小さな冒険日記

青春時代を記録したものです。

マニラ3回目 2012/2

フィリピン5回目。飛行機はまたしてもセブパシ(37000円)。1ペソ=約2円

 

2日

恒例のように、木曜晩に職場から空港へ直行。仕事がスムーズに済んで余裕を持って空港へ向かうことができた。空港へ着くと、飛行機が約1時間遅れることが判明。さすがLCC・・・。おかげさまで時間つぶしに夕食をゆっくり食べることができた。経費削減のため荷物は機内持込のみにしたので、出国審査場で洗顔フォームを捨てるはめになった。液体類は機内に持ち込めないことを全く意識していなかった。マニラ到着は深夜1時過ぎ。前回のようにタクシーは出発階で拾った。今回も無事ホテルに着いてよがったですわい。

 

3日

朝9時に友人Kとエルミタロビンソンのスターバックスで待ち合わせ。そこから、高架鉄道でパサイのEDSAまで行く。そこでタガイタイ行きのバスに乗る。やっぱりローカルフレンドがいると楽チン。バスは渋滞のためなかなか進まない。タガイタイには2時間半くらいかけてようやく到着。標高700mとあって、半袖では肌寒いくらいだ。そこからトライシクルに乗って、タール湖畔まで猛スピードでひたすら山道を下る(200ペソ)。タール火山はタール湖に浮かんでいるので、湖畔からボートに乗らなければならない。「往復ボート+現地での乗馬による登山」のセットで、恐ろしくふっかけた値段を最初提示してきた。ふざけているので、3000ペソしか無いとか適当に嘘をついたりして粘り強く交渉したが、結局2人で2400ペソ以下にはなかなか下がらなかった。ドケチの私なら本来もっと値切りたいところだったが、連れがいてあまりみっともないこともできないので、それで手を打った。ボートは貸切で、よく揺れながら30分くらいかけて着いた。そこにある看板に、「ボート1600ペソ、乗馬1人400ペソ」と描いてあった。やはり2400ペソが妥当だったのかなと少々自己満足。島に着くと、早速馬に乗って登り始める。馬はポニーみたいな小さな馬で、馬使いに引かれながらえらくしんどそうに歩いていた。大自然の中、乗馬とは最高の気分だ。日本の乗馬クラブで小さなコースをぐるぐる廻るのとは天と地の差がある。長い距離を30分くらいかけて進んでやっとクレーターのある頂上に着いた。そこで馬を降りてクレーターを眺めていると、ゴルフクラブを持ったおじさんが近づいてきて「ゴルフやらないか?」。何を言っているのかと思っていたら、どうやらクレーターにボールを打ち込むらしい。1球=50ペソで、おもしろそうなのでやってみることにした。ナイスショットでまっすぐに飛んでいってきれいにクレーターに入った。調子に乗ってもう1球打ったが、今度はミスショットして球は崖を転がっていった。頂上で写真を撮ったりしてのんびり過ごした後は、また乗馬・ボート・トライシクルの3点セットでタガイタイまで戻った。タガイタイの町のジョリービーで遅い昼食をとってから、マニラ行きのバスに乗り込んだ。マニラに着いたのは7時くらいになっていた。パサイでKと別れてからホテルへ帰った。帰り道、ロビンソンに立ち寄った。本屋で自分用土産にマニラの地図を買った。さっき昼食を食べたばかりであまりお腹も減っていなかったので、夕食としてファーストフード店のグリニッジ(イタリアン)でラザニアを食べた。フィリピンにはおいしいファーストフード店がいろいろあるな。

 

 

4日

午後から友人Rと会うことになっていたが、午前中は暇なので、ネットで見ておもしろそうだったゴルフ場に行くことにした。イントラムロスという世界遺産の周りに作られたゴルフコースだ。遺跡を見ながらゴルフをするなんてお洒落じゃん!?スタート地点がわからなかったので、ペディキャブ(トライシクルの自転車バージョン)に乗って行った。サンチャゴ要塞近くにクラブハウスがあった。料金は、グリーンフィー1500ペソ+キャディーフィー300ペソ+クラブレンタル700ペソ+保険等80ペソ+ボール1ダース100ペソ+ティー100ペソで、受付で支払った。レンタルクラブなので最初慣れるまでが無茶苦茶であったが、だんだん安定してきた。一人プレイなのでスコアも付けずに気楽なもんだ。しかもキャディさんが色々用意してくれるのですごく楽チンだ。フェアウェイは細く、そこらじゅうに池がある難コースであるので、ボールはすぐに無くす(でも安いから問題なし!)。ゴルフ場すぐ近くの遺跡には、座ってのんびりしている人たちがいて危ないと思うのだが、彼らはおかまいなしだ。ネットを張っていた形跡があるが、破れてしまっていて、そのままの状態になっている。一度彼らがいる方向へ向かって打ち込んでしまってヒヤッとしたが、「保険入っているからNO PROBLEMだよ」とキャディさん。そういう問題じゃないと思うんですが・・・。日本じゃ考えられないリスク感覚の無さ。さすが、フィリピン!途中で、すぐ前の組で廻っていた日本人のおじさん2人と合流して一緒にラウンドさせてもらった。その前には大きな西洋人が一人でラウンドしていて、超美人のアンブレラガールを随行させていた。アンブレラガールというのは、日傘を差して一緒に歩きながら話相手になってくれる女の子のこと。400ペソ(別途チップが必要だろうが・・・)なので、試す価値は十分にあると思う。18ホール(パー66)・約3時間半を楽しく過ごすことができた。ラウンドを終えてすぐに待ち合わせ場所のロビンソンへ向かう。Rと2時に待ち合わせだったが、交通渋滞のために遅れるとのことで、結局40分くらい待たされた。まずは、フィリピン大学マニラキャンパスや近くの病院内を案内してもらった。それからRの友人A(恋人?)と合流して、モールオブアジア(MOA)に向かった。マニラ湾沿いはちょっとした遊園地みたいになっていて、学生や家族連れですごい人だかりだった。我々は観覧車に乗った(1人=150ペソ)。その後は、座って3人でマニラ湾の夕陽を見ながらおしゃべりをした。日が暮れた後、7時から花火を見た。5分程度だが、花火を見るのは久しぶりだったので、ちょっと感動。気前良く、花火は毎晩やっているそうだ。その後、吉野家で牛丼を食べた後、2人と別れた。

 

 

5日

朝チェックアウトをしてタクシーでそのままウェンシャ・スパへ向かう。ここは、渡比50回を超えるフィリピン通のお客さん(仕事上)に教えてもらったところだ。お風呂とマッサージと食事がセット(680ペソ)になっているという少し風変わりなお店だ。スーツケースは受付で預かってもらえるので便利だった。お風呂は温水プールみたいなもので、日本人にしてはぬるい。その後はマッサージへ。おばちゃんに1時間しっかりマッサージしてもらった。たまには気持ちよいものだ。食事は鍋やバイキングが食べ放題だ。鍋の具材である野菜とかに蠅や蚊がたかっているのを見て食欲が失せた。のんびり過ごした後、13時にスパを出て、空港へタクシーへ向かった。帰りのフライトは定刻通り出発してくれたので、早めに帰国することができた。出発直前まで予定が決められらず困っていたが、今回も本当に良い旅になって良かった。やっぱりフィリピンは楽しいな~。私はまだまだ通い続けるのであろう。

ハノイ 2011/12 〜 2012/1

 

今回の航空券は、JTBの海外航空券販売専門サイト「トルノス」で入手した。もともとこの正月時期は高いので、海外へ行く予定は無かった。しかし、出発の約1ヶ月前に暇つぶしで海外航空券サイトをブラブラしていると、ハノイ行き35000円(燃油・税金トータルで49000円)の格安チケットを発見した。広州乗換えの中国南方航空だが、乗り継ぎ時間は行き3時間・帰り2時間とちょうど良い。思わず即決で衝動買いしてしまった。今年は暦の並びが悪く、うちの会社の休みは4日間だけだが、初出の日に休みを1日頂戴し、5日間の旅行とすることができた。ホーチミン在住の友人がいるので、旅行に行く旨を伝えると、「ハノイまで会いに行くよ」との返信。かなり距離があるホーチミンハノイをわざわざ飛行機で来てくれるとのこと。さすが現地で不動産業を起業しただけあって、行動力が違う。ともかくうれしい限りである。その他の事前準備として、ホテルは「トリップアドバイザー」という口コミサイトで評価が高かったホテルの中から、料金が安かったチャーミングホテルというところを「AGODA」で予約した。それから3日は友人が帰ってしまうので、ハロン湾ツアーを「シンカフェ」というネットで事前に予約した。英語ツアーなので25ドルとかなり安かった。(参考:日本語ツアーは最低でも60ドル)

 

1日目

関空から広州へ。広州は香港の近くなので、フライトは4時間くらい。広州では、いったん入国して再出国した。待ち時間が暇だし、パスポートにスタンプをたくさん押して欲しいという幼稚な動機のためである。空港免税店では、学習中の中国語を少し使って、店員さんと話をしたりした。ほんの少しでも言葉が通じると本当にうれしいものである。やっぱり言語を学ぶのは良いことだな~と実感。広州からハノイまではベトナム航空(南方航空との共同就航便)に乗るのだが、出発が1時間も遅れた。待っているのが暇なのと寒かったのでうんざりした。ハノイには18時半着。19時半にホテルで友人Mと待ち合わせしているので、急いで市内へ向かわなければならない。タクシーの呼び込みに兄ちゃんと交渉して20万ドンで行ってもらった。ベトナムではメータータクシーが普及しているが、メーターが細工されていたり(課金スピードが早すぎる)、わざわざ遠回りをしたりすることが多いので、事前に料金交渉する方が正解だと思う。約1時間かかってホテルへ到着。約束の時間から20分も遅れたので、Mが心配しているだろうなと思っていたら、ホテルのスタッフと他の宿泊客とともにテーブルを囲んで仲良くやっているではないか。すぐに誰とでも打ち解けるのは彼の才能なのであろう。私もその中に加わり、日本から持ってきた日本酒をみなに振舞ったりして、一緒に食事を取った。1時間半ほど話した後は、疲れて眠いので部屋に戻って寝ることにした。時間は22時だったが、時差が2時間あるので日本時間24時だ。テレビを付けると、NHKの「行く年来る年」が放送されていた。こっちの新年は旧暦だからか、年越しの実感が全く無かった。

 

2日目

前日にホテルで予約していた「ホアルー・タムコック1日ツアー」(英語、25ドル)にMと一緒に参加。バスの中でM氏と近況について情報交換する。ツアーでは、まずはホアルーという古都にある遺跡を見る。正直この手の遺跡は見飽きているので、たいしたことは無い。次にタムコックという奇岩渓谷の景勝地へ到着し、レストランで食事を取った。その後、手漕ぎ小舟に乗り込み、流れの無い渓谷を往復2時間程度揺られる。漕ぎ手のお姉ちゃんは手や足を使って上手に漕いで進む。それを見てやってみたくなったM氏が漕いでみるが、全くうまく進まない。やはり経験が違いすぎるのだろう。洞窟を3回くぐり抜けたところで舟は引き返した。M氏はその間ずっとハイテンションで、すれ違う舟を見つけては、「ハロー!」とか「シンチャオ!」とか言って何回も声を掛けまくる。うるさいからいい加減止めてくれと思っていたところ、なぜか頭が痛くなってきたらしくやっと静かになったのだった。その後、バスで戻り、ハノイ中心部へ6時頃に戻ってきた。その後は、69レストランという店でM氏と奥さんの3人で夕食をとった。その後、M氏は「今から別の友人と会うから、一緒に行こうぜ」と誘われたが、私はもはや一人になりたい気分だったので「疲れたから今日はホテルへ帰るよ」と嘘を言って、別れた。その後私は一人で、ホエンキエム湖の周りを散歩した。ライトアップが美しく、少し感動した。ホテルへ帰る途中に、たまたまM氏と出くわして少し気まずい思いをした。

 

 

3日目

10時にM氏と待ち合わせ。前日ツアーで知り合った韓国人のPARKさん(我々と同様28歳) に、彼が手がけている建設プロジェクトLANDMARK72TOWER(ハノイで一番高いビルらしい)を案内してもらうことになっていた。M氏がホテルで借りたバイクに2ケツして向かう。場所が分からないので、M氏が道中あちこちで聞いて回り、やっとのことで到着した。霧でビルの上部が見えないくらいの高さであった。PARKさんは建物の中を案内してくれ、非常に親切に教えてくれた。大企業でこれほどの大きな仕事を任される人物は、能力だけでなく器も違うなと感心した。まさにビジネス視察旅行みたいな雰囲気で、いい経験ができたな~とうれしかった。その後、バイクでホテルのあるホエンキエムへ戻った。途中に、地元の人で賑わうローカル麺屋さんで昼食を食べた。それから、ベトナム式マッサージ店へ行って時間を潰した後に、本日の便でホーチミンへ帰るM氏と別れた。その後私は一人で事前に予約していた水上人形劇場へ行った。劇の内容はさっぱり分からなかったが、水上で人形の動く様子は面白かった。どんな仕組みで人形を動かしているんだろう?前の席のごつい西洋人が子供を膝の上に乗せていた為、2人が私の視界を遮り劇がよく見えなかった。劇が見やすいようにとの親心は理解できるが、それでも心の中に多少のイライラ感は抑えることができなかった。そうこうしているうちに1時間の劇は終わってしまった。劇場を出た後は、ドンスアン市場まで旧市街をブラブラ歩いて往復した。足が疲れたので、ハノイ大教会で休憩していたら、結婚式の最中であることに気づいた。勝手に部外者が結婚式に参加できるとは知らなかった。こんな由緒ある大教会で結婚式を開くのは素敵だなと思った。ああ、結婚したい(相手いないけど・・・)。夕食はホエンキアム湖近くのタイ料理店でタイカレーを食べた。なかなかおいしいな~と思っていたら、だんだん舌がビリビリとしてきた。

 

 

4日目

ツアーで世界遺産であるハロン湾へ。ホテルで約束の時間から30分たって不安になった頃、ようやくお迎えが来た。ガイドはハさんというかわいい女の子で、一目で惚れちゃいました。さて、そのハさんに、「他にも日本人の参加者がいるよ」と言われ隣の席に案内された。そのOさんとは、意気投合してハロン湾に着くまで4時間くらい話続けた。Oさんはテレビ局で番組制作の仕事をしている45歳独身男性だ。海外旅もこれまでに取材も合わせて100回くらい行っているという経験豊富な人物である。お互いの仕事内容・過去の海外での経験について話をしていると非常に興味深く全く飽きなかった。経済状況等の真面目な話から、おねえちゃん遊び等の不真面目な話まで幅広く情報交換した。非常に博識な人だなと思ったが、番組制作という仕事柄、日々幅広く情報収集をしておかなければならないそうだ。言葉使いも丁寧で、好感の持てる人であった。ツアーはハロン湾に着くと、観光船に乗り込んだ。食事は船上で移動中に食べたが、なかなかおいしかった。船から下りると、カヤックを30分間程度漕いで、ハロン湾の景色を楽しんだ。「世界遺産たる価値はありますね」とOさんと納得しあった。その後、船で別の場所へ移動して、鍾乳洞(ティエンクン洞)の内部を探索した。16時過ぎに陸地に戻ってきて、バスで帰路に着いた。日帰りツアーだと現地滞在時間は4時間と短いので、1泊しても良いのかもしれない。帰りもバス社内で4時間ぶっ通しでOさんと話をし続けた。17歳も違うのに、この人とは友達になれる(向こうは嫌かもしれないが)と思って、驚いた。ハノイ市内に到着後、メール交換をしてから別れた。夕食は「フォー24」というチェーン店に入って、フォーを食べてから寝た。

 

 

5日目

朝早起きして、ホーチミン廟へ向かう。ホテルから歩ける距離だったので、タクシーを使うのをやめて散歩がてら歩いた。ホーチミン廟の受付で、昨日のツアーで一緒だった2人と再開し、行動をともにすることにする。開館時間まで30分くらい待って、いよいよ入場。建物の階段を登っていくと、ホーチミンが眠っている部屋に出た。遠くて照明が暗いのであまりよく見えなかったが、真っ白な顔をしていた。どういう保存方法をしているのだろうか?拝観時間はほんの30秒くらいだった。なぜ社会主義では指導者(レーニン毛沢東金日成、・・・)の遺体を保存する慣習があるのだろうか?その後は、「ホーおじさんの家」と呼ばれる住居を見学した。質素な家でホーチミンの素朴な人柄が垣間見れる。社会主義の指導者の中で唯一独裁者とはならなかったという点で、人間的に非常に素晴らしい人物であったのだと思う。その後、2人と別れた後、戦争博物館で時間を潰してからホテルに戻った。荷物をピックアップしてから、タクシーに乗って空港へ向かった。帰りのベトナム航空は遅れることがなかったので、無事広州で乗り継ぎ出来た。関空では、またしても税関で荷物検査された。パスポートにたくさん色んな国のスタンプが押してあるし、一人旅だからだろう。「出張ではありません」と答えると、「うらやましいですね」と検査官に言われて返答に困った。確かにお金も余裕あるし、休みも最低限は取らせてもらえるので、ありがたいことだなあと実感した。

 

 

今回も盛りだくさんで良い旅だったなあと思う。ハノイの冬はかなり寒かった。気温はそんなに低くないが、湿度が高いことにより、体感温度が低く感じる。服装は日本の冬と全く同じであった。毎日霧だらけで、太陽を見ることがなかったが、ハノイの冬はだいたいこんな天気なんだろうなと思う。    

セブ2回目 2011/10

 

1日目

4度目の訪比。今回もお気に入りのセブパシフィック便。マニラ~セブの航空券がプロモ料金で半額になっていた(往復5千円)ので、今回はセブに行くことにした。また、木曜日の夕方、いつもより早めに会社を抜け出して、直接関西空港へ向かう。今回は定刻どおり離陸し、マニラには0時頃到着した。さて、今夜はマニラで1泊しなければならない。ホテルは事前に予約していて、いつものグランプリホテル(エルミタ)。ホテルに向かうためのタクシーだが、クーポンタクシーは500ペソと異常に高い、公式ボッタクリ。そこで、ネットで調べておいた裏技、出発階のタクシー降り場で、市内から来たタクシーを拾うという方法にチャレンジ。現地人の真似をしてタクシーを停めた。実際、乗客を降ろしたタクシーに乗り込むと、しっかりメーターを作動させてくれた。ホテルに着いてメーターを見るとおよそ150ペソだった。安すぎてうれしかったので、200ペソ運ちゃんにあげておいた。

 

2日目

朝少し早起きして、空港へ戻り、10時過ぎの便でセブへ。1時間ちょっとで到着。台風が直前に上陸していたので少し天気が心配であったが、台風はもはや過ぎ去ってくれたようだった。空港で食事をとった後は、目の前にあるエアポートホテルへ行き、ロビーで出迎えを待つ。ダイビングショップに送迎をお願いしていたのだ。しかし約束の時間になっても来ない。心配になってホテルのフロントで電話を借りて(有料)、ショップに電話するともう少し待ってくださいということだった。さすがフィリピンタイム!今回利用したダイビングショップはS2クラブという名前の、日本人のママとフィリピン人の旦那さんが経営しているショップだ。出迎えは旦那さんが運転する車で、ショップに到着するとよしこママが出迎えてくれた。意外と地味な人だが、対応は非常に良かった。さて、着替えてボートに乗り込んでダイビングへ出発。午後の客は私だけで、インストラクター1名にボートマン2名の貸切ボートだった。本日はマクタン島周辺の近場で潜る。セブの海は正直透明度は最低。でも生き物は非常に豊富だなっと思った。アジの大群に出遭ったり、触れると一瞬にして固まる植物があったり、カップルでいちゃつくナマコみたいな生物がいたり、海の中には面白い生物が色々いるもんだなと感心した。2本潜ってから陸に戻ると4時半くらいで日が随分沈みつつあった。着替えてログブックをつけた後は、事前予約していたラプラプシティのアクシスマクタンホテルへ送ってもらった。このホテルは日本人の旦那さんとフィリピン人のママさんが経営しているホテルだ。翌朝ママさんと話をする機会があったが、非常にきさくで良い人であった。夜は、ガイサノマクタン(ショッピングモール)内のチョーキンで食事。やたら冷えた飯が出てきて、ひどいサービスだなと思った。それから、外国人相手近くのフィリピンバーへ寄ってみる。入場料を取られたが、女の子が真剣に踊っていたり、迫力のファイヤーショーがあったり、オカマのユーモアなショーがあったり、見ごたえがあった。チップを渡したりして女の子たちと話したりしたらもっと楽しいんだろうが、金無いしなんせ一人なのでちょっと盛り上がる気にはならないので、1時間ほどで退出した。日本のフィリピンバーにも一度は行ってみたいなと思った。

 

 

3日目

ホテルで朝食(日本食もどき)を食べてから、ダイビングショップの出迎えを待つ。やっぱりフィリピンタイム、10分以上遅刻してやってきた。今日は貸切ではないが、それでも客は、社会人男性2人組とリタイア後の老年カップルのみ。アットホームなダイビングショップだな。本日は、ナルスアン島というボートで40分くらいのところで潜った。セブは海が暖かいので、本当に気持ちいい。バリと大違いだ。のんびりした時を過ごして、陸に戻ってきたら既に14時くらいだった。2日間の支払いを済ませて(13500円。円高の影響もありやっぱり安い!)、ホテルへ送ってもらった。ホテルで荷物をピックアップして、タクシーでセブシティへ向かった。30分くらいでセブシティの中心地オスメニャサークルへ着いた。今夜泊まるホテルは、グランプリホテルセブ。そう、マニラでいつも泊まっているホテルチェーンのセブ支店だ。ここも非常に清潔・キレイで、値段も3000円弱と好い。ホテルに荷物を置いた後は、ロビンソンデパート中にあるラーメンレストランでラーメンを食った。高いと分かっていても、海外でついつい入ってしまうんだよな、日本食レストラン。空腹を満たした後は、マッサージへ。ネットで事前に調べて知ったトントンマッサージという店に入った。日本人のお客さんがたくさんいた。メニューの中から、1時間半で350ペソの全身オイルマッサージを選択する。薄暗い奥の大部屋に入って、カーテンで仕切られたスペースで待っていると、マッサージ師が登場。あっくそ、おばちゃんか、残念!隣から若いマッサージ師とお客さんの談笑が聞こえてきて悔しく思い、苦笑いしていると、おばちゃんが「くすぐったいの~?」とニコニコして聞いてきた。「違え~よ、お前が原因だよ。そんなことも知らず呑気なオバハンだなあ。」と心の中でつぶやくと余計に笑えてきてどうしようもなかったので、「そう、くすぐったいんだ。」とだけ無難に答えておいた。でも、マッサージは非常に気持ちよかった。日本で最近1時間=3000円のマッサージチェーンが流行るのもよく理解できた。その後は、近くのバーでサンミゲルを飲んだりして過ごしてからホテルに帰って寝た。

 

 

4日目

朝起きて、朝食はジョリービーで食べる。グランプリホテルが提携しているらしく、クーポン券をもらったからだ。その後、スーパーマーケットをうろついたりして時間をつぶして、程良い時間にタクシーに乗って空港へ。12時の便でセブを後にして、マニラへ。マニラの乗り継ぎ時間は2時間であったが、ちょうど良かった。空港チェックインは相変わらず行列ができていたので、先に昼食を取った。そしてチェックシン締切時限の45分前の間近に行くと空いており、すんなり手続きできた。前回1時間以上待たされた苦い経験を活かせたと言えよう。飛行機で明日の仕事に備えて眠ろうとするが眠れなかった。おまけに隣の爺さんの口臭が臭くて、深呼吸や咳き込む毎に、悪臭が私を襲った。だんだん腹が立ってきていた時、その爺さんが話しかけてきた。話してみると口臭を除けば普通の人であった。人間は話し合えば、憎しみは無くなるものだなあ~。日本人妻と離婚後、フィリピン人と結婚してフィリピンで年金生活をしている人物だった。フィリピン旅行中に、エレベーターガールをしていた彼女と知り合って、口説いたそうだ。「日本の息子がワシのことを理解してくれないんだよ~」と嘆いておられた(そりゃそうでしょう!)。また、逆隣りには、バックパッカーの風貌としており、フィリピン人と見間違えるほどのワイルドな日本人女性(30歳とのこと)。オーストラリアでの2年間のワーキングホリデーを終えて、日本に帰る途中にフィリピンに寄ったとのこと。キャラの濃い2人といろいろと話していると、機内では全く退屈しなかった。

 

         

バリ島 2011/8

 

計画段階

今年は東南アジア主要国のうち未踏国インドネシアの観光地バリしかないと思っていた。飛行機は直行便(ガルーダ)があるのだが、お盆のこの時期、安月給のこの身には手が出ない。ということで香港乗換えのチケットを8万円弱(燃油込み)でゲット。 聞いたことのない得体のしれない航空会社「香港エクスプレス」だ。どうやら中国本土系の航空会社で、最近起きた中国高速鉄道の事故などを見ていると、一抹の不安あり。

 

13日

夕方の飛行機の便なので朝はゆっくり寝るが、仕事の疲れがとれないのと、寝違えて首が痛いのとで、体調は不良。最近ますます体力が落ちてきて、無理できない身体になってきた。荷造りの最終確認をしてから昼過ぎに家を出た。空港では米ドルへの両替をした。17時に機上の人となり、香港到着は20時。飛行機の乗り継ぎが悪く、香港で1泊しなければならない(トランジット)。バスで、香港最大の繁華街である尖沙咀へ向かう。バスでお釣りくれないシステムは日本と比べて非常に不便。宿泊場所は、有名な「重慶マンション」。ここにはバックパッカー宿がたくさん入っており、世界各国から旅行者が訪れる人種のるつぼである。私はその中にある、welcome guesthouse(1泊170HKD)という所に泊まった。いかにも面積希少+人口過多の香港らしい、ベッドのみの狭苦しい部屋であるが、清潔なのと最低限設備が揃っているので、我にとっては全く没問題。夜の散歩する前に、重慶マンション1Fに並んでいる両替商のうちの一つで両替。この時、疲れていたのでレートを見るのが面倒で、適当に道路から見て一番手前に位置する両替商で両替した。翌日に気づいたのだが、ここのレートは他の両替商に比べてかなり悪い(1割くらい毀損)。詐欺と言ってもいいくらいのレートだ。両替商が10くらいあるので、競争の原理からどこも大したレートの違いはないと思っていたのだが、やっぱりレートはしっかり見ないといけないと反省。全て確認したところ、道路に面する2店舗のみぼったくりレートだ。たしかに立地がいい分多少レートはよいのは分かるが、このレートの乖離はひどすぎる。こんな悪どい商売していたらリピーターは絶対にない。リピーターの来ない店は潰れるというのが私の持論なのだが。この場所については一見客ばかりだから、私のような間抜けな人間を何人か騙せれば利益が出て事業を継続できるのだろうか?ちなみにその2店舗の店員は中国人で、他の店舗は全てインド人でした。恐るべし中国人の商売魂。さて話を戻して、アベニューオブスターズまで歩いて行き香港の夜景を鑑賞。香港は去年も訪れたばかりの場所なので、大して感動は無かった。

 

14日

朝から香港島に渡り、上環界隈をうろつく。文武廟ウェスタンマーケットやキャットストリートを散歩した。気温は真夏の日本(現在)に比べると少し涼しい。お昼はピザ屋さん(イマイチ)で食べて、食後は、台湾から進出してきたジュースチェーンでタピオカジュースを買って飲んだ。午後は九龍半島に戻り旺角を散歩した後は、荷物をピックアップして空港へ。19時の便でバリへ向けて出発。フライト時間は5時間で時差は無し。バリへ行くのに香港乗換えのルートは、さほど遠回りしないので合理的だと思う。飛行機は香港航空という、香港エクスプレス航空の関連会社らしい。この2社のフライトアテンダントはびっくりするような美人が多かった。きっと顔重視採用なんだろうね(でも接客も良かった)。バリ到着はちょうど日が変わる時間帯。空港出るまでに両替商が並んでいてレートは全て同じ10000ルピア=107円。桁が多くてややこしいが、換算はだいたいゼロ二つとればいいと覚えればよいだけ。あらかじめホテルのピックアップをお願いしていた(80000ルヒ゜ア)ので、出迎えの運転手がいた。早速乗り込み、今回滞在するサヌールリゾート地区へ向かう。20分くらいでホテル(bali senia hotel)到着。このホテルは1泊170000ルピアと、ホテル料金の高いバリにしては格安。でも、虫だらけの劣悪な環境のホテルだったらどうしようかという不安もあった。おそるおそる部屋に入ってみる。そしていました「イモリ」。すぐに逃げていったが、いきなり1匹見つけたのでギョッとして、今後が不安になった。だが、結局それ以降室内で見かけることは無かったし、そもそも町中至る所にイモリがいるので、見慣れて気持ち悪いという感情もなくなってしまった。部屋の設備については、空調もホットシャワーも冷蔵庫もテレビもあるので、全く問題無く6日間滞在することができた。唯一の問題点は、電気を全部つけても暗いことくらい。これは安いから仕方ないか。

 

 

15日

バリトップツアーという旅行会社で3000円のツアーを申し込んでいた(本来2000円ツアーなのだが、一人参加なので+1000円となった)。内容は、午前中にゴア・ガジャ遺跡・テガラランライステラスを寄った後に、午後からウブドで自由行動、晩にお迎えという内容。朝9時に送迎車が到着。リリスという「女の子っぽい名前をしている」けど、「耳毛がボウボウのおっさん」がガイドである。別に運転手もついていて、客は私のみの専用車。これでも採算が取れるのだがら、いかにバリの物価が安いかということが分かる。途中ガムランボールや絵画の店に寄ってもらったが、何も買わなかった。ゴア・ガジャは、普通の遺跡で特筆すべきことは無し。テガララン・ライステラスは、時期的に収穫を終えて、ただの段々畑になっており、こちらもほとんど感動無し。私がつまらなそうな顔をしていたためか、耳毛ガイドはインドネシア語では、指輪のことを「チンチ○」、お椀のことを「マン○」と言うんだ、と要らん情報を教えてくれた。13時にウブドに到着して、これからは自由行動。ウブド王宮で、19時からのレゴンダンスのチケットを購入(80000ルピア)した後は、レンタサイクルを借りる(40000ルピア)。そして険しい坂道を走って、ネカ美術館へ向かう。入場料50000ルピアとやや高いが、展示されている絵画は多く見ごたえがあった。その後は、ブランコ・ルネッサンスミュージアムへ。こちらも50000ルピアと高い。入口でおいしい蜂蜜ジュースを無料でもらえたのは良かったが、展示絵画は×。アントニオ・ブランコ氏の絵画は、なぐり描いたような絵で、中途半端な感じがして私も趣向とは合わなかった。それから、プリ・ルキサン美術館(無料)へ。これもネカ美術館の小さいバージョン。それからグヌン・ルバ寺院へ。この寺院では毎晩ケチャダンスが行われているようで、レゴンダンスではなくこちらのチケットを購入すれば良かったと少し後悔。夕食は、カフェ・ワヤンという森の中のような趣向のレストラン。ここでは、インドネシアの代表的料理ナシチャンプルを食べた。早い時間であったこともあり客も少なく、最高の雰囲気の中ゆっくりくつろげた。味も良く値段も安いので、ぜひオススメしたいレストランだ。さあ、お腹いっぱいになった後は、レゴンダンスを見ようかと会場のウブド王宮に行くと、今日はセレモニーがあるから別の会場に変更になったというではないか。その会場がまたどこにあるのかよく分からないので、探すのに大変苦労した。入場券を提示することはなく入場でき、買って損した気分だった。レゴンダンスはもともと宮廷舞踊で、色鮮やかな衣装をまとった女性たちの優美な踊り。カンボジアでも同じような踊りを見たな~。21時過ぎに迎えが来てホテルへ帰った。

 

 

 

16日

今日から3日間ダイビング。申し込んだダイビングショップは「バリインターダイブ」。まず2日間はアドバンスライセンス取得コース(教材込み255ドルと安い)だ。天気は曇りで風も強い。最近こんなことが多いな、「はぁ・・・」とため息が出た。8時に送迎あり、5分程度でサヌールビーチへ到着。そこからボートでヌサペニダへ行く。同乗者は同世代のカップルばかりで、一人参加の私は居心地の悪さ抜群だ。ところでボート出発前に、「酔い止めは大丈夫か?」とバリ人インストラクターから聞かれて、「大丈夫だ」と答えたのが失敗だった。バリの海は荒く、ボートの揺れは半端無い。クリスタルベイに着いて、レンタルのウェットスーツを履く。なんと他の体験ダイビングはみなロングスーツなのに、ライセンス取得コースの私だけはなぜかショートスーツだと言う。1本目を潜る。冷たい!南国で何でこんなに水が冷たいのだ?あまりに寒くて、潜っていても周りの風景を楽しむ余裕など全く無く、少しも楽しくない。しかも、ボートに戻ってからは 激しいボートの揺れで気分が悪くなる。もう帰りたいくらいだが、2本目を潜る。寒くて生命の危機を感じる。ボートに戻ると今度は吐き気が襲う。意識を失いそうな中、無理矢理3本目を潜る。水面に戻ってきたら波の揺れで再び気持ち悪くなり、レギュレーター咥えたまま終にゲロゲロ。これで吐き気はおさまったが、ボートに戻ってからも風が強くて寒かった。元々クリスタルベイは水が冷たく、特に今の時期(乾季)は水温が低いというのが分かっていながら、ショートスーツしかレンタルできないというこのダイビングショップの対応に腹が立った。知らなかったのだがロングスーツをレンタルするには、事前に伝えて別途5ドル必要らしい。このシステムは少なくとも顧客重視思考ではないと言えよう。ホテルに帰ってからは、あったかいシャワーを浴びて、ボートの上で配られたが食べられなかった弁当を食べた。少し回復はしたがやはりまだしんどかったので、晩までテキストを読んで出された宿題をやって過ごした。夕食は、近くのラーメン屋「ごんた」へ行った。ラーメンは確かにおいしかったが、日本と同じくらいの値段して高かったので、それ以降は行かなかった。

 

17日

3日間の予定だが、もうダイビングが嫌いになり明日のダイビングをキャンセルしようと思っていたが、まあ今日終えてからまた考えようと思った。酔い止め薬をもらってしっかり飲み、それから迷わず5ドル支払ってロングスーツにした。ポイントは同じヌサペニダであるが、北側のポイント。ここは昨日とは一転して南国の海で暖かい。やっぱり泳ぐなら暖かい海だな~。楽しいなと思って泳いでいると、ウミガメ登場!ゆっくり泳ぐ姿は最高にかわいい。さらにその数分後、前方からマンボー登場!少し遠かったが、ぷかぷかと間抜けに流されている姿を見れた。インストラクターも喜んでいて、ボートに戻ってからもずっと話題になっていたので、なかなか毎日潜っていてもマンボーに遭遇するのは珍しいのだろう。そういう点では、非常にラッキーでした。船酔いもなく昼食弁当(毎日同じ焼き飯)をおいしく食べた後は、ボートを移動して2本目を潜る。昨日と一転して楽しい1日であった。ホテルに戻って一服した後は、夕方からサムールのリゾートエリアを歩く。メイン通りには、レストランやお土産屋が立ち並んでいる。途中ハーディーズというスーパーを発見して、そこで職場等へのお土産物をじっくり時間をかけて調達。その後、夕食は「米米(MAIMAI)」という寿司レストランに入る。50%半額キャンペーンで値段も安そうに思えたので入ったのだが、日本米を使っており味良し、ネタはやや小さいが量も良し。おまけに食後にはサービスでワラビモチを出してくれた。店は清潔で、店員の愛想も良く、食べていて幸せな気持ちになった。こういうのが、顧客のことをよく考えた最高のサービスだなと思った。

 

18日

ファンダイビングの日。本日はボートで、マンタポイント(マンタを見れる確率が非常に高い)に行く予定だったが、波が高いため中止となった。代わりに昨日のポイントの近くに行くことになった。マンタを見れなくなったのは残念だが、暖かい海で泳げるので良しとしよう。相変わらず流れは強い海で体力は消耗するが、きれいなサンゴ礁を堪能できたし、ウミガメにもまた会えたので良かった。この日はたまたま日本人インストラクターも乗っており、話をしたのだが、「もともとは日本で事務員をしていたが、嫌になってこの仕事についた。給料は日本と比べるとかなり安くて日本に帰れないくらいだが、毎日楽しく暮らせている。」と言っていた。まあ、サラリーマンしていると気持ちはよく分かるな~。帰りのボートに乗っている時ふと思ったのだが、「ひょっとしたら今オレは人生で一番幸せな時期かもしれない」と。プライベートでは、お金の余裕もあるし、こうやって頻繁に大好きな旅行をすることができる。また、仕事の方も、職場の雰囲気も悪くないし、慣れてきて自分でいろんなことができるようになってきたので楽しいと思うことすらある。もちろん仕事なので、実に嫌なことも多いし、忙しすぎて心身の体調不良もあるが、以前に比べるとずいぶんマシだ。彼女でもいたらもっと幸せなんだろうな~。さて話を戻して、ホテルに戻ってから一服した後は、サヌール散策。絵画が欲しいと思っていたが、あまり魅力的なものは無かった。1つだけこれはという大きな絵画があったが、1万円以上するので手を出せなかった。夕食は、店頭でサテー(焼き串)を焼いており、店内が少しお洒落なレストラン。もちろんサテーセットを注文し、これがまたおいしかった。それにしてもバリ人の店員の愛想のいいこと。いつも笑顔で、日本人の丁寧すぎる接客態度とは少し違う。この国は居心地が本当によい。

 

 

19日

ラフティングの日。8時に送迎が来て、トゥラガ・ワジャ川へ向かう。同乗者はオーストラリア人3人組。いかにもオーストラリア人という感じの陽気でフレンドリーな人々。バリに2週間滞在する予定とのこと。それだけ長期の休みが取れる国の人々がうらやましい。ちなみにバリ島はオーストラリア人の観光客が一番多い。なぜなら地理的にかなり近いから。さて、車は1時間以上かかってようやく到着。そしてオーストラリア人たちと同じゴムボートに乗り込み、ラフティング開始。ガイドから「FORWARD(前漕ぎ)」「BACKWARD(後漕ぎ)」「WATCH OUT HEAD(頭上注意)」と頻繁に指示が飛んでくる。小さな川に多くのボートが下っているので、よくぶつかる。そして、別のボートに対してパドルを使って水をぶっかけたりして、お互いに必死だ。本当に愉快な2時間であった。ボートを降りて山道を登ったところにあるレストランで昼食。おいしいバイキングで、食べ過ぎたくらいだ。ホテルに戻ってしばらくすると、お迎えが来た。滞在中に知り合ったバリ人に「タナロット寺院に行きたい」とか「ケチャックダンスを見たい」と言ったところ、運転手を紹介してくれた。結局250000ルピアでケチャックダンスを見れるウルワトゥ寺院に行くことになったのだ。 夕方4時に出発して、1時間ちょっとでウルワトゥ寺院へ到着。ここには猿がたくさん生息している。最初はかわいいなと思っていた。カメラを奪われたりするらしいので、カメラにはよく注意していた。そして写真を撮っているときにそれは起こった。よく構図を見てシャッターを押そうとしたところ、さっと横を通り過ぎるものがあった。ああ~、びっくりしたなと思っていたが、アレ何か変だ?あっ!猿がオレの眼鏡を持っている!そして折り曲げようとしたり、かじったりしている。おいおい!やめろ!取り返そうとすると、現地人が「待て」と言って、何か食べ物を猿に投げた。そうすると猿は眼鏡を手放したので、回収できた。ほっとしてありがとうと言うと、「チップ」というではないか?何か恣意的なものが感じられたのでチップは渡さなかった。そうやっていつも餌をやる人間が待機しているのを知っているから、猿はいつも観光客の眼鏡やカメラを取り上げるのではないかと思ったのだ。つまりは共犯者と言ってもおかしくない。その一件のせいで、その後はずっと気分が悪かった。その猿だけでなく、ここにいる猿を全員マジでしばき上げてやりたい気持ちになった。ちょっと眼鏡を傷つけられただけでこれだけの憎悪を抱くのだから、中東問題で親族を殺された人たちに憎しみを忘れろと言っても無理なのがよく分かった。怒りを静められないまま、ケチャックダンスの開始時間6時になった。上半身裸のおやじ達が30人くらい登場。ひたすら「ケチャ、ケチャ、ケチャ、ケチャ、・・・・」と言ってる。一人一人の顔を見ていると、明らかに近くに住むおやじ達がちょっとした小遣い稼ぎのために出てきているというような様相である。ハゲのおっさん、デブのおっさん、チビのおっさん、やる気満々のおっさん、と色んな親父達が見て取れる。その他、オカマのレゴンダンサー(なぜ女性のレゴンダンサーを使わない?)も登場して何か気持ち悪い。夕陽が沈んでからは、藁に火をつけたりして盛り上げる。1時間だけのショーであったが、なかなか楽しいものであった。ホテルへの帰りに、ジンバランのシーフードレストランに立ち寄る。海辺の砂浜でシーフードを食べるというお洒落なレストラン街である。私はその中の一つ、ガネーシャ(ヒンドゥの神様の名前)というレストランに入って、シーフードナシゴレン(いわゆる焼飯ね)を食べた。これがまた、味付け最高でシーフードがコリコリとして旨い。波の打ち寄せる音を聞いて、近くの空港に離着陸する飛行機の様子を見ながら、最高の雰囲気である。一人だというのがちょっと寂しいなと思っていたところ、犬が私のテーブルの下に寄って来て、座り込んだ。そして犬はこちらの視線に全く気にすることなく、私の足元でスヤスヤと眠りこんだ。その姿を見ていると癒される気分であった。

 

 

 

20日

最終日はサーフィンのレッスンだ。バリ・ツアーズというところで申し込んだが、催行会社はOBBサーフスクールというところだ。朝予定より30分も早く迎えに来た。もう1組ピックアップしなければいけないかららしい。たまたま用意ができていたのですぐに出れたが、そんなのあり?サーフィンをするのは、波が穏やかなジンバランビーチ。昨日のレストランの近くだろうか?レッスンはバリ人インストラクターのマンツーマンレッスン(60ドル)だ。日焼けがやばそうなのでたっぷり日焼け止めを塗った。教えてもらいながらサーフィン開始。最初はすぐにこけてしまったが、何度かやっているうちにできるようになってきて楽しい!ただ、波が高いので沖の方へ戻るのが本当に大変。何度も押し戻されるし、鼻や耳に水が入ってくるので、それだけで体力が消耗してしまう。30分くらい楽しんだ後は、休憩して2回目30分。その後、昼食弁当(ナシチャンプル)。インストラクターは26歳とかで、ビーチボーイというイメージとは異なる、見た目地味な感じの男だ。ウェットスーツはボロボロで、糸で縫っている箇所もある。サーフィンやり始めて10年になるが、値段が高くて買えないからずっと使っているとのこと。波が無い日以外は毎日サーフィンしており、仕事でサーフィン教えた後も、プライベートでサーフィンする。毎日サーフィンしないと、「ああ~、サーフィンしたい!!」と身体がウズウズしてくるというサーフィンきちがいだ。本当に愉快な男である。昼食後3回目をして、終了。日本でもサーフィンはまたやりたいな(調べてみるとサーフスポットが和歌山にあるらしい)。シャワーがあると思っていたのだが、シャワーはないと言う。私が「それは困る」と言うと、「あっちのほうで有料でシャワーを借りれるよ」と地味サーファー。助かった。ホテルはチェックアウトした後だからシャワー使えないし、ベタベタした身体で夜まで過ごしたくないから。ちなみに最後、ホテルに戻ってきてお金を払う際にオリジナルTシャツ(サイズSだから僕着れないよ・・・)をもらった。飛行機の時間までは、またぶらぶらサヌール散策。まず例の寿司レストランに行って小腹を満たした後は、ビーチ沿いを散歩。ヒンドゥ寺院が私には珍しいので見ていておもしろかった。その後、ビーチ沿いの店先で店員の女の子に声をかけられたので、話をして時間つぶしをした。フローレス島というインドネシアキリスト教地域から出稼ぎに来ているそうだ。ちなみにバリは観光地だから、こういう別の島から出稼ぎに来ている人が多いらしい。日本人観光客は全く英語を話せないから日本語を勉強したいそうで、簡単なフレーズを教えてあげたりした。30分くらい話して別れた後は、ちょっとした絵画を買ったり、お洒落なレストランに入ってミーゴレン(いわゆる焼きソバ)を食べたりして時間をつぶした。ほどよい時間になると、ホテルで荷物をピックアップして、空港へ。空港では、待ち時間にラウンジで時間をつぶした。シャワーを利用したかったので、チケット(800円)をバリ・トップツアーで購入したものだ。ただ、このラウンジ客が多すぎて座るところがない。たまたま見つけた席に座ると、日本人カップルの向かい合わせる格好。気まずい雰囲気になるのが嫌なので、こちらから声をかけた。2人は新婚旅行でバリに1週間来たとのこと。いいなあ~新婚さん。深夜12時に飛行機は香港に向けて出発。香港でいったん出国。近場を観光することも考えたが、体力なく断念。代わりに空港内で味千ラーメン(味が薄かったのか旨くなかった)を食べたりお土産店を見たりして時間をつぶした。日本へ帰ったのは16時。暇な両親が関空に迎えに来てくれていたので、帰宅が楽チンでした。

 

 

<総括> バリはホスピタリティたっぷりの居心地の良い場所。少し日本から遠いというのは難点であるが、また訪れたいor住みたい場所である。

マニラ2回目 2011/6

 

3回目の「放屁」、じゃなかった「訪比」。今回もセブ・パシフィックで31648円(燃油・税金等込み。フィリピン出国税750ペソのみ含まず)でチケット入手。(1ペソ=2円)

 

1日目(木)

朝、仕事に行く前に会社の最寄り駅に立ち寄る。「よ~し、入った!」旅行カバンが駅のコインロッカーに入った瞬間、ほっとした。仕事が終わった後に家に帰る時間がなく、会社から空港に直行するため、駅に旅行カバンを預けておこうと考えたのだった。まあ会社に置いておくこともできたが、職場の人に見られるのもバツが悪いので、この方法にした。前日突然発生した2件の急ぎの案件を死に物狂いで処理して、無事計画通り18時に退社できた。金曜日に休みを取得させてもらい、たいした嫌味も言わず送り出してくれた上司に感謝。関空で食事を取り、少し遅れて飛行機は出発。マニラの空港に着いたのは、深夜0時を回っていた。ホテルまでは、定額制タクシーのエアポートタクシーを利用。エルミタまで520ペソ(一定)。ホテルは、前回と同じく、グランプリホテル。清潔だし、安い(1500ペソ)し、お気に入りのホテルだ。

 

2日目(金)

アンへレス視察。アンヘレスは、ゴーゴーバーが立ち並ぶ歓楽街として有名。行き方はネットで調べていろいろあるのだが、鉄道でモニュメント駅まで行き、そこからビクトリーライナーというバス(120ペソ)で向かう方法を採用。この方法だとすぐに高速道路に入ることができるので、1時間でアンヘレスまで到着できた。しかし、アンヘレスのどこに到着したのかよく分からない。とりあえずジプニー乗り場のおばちゃんに聞いて、ジプニーに乗り込む。どこで降りたらいいのかさっぱり分からなかったので困ったが、運転手さんが降りる場所を教えてくれた。ホテルはフィールズ・アベニュー近くの便利な立地であるオーキッドインというところ。スタッフがフレンドリー(いかにもフィリピン人という感じ)で、安い(1600ペソ)。少し部屋で休憩した後(もはや年寄りなので無理はしない)は、ゴーゴーバー巡り。いくつかの店は昼間でも開いている。ただ、女の子たちも客も少なくて、全然盛り上がりがなくてつまらない。座席に座ると、ウェイトレスが話しかけてくる。それで「ドリンク奢ってよ」とくる。客のドリンクが100ペソだが、女の子が飲むドリンクがその倍の200ペソくらい。奢ってやりたいがキリがないので基本的に奢らない。奢らないとしばらくして去っていくが、中にはずっと話をしてくれる子もいたりした。そういう子には現金で100ペソくらいチップをあげれば良かったな、とあとで後悔。こんな所で小金を惜しんではいけない。それから、バラマキ用のチョコレートがあれば良かっただろう。日本のチョコレートは人気があるらしい。夜7時くらいになると、全ての店が開きだした。フィールズ・アベニューは、タイのソイ・カウボーイと似ているなと思った。

 

 

3日目(土)

朝から、マニラに戻る。トライシクルでダウバスターミナルまで行き、そこからファイブスターバスでパサイ(140ペソ)まで。高速を降りてからは、マニラ中心地の渋滞のため1時間くらいかかった(トータル2時間)。まずはその日泊まるホテルへ荷物を置きに行く。本日の宿はパサイの「ピノイ・パミリヤ」というホテルで、やや高い(2000ペソ)が、空港から近いし交通の便は良い場所だ。ホテルで少し休んでから再出発。フィリピン人の友達と会い、昼飯を食った後は、マラテ地区のマニラ動物園へ。元々たいして期待していなかったが、結構刺激的な動物園だった。何か珍しかったかというと、ヘビが鶏を絞め殺している光景を目撃できる点。さらにすごいのが、ヘビがヒヨコを丸呑みしている光景。その光景を、近くに放されている他のヒヨコが数匹固まって、怯えるような目つきで見ているのだ。「次に食べられるのは自分だろうか?」そんな絶望的な心境が予想される。それにしてもなんと残酷な光景なのだろう。もし、動物愛護団体の方がこの光景を目撃したら、間違いなくマニラ動物園を徹底的に攻撃することだろう。さて、動物園でちょっと興奮した後は、今度はメトロポリタン美術館へ行った。ここは入場者は私たちだけで、シラケタ美術館であった。その後は、FX(メガタクシー)で移動して、マニラ一大きな市場であるバクラランマーケットへ。ここはものすごい人だかりで、夕暮れ時であったので、スリには用心しながら歩いた(実際に、スラれたのか、青ざめて騒いでいる現地のオバちゃんを見かけた)。夕食を食べた後は、友人と別れてホテルへ戻った。

 

 

4日目(日)

フライトの時間まで何もやることがないので、とりあえず行ったことがないマカティ市へ行く。マカティはマニラで最も発展しているビジネス街である。ショッピングモール内にあるスーパーでいろんな商品を見て歩いた(マーケティング)。スーパーでは在住者らしき白人をよく見かけた。ショッピングモールを一歩外に出ると、強烈な高気温・高湿度が私を襲う。春の気候の日本から来た身にはつらい。そんな時に、マックやジョリービーのコークフロート(コーラにアイスクリームが乗っている)は最高。日本では250円くらいしそうなものが、なんせ25ペソだからとにかく安い。物価の安い国で住みたい・・・。その後、ホテルへ戻って預けておいた荷物をピックアップして、タクシーで空港(200ペソ)へ。色々話しかけてくれるいい運転手さんで安心だ。空港に到着して、200ペソを支払った時少し残念そうだった。サービスが良かった時には、約束の金額よりもほんの少しでも多めにお金を渡すべきだなと学んだ。日本円では安いもんだし、お互い気持ちよく別れることができるからね。空港にはちょうど2時間前に到着したが、チェックインカウンターに並んで1時間も丸々待たされた。いくらフィリピンでもそれはないだろう。待たされるのが大嫌いな私は終始イライラしたが、やっぱり私は日本人だなと自覚。チェックイン済ましたら、時間がなくなったので急いでラーメンを食うことになった。ところで、手荷物検査場で、危険物として折り畳み傘を没収された。ユニクロの千円傘だからまああきらめがつくが、まさか折り畳み傘が引っ掛かるとは思わなかった。そんなこともあったが、やっぱりフィリピンは最高!安い・近い・楽しい。まだまだこれからも行くつもり。

 

沖縄 2011/4

 

スカイマークエアラインのHPで沖縄行きの航空券を購入。さすがLCC、行き9800円+帰り7800円=合計17600円と経済的。そもそも今回なぜ沖縄か?沖縄の離島の海は世界的にも有数の美しさだと何度か聞いたことがあった。「きれいな海で泳ぐ」が今回の旅のコンセプトである。いろいろ検討した結果、慶良間諸島の中でも一番手軽な離島である渡嘉敷島に行くことを決めた。今回はダイビングではなく、経済的なシュノーケリングを楽しむことにした。事前にウェットスーツやライフジャケットを購入。ダイビングマスクも度付レンズを購入するなど、しっかり装備は揃えて臨んだのだが・・・。

 

前日夜。

仕事から帰って、インターネットで天気予報を見る。結果は、・・・金曜(その日)は晴れ、土・日・月は全て雨、火曜以降は晴れ。あまりの自分のついてなさに愕然として、絶望した。雨の中どうやって泳ぐんだよ・・・。よく考えれば、島と私はこれまでとことん縁がなかった。すぐに思い浮かぶだけでも、利尻・礼文島伊豆大島、韓国済州島とこれまでさんざん天気に嫌がらせをされてきた。とりあえず天気予報が当たらないことを祈るものの、失意を抱えて寝た。

 

1日目。

スカイマークの発着空港は、神戸空港である。神戸空港を利用するのは今回が初めて。小さな地方空港といった様相だが、新しいだけあって建物がきれい。今回荷物はバックパックに詰め込んだ。やたら重く感じるので、機内預かりの重量オーバー(15キロ以上)にならないかなと少し心配していたが、実際計量では11キロ程度であった。大学生時代は、11キロを担いで山登りするなんて屁みたいなもんだったのに、老いぼれたものである。飛行機は12時の便で、那覇空港到着は14時。那覇空港からはバスで泊港へ。そこから渡嘉敷島への船が出ているのだ。35分であっという間に到着。時間はすでに夕方5時。ネットで宿泊予約(素泊まり3500円)したシーフレンズというペンションの送迎車に乗って、阿波連地区へ。山がちな地形を通る1本道を行くと10分ほどで到着。ペンションの部屋に荷物を置いてからは、ビーチや集落や展望台を散歩。空は雨こそ降らないが、どんよりと曇っている。日が暮れる頃に、ペンションの食堂へ行って夕食をとった。食堂は8時に終了するというから驚きだ(島の夜は早い)。食事は1500円の定食だ。さすがに海鮮料理がおいしい。それにスタッフも親切だ。この人もサラリーマン生活に疲れ果てて、この島にきて働くようになった人なのかな?なんて勝手な想像をしてしまった。腹いっぱい食った後は何もすることがないので、部屋に戻り、テレビを見たり持参した本を読んだりして過ごした。島人の生活に倣って、いつもより早めに就寝。寝る前にテレビで天気予報を確認したが、明日の天気は「曇りのち雨」。くそう、やっぱり駄目か・・・。

 

 

2日目。

ペンションで朝食を食べた後に、ビーチへ。天気は辛うじて持ちこたえており、太陽が時々雲の隙間から顔を見せてくれるくらい。装備を装着して海へ・・・冷たい!ウェットスーツを着ていても、やっぱり4月だとまだ寒いな~。特に手は、手袋をしていなかったので冷たかった。心配していた度付ダイビングマスクについては、ちょうどいい度数だったので一安心。少しずつ沖の方に向かって泳いでいくと、海は確かにきれい。所々にカラフルな珊瑚礁もあり、その周りにはかわいい熱帯魚たちがたくさん泳いでいた。ウミヘビらしいのもいたし、土を掘ろうとしていた変な魚も見かけた。満足しつつも、これで晴れていたら最高の光景なんだろうなと、少し残念だった。ずっとそこでじっと泳いでいたかったが、体が冷えてあまり長時間水中で滞在できなかった。結局2時間くらいビーチにいた後、いったん部屋に戻った。シャワーを浴びて服を着てから、再びビーチへ。ビーチで12時半から海開き大会が開かれるのだ。開会の挨拶の後は、消防署によるヘリコプターを使った海難救助のデモンストレーションが行われた。その後、村長の挨拶の途中で、雨が降り出してきた。子供たちによるテープカットの頃には雷も鳴り出して、その時点で大会は中止。その後予定されていた民族踊り等は無しということに。ちょっとした暇つぶしになるかなと思っていた海開き大会もほんの30分程度で終了。雨の中、海と山以外に何もないこの島でこれから一体どうしたらいいのだろう。阿波連地区は端から端まで歩いて1分くらいの小さな集落で、食事処やみやげ物屋すらほとんどない。とりあえず出店で海鮮塩焼きそばを買って、お気に入りの展望台に行って食べた。そこでのんびり過ごそうとするが、30分で限界だ。その後は仕方ないので、部屋に戻ってテレビを見てボケッと過ごす。これも1時間で限界。せめてインターネットがあればよいのだが。あまりに暇なので、耐えられなくなって予定を切り上げて本島に帰ろうかとかなり悩んだ。はるばる旅行に来て、部屋の中で半日もテレビを見て過ごすなんてアホらしすぎる。でも、明日の天気予報では「曇りのち晴れ」だから、午後に少しだけ泳げそうだ?せっかく離島にまで泳ぎにきたのだからと、何とか思いとどまった。ええい、こうなったら、大雨の中、自転車で島内探検強行だ。ペンションで自転車を借りて(無料)、傘をさして出発。集落を出ると、すぐまわりは山だ。上り坂が急でとても漕げないので、自転車を押して歩く。20分くらいで峠まで出たが、展望もない。雨でびしょびしょに濡れており、もはやいやになり、ついに決意した。本日の船で那覇に帰るぞと。クルっと引き返して、ペンションに戻る。スタッフに予定を変更して帰る旨を伝えると、「レイトチェックアウト料として2500円いただきますがよろしいですか?」と言われた。さすがにそれはちょっと高すぎるなと思ったので、「もうちょっと安くなりませんか?」と言って、1000円負けさせた。

5時の高速船で出航。那覇に着くと、「リトルアジア」という怪しいバックパック宿に向かう。ここは、ガイドブックで事前調査済みだった。ドミトリーで寝るほどもはや若くないので、社会人パワー(金)を発揮し、個室1泊2500円にする。その後、国際通りをぶらつき、夕食としてゴーヤーチャンプルを食ったり、お土産を買ったりして過ごした。

 

 

3日目。

観光スポットといってもたいしてないので、朝遅くまで寝る。10時くらいに出発して外に出てみると、太陽が顔を出し始めている。なんとも憎たらしい。やっぱり昨日は我慢して渡嘉敷島に留まっていれば、今頃はビーチで泳いでいただろうと思うと何とも悔しかった。でも、昨日はどうしても我慢できなかったんだから仕方がないと、何とか自分を納得させようとした。とりあえず近くにある第一牧志公設市場を散歩する。ここでは、これまで見たこともない南国特有の色鮮やかな魚が売られていた。その後は、壷屋やむちん通りを散歩することにした。いよいよ空は晴れてきて、今からレンタカーでも借りて、本島にあるビーチにでも泳ぎに行こうかと本気で思ったが、今更感がありありなので止めた。壷屋やむちん通りには、陶芸工房が並んでおり、陶芸製品のお洒落さに興味を抱いた。その後、リトルアジアでレンタサイクルを500円で借りて、那覇市内をぶらぶらサイクリング。昼食は、JEF(沖縄のファーストフードレストラン。車のJAFではない!)でゴーヤバーガーを喰らう。その後は、波之上ビーチという人口ビーチを見に行ったが、とても狭いビーチで、すぐ近くには工事をしており、よくこんなとこで泳げるなと思った。それから、栄町市場という昭和の時代を思わせるような商店街にも行った。良く言えばレトロな、悪く言えば寂れた商店街である。あまり記憶がはっきりしないが、自分が小さかった頃はこんな感じの商店街もあったような気がする。夕方近くにリトルアジアへ戻り、自転車を返却。その後は、沖縄モノレール「ゆいレール」で空港へ向かう。空港で夕食を取ろうとレストラン街を歩いていると、1年前に家族で入った中華料理屋を見つけた。それを見て、私はもう情けなくて泣きそうな気分になった。やっぱり一人旅は寂しいや。特に今回の旅は完全に失敗・敗北の旅であったので、余計にその気持ちが強くなったと言える。もう国内一人旅はよそうか、そう思って沖縄を後にした。

 

 

結語

アウトドア・アクティビティは天候に支配されているという点で、短期旅行ではこういう結果になることが多い。対策としては、雨が降った場合のことを想定して、事前に別の遊び方を考えておくことが必要だろう。あるいは、何もせずに本を読んだりして部屋でのんびり過ごす覚悟をすることが必要かもしれない。近いうちにバリ島(また島)に行こうと思っているが、今度こそ天気に期待したい。

②前からスローライフに憧れており、将来は田舎でのんびり暮らしたいと思っていたが、それは自分には無理だろうと認識した。まず、渡嘉敷島にいる時、束縛感で息苦しさを感じた。自由を重んじる私にとっては致命的。あまりにも行動範囲が狭い上、やることがなさすぎる。生まれたときから自分は都会育ちで、便利な生活に慣れているので、ある程度の都市機能を持った場所でないと生活しずらそうだ。それから、あまりにスローライフなのも、人生の充実感という観点からすれば考えものである。生きがいというのが感じられないだろう。かといって、忙しすぎるのも精神衛生上良くないし、やはり何事においても「ほどほど」が大事なのではないかと思う(これ、結論)。

マニラ 2011/2

 

セブに次いで、フィリピン2回目。最近、レアジョブ(英語オンラインレッスン)で毎日フィリピン人と話をしており、フィリピン独特の魅力に取り付かれそうな今日この頃です。飛行機は格安航空会社(LCC)のセブ・パシフィック航空。関空~マニラ直行往復で3万円と安い。一度LCCを利用したら、もはや普通の航空会社に乗ろうと思わなくなってきた。しかも。木曜晩発で日曜夕方帰りなので、要は金曜1日だけ休暇を取ればいいのだ。マニラと言えば、貧困による犯罪多発地域であり、アジアの中で最も危険な町だと思うが、何事もなく私は無事に帰ってこれるのだろうか?

 

1日目。

会社は制度休暇を取得。夕方いつものように南海電車関空へ向かう。泉佐野駅での乗り換え時間が長く、寒くて体調を悪化させたような気がした。南海電車は本数が少なく嫌いだ。夜8時40分のフライトで関空を飛び立つ。フライトアテンダントは全員フィリピン人で、エキゾチックな顔立ちが美しい。LCCなので、機内食はもちろん出ないし、ソフトドリンクさえも有料だ(安いが)。ついでに言うと、預け荷物は15kg(一般的には20kg)までである。さて、4時間ほどのフライトで深夜にマニラへ到着。深夜到着便の外国人を狙った犯罪が多発しているので、入国審査場を過ぎると心の中は警戒モードへ切り替わった。まずは、両替(1ペソ=2円くらい)して、その後は携帯電話のSIMカードを購入。これにより、フィリピン国内で現地料金により電話やSMSメールができるようになるのだ。そして、ホテルに向かうべく、クーポンタクシー(割高だが安全)を探す。見つからないので、SIMカードの売り子に聞いたところ、空港係員らしき人物を呼んでくれた。値段を聞くと、「エルミタまで750ペソ」。歩き方には500ペソがクーポンタクシーの相場と書いてあったので、高いなと思ったが、「安全はお金で買うもの」と割り切り、相手の言い値で手を打った。(今から思えば、「やっぱり少しは値切れたかな?」と少しだけ後悔)。まあいずれにせよ、タクシードライバーはまともな人物であり、無事にホテルに着いた。今回泊まるホテルは、外国人旅行者地区であるエルミタにあるグランプリホテル。1泊3000円とフィリピン相場ではやや高いが、その分セキュリティ面・清潔面で快適なホテルだったと言えると思う。(滞在中、部屋の掃除が全くなかったのはマイナスポイントであるが・・・。)その後、外出し、近くのセブンイレブンへ水を買いに行った。やはりマニラの夜道を一人で歩くのは怖かったが、大通りを歩いている分には車がたまに走るのでまあ何とか安全かなという印象だった。

 

2日目。

夜が遅かったので、朝はゆっくり寝ようと思っていたが、一度目が覚めるとなかなか眠れずしぶしぶ起床。朝食込みなので、ホテルのレストランで朝食を食べる。目玉焼き・ウインナー・ガーリックライス・オレンジジュースとシンプルだが、必要かつ十分な朝食に満足した。部屋に戻って排便を済ませると、いざ出陣。ルネタパーク界隈を歩く。寝不足のせいでもあるが、風邪が治っていないようで体調が良くない。真冬の日本からいきなり南国に来ているので、本来ならばかなり暑く感じられるはずなのだが、むしろ寒気がするくらいだ。途中、国立博物館に入る。そこに何があったかいまいち覚えていないが、入場料無料の割にはなかなか良い博物館だと感じた。その後は、最高級のマニラホテルへ向かう。何の為か???ここのロビーで、13時に友達と待ち合わせをしていたのだ。友達というのはレアジョブで知り合った先生ROMSだ。私は13時ちょうどに到着して少しロビーで待っていると、彼女は少し遅れて到着した。始めて会うので、最初ROMSは少し緊張したような面持ちをしていた。第一印象としては、背が低いなと思った。FACEBOOKの写真しか見たことがなかったので、やっぱり実際に会ってみると印象が違うものだ。何度もスカイプで話をしていた仲なのですぐに打ち解けた。まずはすぐ近くにあるオーシャンパーク(水族館)に向かう。最初アシカショー(英語でSEALIONと言うらしい)を見たのだが、その待っている間に、日本で買ったデジカメをプレゼントした。最近のデジカメは安くでそこそこいい物が買えるし、ちょうど良いお土産だったのではないかと思う。私もROMSからアクセサリーと本(聖書の抜粋みたいなの)をもらった。アシカショーが終わって、次に館内に入ろうという際になって、ROMSのチケットがないことに気づく。さっきプレゼント交換している際に、落としてしまったらしい。結局見つからなかったが、オーシャンパークのスタッフたちの計らいで、チケットを購入した時に受け取ったレシートだけで水族館に何とか入場させてもらえた。水族館では、日本では見たこともない奇妙な水中生物だらけで、非常に充実した水族館だったと思う。また、「これは変な形の生き物だ」「この名前の由来は~だからだそうだよ」といろいろ会話のネタとなったのは非常に良かった。オーシャンパークを後にして次に向かったのは、MOA(MALL OF ASIA)という馬鹿でかいショッピングモールへ向かった。その内部にはアイススケートリンク場があり、ROMSにスケートを体験させてあげることになっていたのだ。私はスケートが決して上手とはいえないが、転ばずに1周くらいはできるので、ROMSを支えながらゆっくり滑ったりして楽しんだ。その後、MOA内の吉野家で牛丼や(肉うどんならぬ)肉ラーメンを食べてから、帰ることにした。帰りはジプニー(乗り合いトラックみたいの)とLRT(高架鉄道)を使って帰った。ともにマニラの公共交通機関で、始めてなので良い経験になった。ROMSと別れてホテルに戻ると、睡眠不足であったためかいつも以上に寝つきが良く、朝まで爆睡できた。

 

 

 

3日目。

今日もROMSと約束をしているが、大学(フィリピン大学)で試験があるそうなので、会うのは夕方からだ。それまでは、一人で歴史的遺跡であるイントラムロスを観光だ。エルミタからイントラムロスがあるマニラ地区までは近いので歩いていける距離である。まずは、シラヒス・センターという土産物ショップでお土産を買った。ここはいろいろなものが売られており、ちょっとした博物館だ。その次はサンオウガスチン教会。なんとなぜか門が閉まっており中に入れなかった。世界遺産にも登録されている代物なので、非常に残念。次はマニラ大聖堂。観光客であふれかえっていた。教会というのは、歩き疲れたときに休憩する場所としては最高の場所だなといつも思う。だから私はキリスト教が好きだ。(仏教も穏やかで地味な宗教という意味で私は好きだが。)最後に、サンチャゴ要塞。廃墟が残されているイントラムロスの終点だ。さて、時間を見るとちょうど1時。まだ4時までは時間があるので、歩いて行けるチャイナタウンエリアに向かうことにした。ジョンズ橋を渡るといきなりそこはチャイナだ。漢字がよく目に付く。古びた建物が多く、治安が悪そうな雰囲気があり、夜は絶対歩きたくないと思った。ビノンド教会とという教会で休憩したが、そこでは結婚式が行われていた。その後、キアポ地区へ行き、キアポ教会へも行ったが、そこでも結婚式がとり行われていた。キリスト教徒が教会で結婚式を挙げるのは非常に素敵だ。(それに比べて、キリスト教徒でもない日本人が教会で結婚式を挙げるのはなんだかしっくりこない。そう感じるのは少し僻みの入っている私だけであろうか??)その後は、LRTにてエルミタまで戻った。遅い昼食として、ジョリービー(マクドナルドのフィリピン版)でスパゲッティを食べた。その後、ホテルに戻りしばらく休憩。もはやこの歳になると一日中観光するという「全力観光」なんてできない。少しは休息が必要だ。ROMSとは4時に、私のホテルのロビーで待ち合わせしていた。少し道に迷ってしまったそうで、30分遅れて到着した。そして一緒にFXという乗り合いタクシーでスターシティ(遊園地)に向かう。水族館・アイススケートとくれば、次のデートスポットは遊園地だろう。そこでは、ウォータースライド、3Dアトラクション、お化け屋敷、フリーフォールなどを楽しんだ。極めつけは、スイングする海賊船。これは最高に気持ち悪くなる乗り物であり、降りた後フラフラしたが、女の子と仲良くなるにはいい乗り物だと言えるかもしれない。その後、チョーキン(有名中華チェーン)で遅い夕食を食べてからROMSと別れてホテルへ帰った。

 

 

4日目。

ROMSと10時に待ち合わせ。でも今日も来たのは30分遅れ。これがフィリピンタイムなのかなと思うと同時に、私にはそれくらい時間にルーズな国の方が堅苦しくなくて良いと思えた。やはり老後はフィリピンで暮らそう。近くのロビンソンコンプレックスというショッピングモールへ行き、スーパーマーケット探索。結局何も買わなかったが、外国のいろんな製品を見るのは楽しいものだ。ホテルに戻って荷物をピックアップした後は、2人でタクシーに乗って空港へ。帰りは250ペソ。まあこれくらいが妥当だろう。しかし実際、フィリピン人価格ではメーター利用で77ペソだったらしい(ROMS談)。行きは深夜と言えどもさすがにボリ過ぎ。空港では、最後に日本の千円札や日本から持ってきた土産物を渡したら、喜んでくれた。チェックイン後、日本食レストランで昼食を食べた。今回の観光では、チケットも交通費も食事代も全て私が払ってあげた(当然だが)ので、しきりに感謝していた。感謝されるのは気恥ずかしいものだから、「日本円に換算すると大した金額ではないよ」と言ってみたが、あんまり効果が無かった。そしてフライトの時間が迫ってきて、出国検査場前でお別れの挨拶をすると、ROMSはなぜか泣いていた。スペイン人の血が入っているのか美しい瞳をしているなと思って、思わずキスしようとした。がしかし、「あれっ!?」うまく交わされ、チークキスとなった。確かにシチュエーション的にはチークキスだが、そもそもフィリピンにもチークキスの文化ってあるのか?(スペインの文化が混ざっているので、チークキスの文化があってもまあ不思議ではないが・・・。)私は少し動揺してしまって、そのまま別れを告げてトボトボと検査場へ入っていった。この漫画みたいな光景は、いかにも自分らしいなと思うとおかしかった。その後飛行機に乗り込んでからは、いつもの旅のようにどっと疲れが出て、もはや死ぬんじゃないかというくらいクタクタだった。明日の仕事のためにエネルギーを蓄えるため、眠ろうとするがなかなか眠れなかった。どうも飛行機では熟睡できないタチらしい。