ。ナナ駅で降りて、あらかじめ予約していたSUK11ホステルへ。1泊2000円だが、なかなか洒落たホステルである。さて、バンコクに到着したものの、3年前にバンコクの観光名所は網羅しているので、何もやることがない・・・。仕方ないので、なつかしのパラゴン(デパート)をうろついたり、バッポン通りでポン引きをひやかしたりして時間をつぶした。晩は、アジアホテルのレストランで食事してから、カリプソのニューハーフショーを見に行った。このニューハーフショーはとても楽しい。ニューハーフたちって、なぜか背の高い人が多いような気がする。股間の辺りの凹みから判断して、性転換手術を完了済みの人が多かった。ユーモアがあるショーで、バンコクお薦めのスポットである。その後は、バンコク名物ゴーゴーバーを見に行くことに。3大ゴーゴーバー街の一つ、ソイ・カウボーイに行った。初めて入ったゴーゴーバーは衝撃だった。たくさんの女の子たちがステージ上で踊っている。白人だけでなく日本人客もとても多い。セクシーな女の子たちを眺めながら、流行の音楽を聞きながら、1ドリンク300円程度でお酒を飲める(私はソフトドリンクだが・・・)。ここは天国か?

 

 

6日目。朝からパタヤへ向かう。路線バスで約2時間である。パタヤに着くと、まずはパークタワーへ行き、展望台の屋上からワイヤー下りをした。最初地上170mからの飛び降りはさすがに怖かったが、いったん飛び降りると無茶区茶気持ちよかった。その後、ワット・プラ・ヤイやワット・カオ・プラ・バートというところへ行った。次にビーチで水上バイクをした。日本で先日免許は取得したのだが、実際にレジャーで遊んだことがなかったからだ。適当にビーチサイドの店に声をかけ、30分600バーツで交渉成立。おやじに言われるままに着替えてから出発。このとき私は海外旅行で過去最大のミスをした。それは後程述べる。水上スキーは爽快そのものであった。曇天で雨がポツリポツリ降っていたが、フルスピードで走ると最高に気持ちいい。しかも海上には他の水上スキーなど一隻もなく、自由に走り回れたのがよかった。戻ってきて、シャワーを浴びたかったが、シャワーを浴びるところがなく、仕方なくそのまま着替えた。ベタベタしていて気持ちが悪い。そして、ふと心配になって財布を確認すると、異様に少ない。実は、財布をそのまま店に預けてしまっていたのだ。水上バイクを出発する際に、着替えた時に財布をカバンの中に入れてそのままであることに気づいたが、まあ大丈夫かなと思ってそのままにしてしまったのだ。ついついバンコクの大都会ぶりを目の当たりにして、日本と同じようなリスク感覚になってしまっていたのだ。しかも旅の終盤ということで、完全に気が抜けていたと言わざる終えない。被害額を計算すると、5000円分くらい少ないので、1000バーツ札1枚と500バーツ札1枚を抜き取られた可能性が高い。50%の店への怒りと50%の自分への呆れに苛まれた。返せと文句を言いに戻ろうと思ったが、どうやってもお金が減っていることを証明することは不可能であった。「貴重品を人に預けてはいけない」なんて初心者でも知っている「旅の常識」であるのに、情けない限りである。その後は、ずっとそのことが気になって、ものすごく嫌な気分であった。さらに悪いことに、雨は降り続け全く止む気配はない。傘を持ってきていない為に町歩きしながら濡れ続けた。パタヤの盛んな夜を一度見てから帰りたかったが、もはや気力も失せてバンコクに帰ることに決めた。帰りのバスの中では、冷房が効きすぎで寒くて、濡れた体にはかなり辛かった。おまけに交通渋滞の為なかなか到着しなかったので、寒さで凍え死にそうだった。戻ってきてからは、ゴーゴーバーの集まるナナエンターテインメントプラザへ向かって、やけくそになって普段は飲まないビールを飲んだりして過ごしたのだった。

 

 

7日目。朝早く起床して、ダムヌン・サドウアク水上マーケットの日本語ツアー(800バーツ)に参加する。まだ、昨日の事件が忌々しく思い、気分が悪い。まずはバスで近くまで行って、その後エンジンボートで水路を20分ほど進んだところに水上マーケットが登場。それから手漕ぎボートで15分ほど水上マーケットを巡った。ツアーから帰ってきてからは、市内でショッピングした後、一度ホステルに戻って、昼寝をした。朝早くて眠かったし、もはや何にもすることがなかったからである。バンコク最後の夜は、やっぱりゴーゴーバーへ。7時から12時くらいまでソイカウボーイとナナエンタテインメントプラザにある店を1時間間隔でハシゴして回った。日本にもゴーゴーバーがあればいいのになと思うくらい、完全にGOーGOにはまった私であった。(ただのスケベおやじ???)

 

 

8日目。朝食を食べた後、ホステルの別の客とタクシーをシェアして空港へ向かう。

今回で当分、海外旅行は打ち止めになるかなと思う。あまりの職場環境ゆえ、会社を辞めることになりそうだからである。まだ、行きたい場所はたくさんあるが、大体アジアの国は網羅したと思っているので、満足はしている。しかも、海外旅行にはまった最初の地であるバンコクでいったん終わりというのもちょうどふさわしいような気がする。

 

(後日談)当時はそう思っていたが、仕事に慣れてきて怒られなくなってきため、一旦退社を延期。海外旅行を継続致すこととなった次第です。