小さな冒険日記

青春時代を記録したものです。

沖縄 2011/4

 

スカイマークエアラインのHPで沖縄行きの航空券を購入。さすがLCC、行き9800円+帰り7800円=合計17600円と経済的。そもそも今回なぜ沖縄か?沖縄の離島の海は世界的にも有数の美しさだと何度か聞いたことがあった。「きれいな海で泳ぐ」が今回の旅のコンセプトである。いろいろ検討した結果、慶良間諸島の中でも一番手軽な離島である渡嘉敷島に行くことを決めた。今回はダイビングではなく、経済的なシュノーケリングを楽しむことにした。事前にウェットスーツやライフジャケットを購入。ダイビングマスクも度付レンズを購入するなど、しっかり装備は揃えて臨んだのだが・・・。

 

前日夜。

仕事から帰って、インターネットで天気予報を見る。結果は、・・・金曜(その日)は晴れ、土・日・月は全て雨、火曜以降は晴れ。あまりの自分のついてなさに愕然として、絶望した。雨の中どうやって泳ぐんだよ・・・。よく考えれば、島と私はこれまでとことん縁がなかった。すぐに思い浮かぶだけでも、利尻・礼文島伊豆大島、韓国済州島とこれまでさんざん天気に嫌がらせをされてきた。とりあえず天気予報が当たらないことを祈るものの、失意を抱えて寝た。

 

1日目。

スカイマークの発着空港は、神戸空港である。神戸空港を利用するのは今回が初めて。小さな地方空港といった様相だが、新しいだけあって建物がきれい。今回荷物はバックパックに詰め込んだ。やたら重く感じるので、機内預かりの重量オーバー(15キロ以上)にならないかなと少し心配していたが、実際計量では11キロ程度であった。大学生時代は、11キロを担いで山登りするなんて屁みたいなもんだったのに、老いぼれたものである。飛行機は12時の便で、那覇空港到着は14時。那覇空港からはバスで泊港へ。そこから渡嘉敷島への船が出ているのだ。35分であっという間に到着。時間はすでに夕方5時。ネットで宿泊予約(素泊まり3500円)したシーフレンズというペンションの送迎車に乗って、阿波連地区へ。山がちな地形を通る1本道を行くと10分ほどで到着。ペンションの部屋に荷物を置いてからは、ビーチや集落や展望台を散歩。空は雨こそ降らないが、どんよりと曇っている。日が暮れる頃に、ペンションの食堂へ行って夕食をとった。食堂は8時に終了するというから驚きだ(島の夜は早い)。食事は1500円の定食だ。さすがに海鮮料理がおいしい。それにスタッフも親切だ。この人もサラリーマン生活に疲れ果てて、この島にきて働くようになった人なのかな?なんて勝手な想像をしてしまった。腹いっぱい食った後は何もすることがないので、部屋に戻り、テレビを見たり持参した本を読んだりして過ごした。島人の生活に倣って、いつもより早めに就寝。寝る前にテレビで天気予報を確認したが、明日の天気は「曇りのち雨」。くそう、やっぱり駄目か・・・。

 

 

2日目。

ペンションで朝食を食べた後に、ビーチへ。天気は辛うじて持ちこたえており、太陽が時々雲の隙間から顔を見せてくれるくらい。装備を装着して海へ・・・冷たい!ウェットスーツを着ていても、やっぱり4月だとまだ寒いな~。特に手は、手袋をしていなかったので冷たかった。心配していた度付ダイビングマスクについては、ちょうどいい度数だったので一安心。少しずつ沖の方に向かって泳いでいくと、海は確かにきれい。所々にカラフルな珊瑚礁もあり、その周りにはかわいい熱帯魚たちがたくさん泳いでいた。ウミヘビらしいのもいたし、土を掘ろうとしていた変な魚も見かけた。満足しつつも、これで晴れていたら最高の光景なんだろうなと、少し残念だった。ずっとそこでじっと泳いでいたかったが、体が冷えてあまり長時間水中で滞在できなかった。結局2時間くらいビーチにいた後、いったん部屋に戻った。シャワーを浴びて服を着てから、再びビーチへ。ビーチで12時半から海開き大会が開かれるのだ。開会の挨拶の後は、消防署によるヘリコプターを使った海難救助のデモンストレーションが行われた。その後、村長の挨拶の途中で、雨が降り出してきた。子供たちによるテープカットの頃には雷も鳴り出して、その時点で大会は中止。その後予定されていた民族踊り等は無しということに。ちょっとした暇つぶしになるかなと思っていた海開き大会もほんの30分程度で終了。雨の中、海と山以外に何もないこの島でこれから一体どうしたらいいのだろう。阿波連地区は端から端まで歩いて1分くらいの小さな集落で、食事処やみやげ物屋すらほとんどない。とりあえず出店で海鮮塩焼きそばを買って、お気に入りの展望台に行って食べた。そこでのんびり過ごそうとするが、30分で限界だ。その後は仕方ないので、部屋に戻ってテレビを見てボケッと過ごす。これも1時間で限界。せめてインターネットがあればよいのだが。あまりに暇なので、耐えられなくなって予定を切り上げて本島に帰ろうかとかなり悩んだ。はるばる旅行に来て、部屋の中で半日もテレビを見て過ごすなんてアホらしすぎる。でも、明日の天気予報では「曇りのち晴れ」だから、午後に少しだけ泳げそうだ?せっかく離島にまで泳ぎにきたのだからと、何とか思いとどまった。ええい、こうなったら、大雨の中、自転車で島内探検強行だ。ペンションで自転車を借りて(無料)、傘をさして出発。集落を出ると、すぐまわりは山だ。上り坂が急でとても漕げないので、自転車を押して歩く。20分くらいで峠まで出たが、展望もない。雨でびしょびしょに濡れており、もはやいやになり、ついに決意した。本日の船で那覇に帰るぞと。クルっと引き返して、ペンションに戻る。スタッフに予定を変更して帰る旨を伝えると、「レイトチェックアウト料として2500円いただきますがよろしいですか?」と言われた。さすがにそれはちょっと高すぎるなと思ったので、「もうちょっと安くなりませんか?」と言って、1000円負けさせた。

5時の高速船で出航。那覇に着くと、「リトルアジア」という怪しいバックパック宿に向かう。ここは、ガイドブックで事前調査済みだった。ドミトリーで寝るほどもはや若くないので、社会人パワー(金)を発揮し、個室1泊2500円にする。その後、国際通りをぶらつき、夕食としてゴーヤーチャンプルを食ったり、お土産を買ったりして過ごした。

 

 

3日目。

観光スポットといってもたいしてないので、朝遅くまで寝る。10時くらいに出発して外に出てみると、太陽が顔を出し始めている。なんとも憎たらしい。やっぱり昨日は我慢して渡嘉敷島に留まっていれば、今頃はビーチで泳いでいただろうと思うと何とも悔しかった。でも、昨日はどうしても我慢できなかったんだから仕方がないと、何とか自分を納得させようとした。とりあえず近くにある第一牧志公設市場を散歩する。ここでは、これまで見たこともない南国特有の色鮮やかな魚が売られていた。その後は、壷屋やむちん通りを散歩することにした。いよいよ空は晴れてきて、今からレンタカーでも借りて、本島にあるビーチにでも泳ぎに行こうかと本気で思ったが、今更感がありありなので止めた。壷屋やむちん通りには、陶芸工房が並んでおり、陶芸製品のお洒落さに興味を抱いた。その後、リトルアジアでレンタサイクルを500円で借りて、那覇市内をぶらぶらサイクリング。昼食は、JEF(沖縄のファーストフードレストラン。車のJAFではない!)でゴーヤバーガーを喰らう。その後は、波之上ビーチという人口ビーチを見に行ったが、とても狭いビーチで、すぐ近くには工事をしており、よくこんなとこで泳げるなと思った。それから、栄町市場という昭和の時代を思わせるような商店街にも行った。良く言えばレトロな、悪く言えば寂れた商店街である。あまり記憶がはっきりしないが、自分が小さかった頃はこんな感じの商店街もあったような気がする。夕方近くにリトルアジアへ戻り、自転車を返却。その後は、沖縄モノレール「ゆいレール」で空港へ向かう。空港で夕食を取ろうとレストラン街を歩いていると、1年前に家族で入った中華料理屋を見つけた。それを見て、私はもう情けなくて泣きそうな気分になった。やっぱり一人旅は寂しいや。特に今回の旅は完全に失敗・敗北の旅であったので、余計にその気持ちが強くなったと言える。もう国内一人旅はよそうか、そう思って沖縄を後にした。

 

 

結語

アウトドア・アクティビティは天候に支配されているという点で、短期旅行ではこういう結果になることが多い。対策としては、雨が降った場合のことを想定して、事前に別の遊び方を考えておくことが必要だろう。あるいは、何もせずに本を読んだりして部屋でのんびり過ごす覚悟をすることが必要かもしれない。近いうちにバリ島(また島)に行こうと思っているが、今度こそ天気に期待したい。

②前からスローライフに憧れており、将来は田舎でのんびり暮らしたいと思っていたが、それは自分には無理だろうと認識した。まず、渡嘉敷島にいる時、束縛感で息苦しさを感じた。自由を重んじる私にとっては致命的。あまりにも行動範囲が狭い上、やることがなさすぎる。生まれたときから自分は都会育ちで、便利な生活に慣れているので、ある程度の都市機能を持った場所でないと生活しずらそうだ。それから、あまりにスローライフなのも、人生の充実感という観点からすれば考えものである。生きがいというのが感じられないだろう。かといって、忙しすぎるのも精神衛生上良くないし、やはり何事においても「ほどほど」が大事なのではないかと思う(これ、結論)。