小さな冒険日記

青春時代を記録したものです。

マレー半島 2009/9

 

(準備)

今回の旅行は、出発前から一悶着あった。まず、今年は9月に5連休(シルバーウィークと呼ばれてる)があるので、有給休暇を1日分付加して6連休で、大好きな東南アジアに行こうと企てた。そんな時期の航空券はべらぼうに高くなるのが常なので、早めに安めの航空券を取った。)その後、会社の上司に休暇を申請する段階になって、上司に承認されないという事態に・・・。確かに多少叱られることは覚悟していたが、ここまで散々怒られるとは思わなかった。私の徹底抗戦もあり、なんとか最終的には承認をしていただいたが、精神的に苦しんだ。上司には迷惑をかけて悪かったなという気持ちもある。

さて、そこまでして行きたかった場所というのは、マレー半島周遊。航空券は、ANAのサイトでトータル45000円ほどでシンガポール往復便を取ったのだった。シンガポールからクアラルンプール(以下、KL)まで往復する旅程に決めた。

 

1日目。

前日に仕事でトラブルが発生して、その対応に追われて夜10時まで働き、その日の朝も激務であった。体がくらびれきった状態での最悪な出発となった。17時半のフライトで、機内で爆睡できるかと思いきや、あまり眠れず疲れは取れなかった。シンガポールに着いてからは、12時を回っていたため公共交通機関が終わっており、仕方なしにタクシーでホテルに向かった。深夜割増(50%)料金で、1500円の出費である。

 

2日目。

朝はゆっくり寝たかったが、イマイチよく眠れず、起きて行動開始。マーライオンとか、アジア民族美術館とか回った後、12時半にfairmount ホテルへ。ここのハイティで、ネットで知り合ったシンガポール人と会う約束をしていたからだ。仕事の繁忙のため、電話番号を書いたメモを忘れてきてしまったため困った。結局はハイティカフェで予約名簿に名前が載っていたため、電話をしてもらい、出会えることができた。30歳の女性スーアンさんで、私が東京に帰った次の週末に、東京を案内するという、いわば相互観光ボランティアみたいなもんだ。そこのハイティは、単なるホテルのブッフェランチという感じで、味も雰囲気もイマイチであった。その人の分もおごってあげたので、到着早々5000円と痛い出費と相成った。その後、セントーサ島へ。まずマーライオンタワーへ行ったが、高いだけでたいしたことは無い。その後、ビーチ沿いを歩いて、水族館へ。チケットは水族館とイルカショーセットになっていて、水族館よりイルカショーの方が閉まる時間が早いということで、無料バスに乗ってイルカショーにまず行く。そこでイルカショーを30分ほど見た後は、再び水族館に戻った。水族館には日本ではあまり見られないような生物がたくさんいた。その後はナイトサファリに行くことになっていたが、すでに時間が遅かったこともありタクシーを使った。ナイトサファリはなかなか良い。真っ暗な中、ジャングルを歩いているような感じで、なかなか素晴らしいと思う。ただ、そのころの私はくたびれきっていて、もはや帰って休みたい気分であった。頭が完全に麻痺したように回らず、英語は全くしゃべれない上に聞き取れない・・・。しまいにはスーアンさんがなけなしの知識で日本語で無理して伝えようとしたので、私は大変情けない気持ちになり、申し訳なく思った。明らかに仕事の疲れが取れておらず、今の仕事に腹が立った。ナイトサファリは深夜12時まで開いているが、結局閉園時間ぎりぎりまでおり、夕食もそこで12時半くらいに食べた。バスはもはやないので、再びタクシーでホテルへ帰った。

 

 

3日目。

睡眠時間は4時間半ほどで疲れはとれないが、8時発マラッカ行きのバスに乗らなければいけない。バスは日本で予約しており、38Sドルとそんなに安くないが、広々した車内は豪華そのもの。マラッカまでの4時間は快適な時間であった。ここで国境越えについて説明しておく。まず、コーズウェイ橋の手前で、バスから降ろされ、シンガポールの出国手続をする。その後バスに乗りこみ、橋を渡った後は、再びバスから降ろされ、今度はマレーシアの入国手続を行う。今回は荷物もチェックの為、バスから降ろさなければいけない。それで国境越えは終わり。マレーシアに入ってからは、シンガポールでの風景とは打って変わって、ひたすら南国植物が生い茂る草原を突き進む。時折小さな川なども渡り、なんとものどかな風景であった。マラッカには、12時過ぎ頃、ホテルエクアトリアルに着いた。荷物をどこかに預けなければならないので、ためしにそのホテルで預かってくれるか聞いてみたところ、あっさりOK.これでマラッカでの不安要素1は解決。さて、不安要素2であるが、それは両替。その日はハリラヤという祝日で、日本でいうところの元日に相当する。つまり街中の両替所は閉まっている。まずはショッピングモールを2つ回ってみるが、ともに両替所閉まっているとの回答。望みを託して観光案内所で聞いてみるが、明日にならないとどこも開いていないとの回答。絶望的に気持ちになったが、ホテルならあるであろうと重い、2件目(ホテル・プリ)で実際に両替ができた。レートもそんなに悪いとは感じなかった。さて、観光開始だというところだが、観光箇所は軒並み閉まっている。バスガイドさんが、本日はハリラヤなので、ALL CLOSEDと言っていたが、まさにその通りであった。無料のサンチャゴ要塞以外はどこにも入れなかった。1日でもずれていたら開いていたのに、つくづくオレはついていないな、と思った。そんなことで、観光は短時間で終了。おなかが空いたので、ショッピングモール内のフードコートでチキンライスを食べた。チャイナタウンでマラッカ名物のおにぎり型チキンライスは長い行列の為、食べれなかった。しかしここで食べたチキンライスは、チキンのクオリティがかなり高く普通においしかったので満足した。その後、まだ時間が十分あったので、カルフールでおみやげ物をぶらぶらして見て回った。これは、というものはなかったが、とりあえずばら撒き用のチョコレートとキャメロンハイランド紅茶を買っておいた。さすがにもう行くところがないので、ホテルに戻り、荷物をピックアップ。マラッカバスターミナル(マラッカ・セントラルという)までバスで行くつもりであったが、ホテルのお兄さんがバス停まで遠いから、タクシーで行けと言われた。15リンギット(=500円未満)であったので、まあいいかと思った。バスターミナルでKL行きのバス(transnational)を買おうとするとカウンター近くに立っていたお兄さんが、「バスはこっちだ、おいで。」と言われたのでついていってバスに乗って、お金を払った。しかし、チケットをくれない。しかも乗客はまだ誰もおらず怪しい雰囲気を感じた。チケットを渡せといっても、運転手だから大丈夫だというが、証拠もないので、やっぱり返せと言って返金させた。そしてチケットカウンターでチケットを買った。結局のところ、確かに運転手はその強面の兄貴で、問題はなかったということだが、あの状況下では疑わざる終えない。ひょっとすると、インドのせいで、まだ人を信じられない気持ちが残っているのかもしれない。実際、会社に入るお金をちょろまかす運転手であったのかもしれないが。2時間ほどでバスは停車する。道路標識に「KL ●km」とありもう少しだなと思っていると、突然停止して、「終点です、降りてください」というから驚いた。ここからどうやってKL中心部にいけばいいのかと辺りをさまよっていると、「ちょっとおいでよ」と食事中の人らが合図をしてきた。そちらに向かうと、彼らと話をしていると、まだここはKLではなく、バスに乗って中心部まで行かねばならぬということが分かった。その後、バスのスタッフがこのバスに乗ればいいと教えてくれたので、無事KLの中心地にあるプドラヤバスターミナルにまでたどり着くことができた。ただ、そこから今夜の宿泊場所(pondok lodgeというホステル)のあるブキビンタンまでがどうやっていけばいいのか分からなくて、タクシーに乗るのも悔しいので、1km以上の距離を歩いてたどり着いた。その後、チェックインして荷物を置いた後は、夜の街に繰り出した。「すしキング」という日本食チェーン店で定食を食べた。ここKLは、街中がきれいし、レストランもたくさんあるし、ショッピングモールもたくさんあるし、物価の安い割には洗練されている。この街に私はいつか住みたいと思った。さて、ホステルの部屋に戻ると、愕然とした。ものすごい騒音。建物自体が振動しているほどの騒音。ナイトクラブが真下にあるに違いない。フロントに行って、部屋を変えてくれというも、部屋が無いと言う。通常は1時半くらいに終わるから我慢してくれと言われ、いったん引き下がるが、半端無いうるささであるので、本当に1時半に終了するのかも不安だったので、部屋を変えてくれと再度言いに行くと、ドミトリーに寝ても良いというので、しぶしぶそちらに移動した。そこはまだましだが、それでもまだ騒音は聞こえていた。

 

 

4日目。

朝起きて、朝食を食べた後、チェックアウトした。本来2泊の予定だが、こんな場所にはもはや泊まれないと思ったからだ。宿の人が静かな部屋があるからもう1泊しないかというので見せてもらったが、それでも多少は音漏れするであろうと思われたので、やっぱり止めた。その後、すぐ近くの格安ホテルであるcomfort in というところに行って予約した。その際、地球の歩き方を手に持っていたので、10%割引してくれた。なかなか良いホテルのようだった。さて、観光開始であるが、まずは観光オフィスを訪れた。クアラスランゴールの蛍観賞ツアーを申し込む為である。15時から23時のツアーで、190リンギット。15時くらいにここへ来れば、ドライバーが呼びにくるということらしい。15時まで5時間くらいあるので、ちょっと遠くのバトウ洞窟というヒンドウー寺院に行くことにした。LRTの駅からローカルバスに揺られること30分。洞窟に到着。長い階段を暑い中ぜいぜい言いながら登ったところに洞窟がある。なかなか良い感じで来た甲斐はあったと満足。再びKL中心地に戻り、KLCCのフードコートで焼きそばを食う。これもまた普通においしくて、マレーシアの飯は日本人の口に合うと思い、ますますマレーシアに住みたい気持ちが高まった。程よい時間になったので、観光センターに戻る。15時になっても、誰もうんともすんとも言わないので不安になって受付の美人のお姉さんに聞いて調べてもらっている途中にドライバー登場。おせえよ!まだそろっていないので、しばし待ってくれと言われ、待つこと40分ようやく出発。全部でツアー客は5人で、内4人が日本人である。35歳くらいの女性と、30歳くらいのカップルである。車はワゴン車で、ガタガタの道をぶっとばすので、みんな頭が揺れまくりである。第一の停車場所はムラワティの丘である。ここは、展望がいいと言われているがまあ普通で、それよりはあほほどいる猿を眺めているほうが楽しかった。1時間の自由時間があったが、そんなに時間は必要ないのでやや退屈。その次の停車場所は、シーフードディナーである。大勢の人で賑わっていて、料理もまあまあイケた。みんなでわいわい話をしながら食べた。最後の停車場所は、蛍観賞のスランゴール川である。長い行列の為、30分以上待たされ、ようやくボートに乗り込むことができた。ボートは15分くらいで川の蛍生息地を回る。地球の歩き方に書いてあるように、クリスマスのイルミネーションみたいで、木々にくっついている多数の蛍が小さな光を放っていた。確かに幻想的な雰囲気で、良い経験ができたとみんなで喜んでいた。その夜は、ホテルを変えたので、静かに安眠することができた。

 

 

5日目。

この日は、2年来の文通友達に会うことになっていたのだ。名前はサラで、22歳の女の子。私はたくさんの人とこれまで文通してきた。大概は途中で終わってしまうのだが、なぜかこの人とは相性が良いのか、今まで続いてきた。だから、実際に会ってみたいと思ったのだ。朝8時にKLセントラル駅で待ちあわせした。8時過ぎになって、背の小さな女の子が登場。お互いすぐに分かる。ムスリムだから、スカーフで頭は隠している。まずは朝早いこともあり、朝食を駅構内のレストランで食べる。そこで、「初めて会うのにお互いのことをよく知っていて、変な感じ」とかいう他愛もない話をする。食べ終わってからは、レイクガーデンに行く。国立博物館で散策した後、国立プラネタリウムとマレーシアイスラム美術館に行ったが、ともに祝日ということで閉まっていた。最後に国立モスクに行ったが、こちらは建物の中に入れた。その後、歩いてムルデカスクエアまで行く。マレーシアもやはり暑い。マスジット・ジャメに入りたかったが、やはり祝日ということでムスリム以外の入場を断られる。それからサラに連れられるままに、インド人街を抜けて、そごう(百貨店)へ。日本食レストランでランチを食べようと約束していたので、サラが日本食レストランを調べてくれていたのだった。眺めの良い窓際の席で日本食を楽しんだ。お腹がいっぱいになったところで、今度はセントラルマーケットに向かった。セントラルマーケットには骨董品などおもしろいものがたくさんあり、私はもっとゆっくり見たかったが、サラが足が痛いと行っていたので、さっさと切り上げた。まだ時間があるので、KLタワーに上ろうかということになった。KLタワーは38リンギットとガイドブックに載っている値段よりかなり上がっていたが、まあ仕方ない。ただ、登るだけでなく、小さな動物園にも入れ、ポニーにも乗れ、レーシングシミュレーターもでき、アトラクションが満載だったのでよしとしよう。もう帰ろうとしたが、外国人たちがロープアドベンチャーで楽しんでいるのを見て、サラに「これやりたい?」って聞いてみた。「NO、高いから。」30リンギットで約900円くらい。確かにマレーシア人にとっては3000円くらいの価値にあたるので高いであろう。実際、外人しかこのアトラクションを楽しんでいるのは外人ばっかりで、マレーシア人は誰もやっていなかった。私は別にやりたいとは思わなかったが、日本人にとってはたいした金額ではないからサラに経験させてやりたいと思い、「やろう」と言った。実際はリンギット現金切れでサラに60リンギット借りることになった。2回も空中散歩することができ、スリルがあり楽しめた。その後、ビキビンタンの両替所で両替してお金を返そうとしたが、サラは10リンギット札だけ受け取って、50リンギット札を断固として受け取らない。「朝食も昼食も他も全部おごってもらったから、今回は私のおごりよ。」仕方ないから、別れ際にリンギットが余っても仕方ないからと言って、後でまとめて渡してやろうと思ってその場は引いた。ビキビンタンのホテルで荷物を回収してから、KLセントラルへ一緒に向かう。そこでチキンライスのディナーを食べて、とうとうお別れ。余ったお金だけじゃなく、鍵に付いていたぬいぐるみのキーホルダーとか、いろいろあげたら喜んでいた(と思う)。そして改札口でお別れ。握手を求めたら、はずかしそうにちょっと手を出してすぐ引っ込めてた。お互い最後まで手を振っていた。なんか頼んないし、大丈夫かなとついつい心配したくなる妹みたいな人でだった。シンガポール行きの列車に乗ってから、もう2度と会うことはないんだろうなと思い、なんとなく寂しくなって涙が出た。北朝鮮の離反家族の気持ちに近いかな、なんてよく分からんことも思ったりした。涙が出るなんて疲れているのかなと思った。

 

 

6日目。

早朝、寒くて目が覚めた。冷房効きすぎ。ジョーホールバルに停車した後は、国境のマレーシア側で停車し、検査官が車内に入ってきてパスポートをチェックして回った。その後、シンガポールに入ってからは、全ての荷物を持って車外へいったん出て、入国手続をした。終わった後は、再び車内に戻り出発。8時半にシンガポール駅に到着。そこから歩いてスーアンさんのオフィスに向かう。荷物を預かってもらうことになっていたのだ。スーアンさんに再会して、荷物を預かってもらった後は、すぐ近くのマクスウェルフードコートで一緒に朝食を食べる。スーアンさんに任せて出てきたのが、お粥とさしみで、これがまたおいしかった。シンガポールとマレーシアは飯がうまい。スーアンさんと別れた後は、仏教寺院や美術館を回って、お腹が空いたらショッピングモールのフードコートでミーゴレン(やきそば)を食ったり。何もやることがなくなってしまったので、午後は涼しいショッピングモールをぶらついたりして過ごした。6時半にスーアンさんのオフィスに戻り、弟さんとその彼女と一緒に4人でイーストコーストフードコートにチリクラブ(蟹)を食べに行き、その足で空港まで送っていただいた。スーアンさんとは東京での来週の再会を約し、空港で別れた。空港ではシャワールームがあることを知っていたので、そこで丸二日分の体の汚れを落とした。23時半のフライトに乗ってこの旅を終えた。翌日は、さっそく午後からうっとおしい会社に出勤したのだった。

 

インド周遊 2009/8

 

年1回の長期休暇を利用してインド一人旅に行くことにした。やっぱりインドは人口世界2位の大国だから、一度は行かねばならないと学生時代から思っていたのだった。航空券は、デリー往復航空券とベナレス~デリー片道航空券のセットで、トータル92000円。インド国内移動手段としてて、鉄道Eチケットをウエブサイトで購入。ホテルは全て日本からメールベースで予約した。

 

1日目。

12時のフライトで成田を発つ。機内では、仕事の疲れが残っていた為か、よく眠れた。約8時間かけてデリーへ。時差が3時間半(中途半端!)もあるので、まだ夕方である。空港ではトーマスクック200ドル両替したが、なんと手数料で20ドルも取られた。信じられないボッタクリである。さて、悪名高いデリー空港であるから、身構えるが特に話しかけてくる輩もおらず一安心。インドも発展とともに治安がよくなったのかな~とのんきにも思い込んでしまった。実は空港でインド人の友人(サンジャイ)と待ち合わせをしていた。彼は去年日本で働いていて、富士山も一緒に登ったこともある良きハイキング仲間であった。ただ、昨今の世界恐慌の煽りを受けてインドに帰ってしまったのだった。その彼とインドにて感動の再開である。さて、空港で彼の姿を探すも見当たらない。そこで、事前に聞いていた電話番号をかけてみるが、つながらない。せっかく海外専用の携帯電話を購入したのにどういうことだ???仕方ないから、公衆電話でかけることにする。電話会社らしき人物が声をかけてきて、代わりにかけてくれる。そしてすぐにサンジャイにつながったようで、外に出たところに車を止めているらしいと教えてくれた。お金を払う段階になって、電話会社の男は「いい時計をしているな。くれ。」と言ってきて、ばかかお前は、と思い一蹴する。細かい金がなかったので、近くの店で水を購入して支払った。外に出るとサンジャイの車が止まっていて、久しぶりの再会を果たす。サンジャイの車というと、ぱっと見ただけですさまじいと分かった。車体が汚れているのは当然として、ドアは鉄板部分と内部のプラスチック部分が剥離しかけている。さらにサイドミラーは両方とも内側に折れて、今にも千切れそうにぶらぶらしている(これは後で理由が判明する)。こんな車を日本で乗っていたら、どんなに貧乏人なのかと思ってしまうが、インドでは車を持っているだけで相当お金持ちなのである。さて、私を乗せたサンジャイの車は市街中心部に向けて快走する。まだ時間が早かったこともあり、デリーを車で案内してもらった。私は機内で爆睡した甲斐あり、さほど眠くない。まずデリー門を観光。想像よりもインドはきれいだななんて思っていた。「ここはニューデリーだからだよ。オールドデリーに行けば、本当のインドを知ることができるよ。後で、オールドデリーのバザールを見せてあげるよ。」なんてサンジャイは言っていた。その後、日本からメールで予約したホテルへ連れて行ってくれる。そのホテルまで行くのに、サンジャイはやたらに狭い路地を走ろうとする。そのホテルはメインバザールという大きな通りだぜ。絶対間違っているわって思っていると、ホテルはたぶんこのすぐ近くだから、歩いて探してみなと言う。そんなアホなと思っていたが、確かにそのホテルは細い路地に存在していた。さっきまで車で走っていた。狭い凸凹の道がメインバザールなのかと分かると愕然とした。その後、ホテルにチェックインした後は、引き続き車でレストランに連れて行ってもらう。人とリクシャーと牛でごった返す狭い道をサンジャイCARはひたすらノロノロと進む。1時間以上も乗っているので、他にもうちょっとマシな車道があるはずだが、と思っていたが、サンジャイはバザールを僕に見せるために、わざわざ車で通過してくれたのだと後で分かった。こんな道を車で通っていたら、そりゃサイドミラー折れるわな、とそこでサンジャイCARの謎が解けたのだった。実際街中で見かけた車はすべて、「耳」が折れていた。やっとのことでレストランに到着し、そこでインドカリーを食べた。まあまあ名の知れたレストランらしいが、見た目は汚い食堂だ。とにかく食べた後は、今度はまともな車道を通ってホテルまで送ってくれた。明日朝また会う約束をして、その日は別れた。さて私が泊まったホテルは、ボロボロでこれをホテルと呼んでも良いものかと思わされる代物である。ただ冷房はしっかり効くのでまだましである。着いたのが夜10時くらいだったので、急いでシャワーを浴びて寝た。

 

 

2日目

朝、メトロに乗って、サンジャイちの最寄りの駅まで行く。切符を購入する時に大きな金額の紙幣を出して、50ルピーちょろまかされた。メトロの職員ならまともだろうと思っていたのが、甘かった。インドでは、警察であろうが、善人であろうが、信用ならない。話は戻って、約束の時間よりもずいぶん早く到着してしまったので、30分ほどボーっと待っていた。とうとうサンジャイがバイクとともにやってきた。そう、今日はバイクでデリー郊外を案内してもらう約束だったのだ。ヘルメットを付けてサンジャイの後ろに座っていざ出発。しばらくして自動車専用道路を走っている時はスピードも速くさすがに怖かった。このバイクが転んだり、バイクから滑り落ちたら、重傷を負うだろうと容易に想像できた。実際、サンジャイはその翌週、大きなバイク事故を起こして、3週間入院の憂き目をあったそうだ。バイクではまず、南インドの人たちのためのヒンドウ寺院というところに連れて行ってもらった。ガイドブックには載っていなかったが、悪くなかった。それからマクドナルド(インドではビーフハンバーガーしかない)で昼食を食べて、世界遺産クタブミナールへ向かった。近くにサンジャイお気に入りのハイキング道があって、そこを通って20分くらいでクタブミナールにたどり着けるが、歩いてみるか?と聞いてきた。OKしたものの、実際歩いてみると暑くてたまらない。この時期のデリーは真夏ではないにしても、日本人からすればかなり暑い。真夏は連日40度はゆうに超えるらしい・・・。まあやっとも思いクタブミナールに着いた。料金は外国人は250ルピーで、現地人はたった10ルピーだ。インドの観光地はすべて外国人料金が設定されていて、この金額がバカ高い。正直ぼったくりだなと思える金額である。政府までそんな状態だから、一般市民も外国人からお金を巻き上げることをちっとも悪いと思っていないのであろう。また、愚痴ってしまった。さて、クタブミナールといっても高い塔がドンと立っているだけであり、猛暑の中だだっぴろい敷地内を歩くのは一苦労だった。その後、ロータステンプルへ向かったが、なんと休館。ついていないが仕方ない。そこで代わりにサンジャイは豪華なヒンドウテンプルに連れて行ってくれた。ガイドブックに載っていなかったが、新しくきれいで見ごたえはあった。無料なのは良いが、入場するのにカメラと手荷物を預けなければいけなく、時間がかなりかかったのは嫌になった。そして日が暮れてきたので、最後にサンジョイの家でご馳走になった。サンジャイ母の作るカレーは絶品であった。別れ際におみやげまでもらった。ガネーシャの置物である。ガネーシャというのは、象の頭をもったヒンドウー教の神様である。おかしな風貌をした特徴的な神様で、私が覚えることができた唯一のヒンドウー神様である。メトロの駅まで送ってもらい、そこでさようならをした。サンジャイは本当にやさしい男だな。そういうオーラがでている人物であると彼の後ろ姿を見て思ったのだった。

 

 

3日目。

一人さびしくデリー観光の1日である。ホテルを出て、まず地下鉄に乗るため、ニューデリー駅の方へ向かう。しかし、国鉄ニューデリー駅の構内を通過しないと、地下鉄ニューデリー駅に行けないらしい。通過しようとすると、駅員らしき人物が、チケットがないと入場できないという。「まず地下鉄1日券を買うといい、コンノートプレイスにあるツーリストオフィスで買える。」と言って、近くにいるタクシーを呼んで、「友人だから、50ルピーで連れて行ってやってくれ」と言って、値切ってくれた。今思えば確かに怪しい展開であるが、彼は駅員であるようだし、全く怪しい人物のような雰囲気はなかったから、つい信じてしまった。タクシーは乗ってほんの数分で目的地に到着。連れてこられたのは、旅行会社。このとき、やっと騙されたのだなと悟った。地球の歩き方に、しつこいくらい「旅行会社に注意!」とあったからだ。旅行会社の人物は、やはり日本語が上手であり、「どこを旅行するつもりか?」「ホテルは決まっているか?」といろいろ聞いてきた。間違いなく悪徳旅行会社であると確信してから、「すべて予約済だ」と言って退出した。その後、すぐ近くのコンノートプレイスでぶらぶらしていると、来るわ来るわ詐欺師たち。「どこへ行くつもりか」「私は英語を勉強している学生だ」「近くのツーリストで無料のマップがもらえるよ」などと皆同じようなことを行ってくる。平日だというのに、こいつらはぶらぶらして外国人を騙すことばかりしてふざけた奴らだと、日本で毎日激務をこなしている私は憤慨した。こんな楽して儲けようとする奴らに一銭もやってはいけない。その後、地下鉄に乗って、ジャマーマスジットへ向かった。たどり着くまでにバザールを通過したが、恐ろしく道路が汚い。また、ボケーっと道端に座りこんでいる人たちが異様に多い。「何をしているんだろう?とりあえず働けよ。いや、人口が多すぎて職がないんだろうか?」などと思った。さて、ジャマーマスジットであるが、残念ながらここでインドが嫌いになる。まず入り口で靴を脱げと言われる。同時にカメラ持込料として200ルピーも取られる。インド人でカメラを持っているような人はいないので、これは明らかに外国人から金をせしめる為だ。また入り口で頼んでいないのに、ガイドみたいなのがついて来て、しきりに身振り手振りで説明しながら(英語は全く話せないらしい)、カメラを取っていってくれる。一回りすると、お金を請求してくる。200ルピーと言ってくるが、相手にせず30ルピーでお引取り願う。絶対にこいつらに大金を渡してはいけない。ますます外国人をカモにして、楽して儲けようとする輩が増えるからだ。真面目に働いている人がバカを見るような世間にしてはいけない。我々外国人は、インドでの物価が約10分の1であるという事実を決して忘れてはいけない。さて話は戻って、その後、ミナレット(塔)に登ることにする。入場料は100ルピー払う。そして塔の階段に登るところに人が待ち構えていて、「靴は塔に持ち込むことができないから、ここに置いていけ。20ルピーだ。」ふざけるな、さっき入場料支払ったではないか?無視して通りすぎようとするも、しつこく言ってくるので結局支払う。ミナレットのてっぺんは風が心地良い。レッドフォートの広大な敷地が見える。入りたいな・・・。しかし、本日は入れない。昨日サンジャイの家でくつろいでいる時に、ガイドブックに月曜日休とあったのに気づいた。つまらないヒンドウ寺院に行く代わりに、今日レッドフォートに行けばよかったと思ったのだった。休みを事前に確認しておかなかったことをかなり後悔した。さて、一人オールドデリーの町並みを眺めていたのだが、下からさっきの20ルピー野郎が欧米人夫妻を連れてきてガイドしだした。私は降りた。モスクを出る前に、インド人の真似をして、池で足や顔を洗ってみたら気持ち良かった。さて、出ようかと思って出口に向かっている途中、「はっ、しまった、靴を履いてしまっている。」と気づいて、すぐに靴を脱いだ。だが、奴らは見逃していなかった。「罰金を払え。200ルピーだ。」私は「ごめん、忘れていたんだ」と、両手を合わせて申し訳そうにしたが、奴らは容赦なかった。無視して通りすぎようとすると、「ポリスに連絡する」と言った。逃げ切れるかもしれなかったが、インドはなんせ信じられない国だから、怖くなって結局支払った。非常に気分の悪い思いをした。インドの通貨ルピーにはガンディが載っている。ガンディは身分の低い貧しい人たちを救うために一生懸命訴えた人物である。そして今、その貧しい人たちがガンディの描かれた紙幣を手に入れるために、さまざまな汚い手を使ったり、人に嫌な思いをさせたりしている。皮肉なことである。それともガンデイは、金持ちからお金を巻き上げることだけは許容するのであろうか?さてその後、近くのヒンドウ寺院やシーク寺院を巡ったが、さっきの経験から気持ちがふさいでいて楽しめなかった。ただ、熱心に祈る人々を見て馬鹿げていると、資本主義の先進国から来た私はそう感じた。祈っている暇があったら、働けばよいのに・・・。それから再び地下鉄に乗ってコンノートに戻り、マクドナルドで昼食を食べた。ここだけは清潔で唯一安心できる場所であった。その後、各州物産店を見て回った。ちょっとした美術館巡りしているようで良かった。店員さんたちに色々質問してコミュニケーションしたのも楽しかった。次に、ジャンタル・マントルという昔の天文台へ。ここは公園みたいなところで、カップルが何組も幸せそうに寄り添っていた。ただでさえ暑いというのに・・・。その後、今度はコンノートプレイスの地下にあるバザールを見て回った。狭い路地に色んな店がひしめきあっている。結構な面積であり、迷路みたいになっていた。コンノートプレイスはデリーでもっとも栄えている場所であるが、それでもショッピングモールなどは全くなく、この地下街でデリー人はショッピングをするのであろう。外に出て時計を見るとまだ3時である。でもやることもないし、身体も心もくたびれたのでホテルに帰ることにした。ホテルで涼んでから、夕方の散歩をすることにした。路地歩きは刺激的だった。1時間くらい歩いていて、日が暮れてきた頃、調子に乗って、人通りの少ない細い路地に入ろうとした瞬間、向こうからやってきた中学生くらいの何人かの不良少年にからまれて、「ここは安全な場所ではないぞ。」と言われて怖くなって、すぐに人通りのある道に引き返した。しかし、彼らはまだ私の後ろからついて来て、何人かでからかってくる。ポケットの辺りをしきりに触ろうとしてくるので、ポケットに手を突っ込んで、財布を盗まれないように防御した。やっと奴らもどっかに行った。怖い体験であった。その後私はメインバザールに戻って、レストランで夕食を食べた。その時、何を思ったか、生野菜に手を付けてしまった。これが大失敗であった。その晩3時くらい、寝ている途中で腹痛に見舞われてトイレに直行。激しい下痢で、水のような排便・・・。さらにその2時間後、再びひどい下痢で長時間トイレに篭ることになる。

 

 

4日目。

アグラ行きの6時過ぎ発の列車に乗らねばならないので、辺りが真っ暗な中ホテルを出発。ニューデリー駅はすぐだが、メインバザールの凸凹の道をスーツケースを運ぶのは大変であった。地球の歩き方バックパックが断然良いと書いてあったが、私は鍵のかかるスーツケースを選んだのだった。インドでは都会であっても、舗装路がほとんど無いなんてつゆにも想像していなかったから。ニューデリー駅構内では、列車が来るのを待っている間、隣に座った人と話をして時間を潰した。インド人はよくきさくに声をかけてくる民族だな。さて、電車に乗ってほぼ定刻通り出発。飛行機の機内さながらのサービスで、朝食がおいしかった。車窓の風景はインドをよく知るうえで良かった。線路のそばで、パンツ1丁の姿で座り込んでいる人たちをしょっちゅう見かけた。そう、おそらく大便中なのだ。それから線路内に立ち入っている人も多く、高速で疾走する電車のすぐそばを普通に歩いている。非常に危なく、日本では考えられない。おそらく列車に轢かれるという事故は頻繁に発生していることだろうと容易に想像できた。しかし、その場合でも、列車は日本のように停車して清掃などせずに、おかまいなしに通過するのではないかと想像できるのが恐ろしかった。2時間ほどでアグラ・カント駅に到着。駅の観光案内所でタージマハルまでの行き方を聞いて、教えてもらった通りプリペイドリクシャーに乗ってホテルへ。カマルというホテルで、地球の歩き方に載っている中から選んでメールで予約していた。到着して荷物を降ろした後は、早速タージマハルへ。バカ高い入場料を払って、厳重に荷物検査を受けたのち、入場。おお~、よく旅行パンフレットに載っている建物が、目の前にそびえているではないか。広い庭園を通り抜けて、靴を脱いで階段を登って、タージマハル内へ。内部にはお墓があり、涼しく心地よかった。その後、タージマハルの後ろ側へ。実はタージマハルの背後には、ヤムナ川という大河が流れている。この大河を200kmほど遡れば、デリーに行けるのだ。この川を横切る牛たちや、泳いでいる子供たちを眺めているとのどかな気分になれる。ただ、暑いのがやっかいで、長時間そこにいようとは思えなかった。タージマハルはさすが非常に美しい建物で、思わず私は写真を取りまくったのだった。その後、サイクルリクシャでアグラ城へ向かう。登り坂を大変そうに漕いでいたので、少し多めに支払ってやった。アグラ城からはタージマハルを眺めることができた。あまりの暑さに何度か座り込んだ。本当に学生の時と違って、体力が落ちたナ・・・。その後、近くにあるバザールを通り抜けてジャマーマスジットへ。そうここアグラにもあるのだ。恐る恐る靴を脱いで、入場。すると、遠くから私に向かって大声で怒鳴る人物がいる。私はやばいやばいと思って、何が悪いのかよく分からないまま(靴下履いたままだから?手に持っていたビニール袋の中身が靴だから?)、とにかくそそくさと退散した。しかし、インドには、いきなり人を怒鳴りつけてくるような洗練さ・上品さがないような人が多すぎる・・・・。それにしても、わたしはイスラム教に嫌われているのか、ジャマーマスジットには縁がないらしい。もう何もやる気が失せてしまって、まだ時間は3時頃と早かったが、リクシャーに乗ってホテルに帰った。このホテルで結構高い部屋(約2000円)に泊まったのだが、最悪であった。A/C(エアコン)はなく、エアークーラー(水蒸気を飛ばして室内を冷やす機械らしい)というものだけだ。屋根の真下の部屋であるため、天井から太陽熱が伝わってきて、まるで蒸し風呂状態である。エアークーラーで余計に湿度を上げて、逆効果なのではないかと思われた。こんな暑い部屋ではとてもじっとしていられないので、近くの森林散策路へ行った。そこからタージマハルが見えることもあり、カップル達ばかりであった。そこには言い寄ってくる奴らはいないので、ほっとした気分で過ごせた。戻って、ホテルの屋上で夕食を食べた。一人で来ていたドイツ人と話をして楽しんでいたが、途中で彼の知り合いのアメリカ女2人が来てからは、彼らの英語についていけず、会話に取り残されて居心地が悪くなったので、急いで食べて部屋に戻った。部屋は依然として灼熱地獄のようで、とても眠れるような暑さではない。おまけに時々停電が発生して、シーリングファン(天井で回るプロペラみたいなの)が止まるからたまらない。クーラーが当たり前の日本でぬくぬく育ってきた私は、生まれて初めて本当の熱帯夜を経験したのかもしれなかった。シャワーで水をパジャマに染み込ませて、気化熱を利用して身体を冷やそうとしたりして、涙ぐましい努力をして何とか眠ったのだった。眠れるまでの間、こんなにホテルでボーっとしているくらいなら、ジャイプールに行く時間が十分あったのではないか、とずっと後悔していた。それから、もう日本に早く帰りたいなと思ったが、まだまだ旅は長いので嫌な気持ちになったのだった。

 

 

5日目。

世界遺産、ファーティプル・シークリーへ行くべく、朝からサイクルリクシャに乗ってバススタンドへ。ちょうど通学時間と重なっているようで、自転車を漕いでいる小中学生たちをよく見かけた。サイクルリクシャのオヤジは他のリクシャーマンと同様、よく日に焼けた顔をしていた。がりがりなのに、よくこんな重そうな自転車をすいすいと漕げるものだと感心した。向こうには物売りが多いので、注意しなよとアドバイスしてくれたり、悪くない人であったので、少し多めに支払ってあげた。バススタンドには、たくさんのバスが駐車されており、どれに乗ればよいのかわからなかったので、オフィスで訊いた。バスはファーティプルシークリーまで1時間以上かけて走る。途中、小さな町を通り過ぎたりしたが、店先でボーとしてしている人が多くみかけた。彼らは何もすることがないからか、いつも道路の行きかう人を鋭い目で観察していた(目つきが悪い・・・)。だから、こっちと目が合うと、通り過ぎるまでずっと見つめてきて、恥ずかしくなるくらいだった。バスを終点で降りて、汚いバザールを通り過ぎたところにファーティプルシークリーがそびえていた。中に入ろうとすると、また来た、ガイドを名乗る人たち。最初は断るつもりだったが、モスク内は案内してもらったほうがいいなと判断(これまでのいきさつから)。50ルピーでいいかと確認してから一緒に回る。彼の英語は他のインド人と違って、英語は非常に聞き取りやすかった。外国人旅行者のガイド歴が長いのであろう。途中、やはりお供え物の販売勧誘があった。まずは生地の購入を勧誘してきて断ったら、今度は花だけでもどうかと言ってきたが、これも断った。その次には、モスク内でおみやげとしての象の置物を売っている親父のところへ寄り、買わないかと言って来た。ガイドは売り上げの一部をマージンとしてもらうのだろうか。なかなか精巧にできた象の置物であったが、別にあっても仕方ないものなので買うつもりはなかった。売っているオヤジが置物の製作者のようである。最初「800ルピー」とか言ってきたが、私は本当に要らないので「要らない」と言った。「いくらなら買うのか?」と言ってきたので、「いくらでも要らない」と答えた。それでもしつこく、「いくらなら買ってくれるのか」と言って追ってきてしまいには悲しそうな顔をしているので、仕方なく適当に「150ルピー」と言った。オヤジは「まあ安くでも売れないよりましか」という顔で了承した。私もなんとなくかわいそうになって、仕方なしに買ってあげたのだった。さて、その後ガイドにも50ルピーを支払った後、宮殿へ向かう。その途中にもペンダントの売人がひつこく付いて来た。彼らの執念はすさまじくずっと付いてくる。よほどお金に困っているのだろうか・・・と思わされた。宮殿の方に着いても、再びガイドが寄ってきて勝手に案内しようとする。何人か振り切って、ようやく一人で見て回ることができた。宮殿は保存状態が良く、美しいと思った。時間は十分あったので、ゆっくり見て回った。途中でまた勝手にガイドをしてくる親父がきたが、今度はもう追い払わず耳を傾けた。ちょっとこの宮殿についての説明を聞いてみたいなと思い始めたからだ。写真を何枚か撮ってもらった。最後に、お金を払った。これは少なすぎると言って不満を口にしていたが、「私はあなたにガイドしてくれと頼んでいない」と言って、納得させた。まあ、彼は服装から判断して裕福そうなので、余分にお金をやる必要もなかろうと思ったからである。その後、バススタンドに戻り、アグラ行きのバスに乗った。アグラに到着したのはまだ14時くらいで暇だったので、リクシャに乗って対岸からタージマハルでも見るかと思った。リクシャは最初片道100ルピーで合意していたが、途中で、他の名所にも行って、最後にホテルまで連れて帰るから、200ルピー(ウェイティング・フィーはなし)でどうだと言ってきた。まあいちいち都度リクシャと交渉する必要がないので、悪くないなと思ってそれでOKした。マタブ・バーグというタージマハルの対岸地に着くと、また付いてくるガキがいる。「オレはお金を払わないぞ」と何度も言ったが、「後でお土産屋に寄ってくれればそれでいい」と言う。ちょうど雨が降っていたので、ガキの傘に入れてもらうのもいいかと思って、追い払わなかった。ガキは一緒に歩いて写真を何枚か撮ってくれた。最後にやっぱりチップを要求してきて、「500ルピーくれ」と言ってきた。このクソガキはなめとんのかと思ったが、30ルピーだけやった。すると明らかに不満そうに文句を言っている。しかし、こんな小学生のガキには30ルピーで十分だと判断し、聞き入れなかった。するとやっとあきらめて去っていった。まあ日本人の金銭感覚からすると、あと10~20ルピーくらいやってもいいかとは思うが、後の観光客のためにも、奴らをつけあがらせてはいけないのだ。外国人相手に商売すると楽して儲けられるという概念をインドに植えつけてはいけない。お金を稼ぐことは大変なことであり、不公平な世の中にしてはいけないと思うのだ。さて、話は戻って、次にイティマド・ウッダウラー廟というところに行った。ここからはヤムナー河の見晴らしがよく、赤く染まった空とともに、いい眺めであった。座って眺めているとインド人2人が隣に座って話しかけてきた。彼らは英語があまりできないので、会話するのに苦労したが、2人は兄弟で工場で働いている。休日は水曜と日曜なので、今日は休みなんだ。ということは分かった。長々とそこで話しこんでしまい、日が暮れようとしていた。リクシャーのところに戻ると、リクシャマンは非常に不快そうにしていた。さすがに待たせすぎたので、ちょっと悪いなと思った。ホテルに戻ると、ナンを食べて、荷物を持ってジャマーマスジット近くのバススタンドへ向かう。バナラシ行きの列車にアグラ郊外のツンドラ駅から乗ることになっており、そこまでバスで向かうつもりだったからだ。バスは満員で、暗闇の中を進む。小1時間で、ここだと周りの乗客に教えてもらい、降りる。しかし、降りたところは自動車道の途中地点で、周りに駅どころか、お店すらない。困った顔をしていると、一緒に降りた警官が、付いて来いと言って、近くに止まっていたリクシャに他の乗客とともに乗り込んだ。そこから2kmくらい走って、駅に到着。駅に着いたら、荷物を運ぼうとしてくる人がいる。見ると、赤い紐を腕に巻きつけているので、公認ポーターなのかと分かった。私は重い荷物を運ぶので本来必要ないのだが、「お前の乗る電車のプラットフォームまで案内する」というので、まあいいかと思って運んでもらった。待合室に案内されて、30ルピー払ったら少ないと言う。ガイドブックに書いてある相場からするとこんなもんだろうと思ったのだが、ぶいぶい不満を言われた。かなり不満そうだったので、私の荷物が重すぎたか、ガイドブックに書かれている相場が古すぎるのかなと思った。待合室で列車が来るのを4時間くらい待った。途中で、日本人の男4人組が入ってきたので、話をしたかったが、4対1だとこちらから話しかけにくく、結局話さなかった。列車は約30分ほど遅れて到着。生まれて初めての寝台列車だと思う。疲れておりかなり眠たかったので、早速眠りに着いた。

 

 

 

6日目。

朝方、6時くらいに目が覚めた。何時に着くか分からなかったので、再び眠りにつくことはできなかった。車内販売で玉子焼きとチャイを買って食べた。かなりうまい。お腹がいい感じで痛くなってきたので、トイレに行って、用を足した時に電車は駅に停車した。まだだと思うが、心配なので、大便を中断し、外へ出て周りの人に聞いたら、「ムガルサライ駅は次の次だ」と聞いて一安心。再びトイレに戻り、大便再開。トイレは垂れ流し方式で、さっきは駅内の線路にブツを落としたことになる。さすがインド、ワイルドだな・・・。すっきりした後は、ムガルサライ駅に着くまで隣のベッドのおっさんと話をしたりして、朝から本当に幸せな気分だった。この後、ひどい体験をするのも知らずに・・・。ムガルサライ駅には10時に着いて、早速バナラシ行きのバスを探す。リクシャーがいっぱい寄ってきてして探す。リクシャマンたちはバナラシ行きのバスはないという。しかし、バスが何台か止まっているので、どれかだと思うのが、どれか分からない。結局いろんな人に聞いてみるが、みんな言うことが違い、誰を信用すればいいのか分からない。みんな口裏を合わせて騙しているような気もしたり、孤独な気持ちだった。結局乗り合いバスに乗った。満員の車内で隣に乗った女の子と少し話をした。25歳ということで同い年だ。身体は小さく、僕にはやさしく話しかけてくれたが、運転手には大きな声でなにやら怒鳴っていた。すごいギャップだ。駅の近くの会社で働いているのだが、今日は遅れそうだと言っていた。運転手にもっと急げと言っていたのだろう。ところで、その時に私は自分の過ちに気がついた。このバスはバナラシ駅に向かっている。俺が行きたかったのは、ガンジス川沿いのゴドーリアだ。さっきバナラシに行きたいとオレが言うものだから、みんなオレの行きたい場所が分からなかったのだ。ムガルサライ自体バナラシなのだから。しまったな・・・。バララシ駅に着いて、再び別のリクシャに乗らなければならなかった。そして新しいリクシャの運転手は日本語が少しできた。行きたいホテルを告げたが、途中で別の名前のホテルに行かないかと言ってきた。予約をもうしているからと言って黙らせたが、何かいやな予感がした。さて、リクシャは止まって、「ここからはリクシャは入れないから、歩いて案内する」と言う。ますます怪しい気がする。細い路地に入っていって、実際案内されたところは、ホテルの名前を示す標識が何もない。おかしい・・・。ホテルの人物に聞いたら、「フレンド・ゲストハウス」だと言うが、どうせ事前に口裏を合わせておいたのだろう。予約しているはずなので、ホテルの予約帳を見せろと言ったら、意味が分からないふりをしてとにかく奥に案内しようとするので、これは違うホテルだと確信して出た。リクシャマンに文句を言ったら、「ここが、フレンド・ゲストハウスだ。お前はクルクルパー(日本語で)か?」と言ってお金だけ受け取って立ち去るし、ホテルマンに文句を言うと、「これはリクシャトラブルだ」と言って、言い逃れしてきた。疲れてヘトヘトなのに、この仕打ちとはインド人は情けもないのかと思って、もう泣きそうになった。仕方ないから、ここから自分でホテルまでたどり着かなければならない。でも現在地がどこなのかさっぱり分からない。「ここはどこですか?」地図を見せて近くの人に聞いたが、みんな回答が違うので、また私の頭は混乱した。知らないのであれば、知らないと言ってくれ!もうリクシャートラブルに会いたくないので、歩いて行くつもりだったが、どうやらスーツケースを運ぶには大変な距離(もちろん凸凹道)だと言うことは分かったので、サイクルリクシャに乗ることにした。しかし、そのリクシャもホテルの場所がイマイチ把握していない(フリをしている?)ようで、違う方向へ行こうとするので、「こっちだ!!!」と言って、私はついにブチきれてバン!とスーツケースを手で叩いた。これがまた、当たり所が悪くて、手がジンジンと痛んだ。もう嫌だ・・・。やっとのことで、フレンド・ゲストハウス(以下、GH)に着いたが、これがまた胡散臭い建物に見えて、オーナー(ラジャーさんと言う)に会ってからもしばらくは、「本当に本物か?」と少し不安だった。この時の私は完全に人間不信(インド人不信)になっていた。さて、部屋でシャワーを浴びた時には、すでに14時前になっていた。一連のトラブルで結局2時間以上ロスした。私はもう日本が恋しくてたまらなかった。どうせ日本に帰ればまたいやな国だと思うのだろうが、それでもインドよりは数倍良い。こんなに日本のことを素晴らしい国だと思うのは初めてで、恋しくて涙が出た。泣いていても仕方ないので、まず最初にガンジス川沿いを探索することにする。GHを出る時に、オーナーの親戚なる人物が付いてきて案内しようとする。私はもううんざりして、「チップはお金は払わないぞ」と言うと、「心外だ。私はホテルのオーナーに案内するように頼まれたのだ。チップは要らない。後で案内するオーナーが経営するショップで気に入ったものがあれば、買ってくれればいいだけだ」と言った。まあ確かに、とりあえずチップは払わなくていいようだなと一安心したが、正直今日は一人にしてくれという気持ちだった。彼は20歳の少年で、着ている服装から見て、きっと結構金持ちなのだろう。日本人を相手にしていると金になるのだろうな。だから、こんな平日に仕事もせず、こんなオレとぶらぶら散歩していられるのだろう。まあこれが仕事なのか・・・。ぶらぶら歩いて、火葬場まで行った。ちょうど火葬している最中で、ちょっと衝撃だった。黙ってしばらく眺めていた。その後、民家の屋上とかにも連れて行ってもらって、ガンジス川を俯瞰できた時は、こいつもまあ役に立つなと思った。彼は、時々「この辺りは警察が多くて、外国人を一緒に歩いているインド人は叱られるから、ちょっと離れて歩いてくれ」とか言って来た。君の言うことは分からないではないが、そんなところがやっぱり怪しいんだよ・・・。その後、ファミリーが経営するシルクショップに連れて行かれた(強制ではないが、行かなかったら文句を言われそうなので・・・)。店主はきちんと畳んであったたくさんのシルクを一枚ずつ開いて俺に見せ付ける。私は買うつもりはさらさらなく、売り方を見たいと思ってやって来たのだった。すぐ終わるかと思っていたが、何種類ものシルク生地を次から次へと開いていく。なかなか終わらないので、これは本格的になってきて何となくやばいな・・・と思った。結局100枚近く拡げてしまった。そして一枚ずつしまっていくから、気に入ったのがあったら、ストップと言ってくれと言われた。ずっとストップを言わないのも、きまりが悪くなってきて、適当にストップと言った。その結果、結局10枚くらいになった。その後、やっぱり要らないと言って席を立ったが、相手は泣きそうな顔しているので、ここまでやらせて買わないのはかわいそうだなと思っってしまった。またこの展開か・・・「同情買い」。結局、言い値の半額くらいで2枚(6ドル)買った。素人なので、生地が良いのか悪いのか、そもそも本物のシルクなのか偽者なのか、それすら未だに分からないが・・・。その後、今度はファミリーが経営するティーショップに連れて行かれた。そこでは、チャイをいただきながら、ダージリンやアッサムの茶葉の匂いを嗅いだりした。4人くらいのインド人少年に囲まれて形勢は不利だったが、「お茶の相場が分からないので、他のショップを見てから明日また来る」とか言って逃げれた。その後、いったんGHに戻って、夫婦で世界一周旅行中の日本人と話をしてインドの不満をぶちまけたりして、しばらく休憩した。7時半くらいになって、セレモニーを見に行くことにした。いったん外に出たが、真っ暗で目の前が見えないので懐中電灯を取りに戻った。真っ暗の中歩いたら、確実に牛の糞を踏んでしまう。バナラスは迷路のような細い路地ばっかりだが、糞が至る所に落ちている。裸足で歩いている人もあるから信じられない。常に路上は臭いし、「牛を街中で飼うなよ」って本気で言いたい。さて私が懐中電灯を取りに戻っている間に、オーナーが呼んだのか、例の彼が入り口で待機していた。またお前か、うっとおしい奴だなと思ったが、さすがに付いて来るなとは言えなかった。そして、いい場所へ案内すると言って、私はある建物の屋上に連れて行かれた。そこはセレモニーを上から見渡せる場所で、自分以外には他に誰もいないのでちょっとVIPになったような感じで良かった。ただ、どうせインドのことだから、後からお金を請求されるのだろうな・・・。結局セレモニーの最後まで見て、帰るときに150ルピーを請求された。インドで鍛えられたのか、もはや私は言い値をそのまま受け入れることはできない人間になっていた。「100ルピーにしろ」。それで駄目だと言うならいつものように「オレはここに連れて来いと頼んでいない」とか言って喧嘩してやろうと思っていたが、さすがに状況を察したのか100ルピーでいいということになった。50ルピーでもいいくらいだ。この国では何かをする時には、常にお金の問題がつきまとうので疲れる。サービスとかいう概念はないのか??GHに戻ってからは、ママさんの作るターリー(定食)を食べた。その中には生野菜があって、全部残すのも悪いなと思ったので半分食べた。結果、やはりその晩下痢になって、あの日と同じように夜中に2回トイレにかけこんだ。

 

 

7日目。

朝、ボートから日の出を見る予定であったので、早起きする。しかし、雨のため中止。再度寝ようとしたが、結局眠れなかった。体は疲れきっているはずなのにな・・・。その日は、とうとうお金が尽きてしまったので、まず両替しなければならない。幸いこのホステルで小額両替をしてもらえるようだ。ラジャーさんを探すが、いない。子供に聞くと、外出していて30分ほどで戻ってくるから待っていてくれ、と言われる。両替くらい、ママさんとか代わりに誰かやってくれよと思ったが、そういうわけにはいかないようだ。仕方ないので、ガンジス川の散歩をして時間を潰した。朝から沐浴する人、洗濯する人、ヨガする人、ボートの勧誘する人、等等。戻ってみると、ちょうどラジャーさんが戻ってきたところで、すぐに両替をしてもらった。40ドルだけ両替してもらったが、手数料もないしレートも悪くなかった。両替と同時に、郊外の仏教遺跡サールナートへ行くために、知り合いのリクシャを手配してもらった。宿のオヤジに説得してもらって、往復300ルピーにしてもらった。おそらく街中で拾うと、談合があるためにもっと高くなっていただろう。運転手は片目が白内障ぽく、見えていないようであった。30分ほどでサールナートに着いて、日本寺・中国寺・ビルマ寺・タイ寺など各国の寺めぐりをした。もちろん、ストウーパのある遺跡にも入場したが、信仰心などない私には単なる公園みたいにしか見えなかった。しかし閑静な場所で、ブッタが初めて説法を行った土地であるというのもうなずける雰囲気を持っていた。インドでは数少ない落ち着けるスポットの一つだと言える。インドに来ていろんな宗教に接していると、私には仏教が一番まともな宗教だなと思えた。やはり私は日本人だから、そう思うのだろうか。しかし実際に仏教が一番紛争が少なく、マイルドだと思う。日本人にはやはり仏教が向いている。サールナートで3時間くらいゆっくりと見て回って、リクシャの所に戻ると、片目の運転手が700ルピーでバナラシ大学などの市内観光でどうかと言ってきた。言い値では決して納得しない私は値切ろうとしたが、それではオイル代とリクシャレンタル代金で私の利益がなくなるとか言っていたので、600ルピー(+私が納得した場合のみ100ルピー)で合意した。オヤジの片目を不憫に思っていたので、最初から私は700ルピー支払うつもりであったが、一応観光客の代表として抵抗を見せておいたのだった。さて、まずはバーラト・マータ寺院というところへ向かう。ここには床にインドの立体地図が彫られているユニークな寺院だ。その次にバララシ大学へ。ヴィシュワナート寺院でうろうろしていると、サングラスをかけたいかにも怪しそうな人物が「ドラッグいるか?」と声をかけてきた。びっくりしてNOとだけ言ってすぐに私は逃げた。ここバナラシでは麻薬がすぐに手に入りやすいと聞いたことがあるが、それは事実のようだ。私の泊まっていたGHの看板にも、麻薬禁止と書いてあったから、日本人でも麻薬をやりにバナラシを訪れる人がいるのであろうか・・・。さて話を戻して、次は構内にあるインド美術館に行った。ここは優れた細密画・彫刻が多数展示されてあり、美術館好きな私は1時間以上そこでぶらぶら観賞した。最後にリクシャに乗って、モンキーテンプルとトウルリー・マーナス寺院へ。前者は中に入れないが、周囲の回廊から境内を眺めることができるらしいが、その時は境内にも入れないと勘違いして、結局外から眺めただけだ。後者には、機械で動く人形がたくさんあり、地元の子供たちですさまじい賑わいを見せていた。それからゲストハウスに戻り、片目の運転手にお金を払う段になって、700ルピー支払った。すると、相手は「8時間」も働いたんだからと言って、さらなるマネーを要求してきた。お前は新聞読みながらボオーッと待っていただけじゃないかと心の中で言って、却下した。まあ悪い人ではなかったから、意地を張らずに、もうちょっとあげても良かったかなと今では少し思うが・・・。GHでしばらく休憩した後に、昨日と同様にセレモニーを見に行った。今度は一人でこっそり外出することに成功した。セレモニーの場所はほんの目の前だから、帰りも安心である。大勢の観光客(インド人が多い)に混じって、私は1時間以上間近で眺めていた。神官はみんななぜかイケメン揃いである。時折写真を撮ったりしたが、近くの子供がオレのカメラを興味深々で見ていた。インド人でカメラを持っている人はほとんどいない。だからみんないつもすごく気になるようだった。自分で情けないことだとは思うが、そのことにちょっとした優越感を感じたのだった。セレモニーが終わりGHに戻ると、またママさんの作るターリーを食べて寝た。

 

 

8日目

早朝起床。もちろんボートで日の出を見るために。昨夜にラジャーさんにボートマンの手配を頼んでいたのだ。1時間200ルピーである。薄明かりの中、ボートは出航。ボートマンはいきなり何の前振りもなく、「ジキジキ」(SEXとか、エロとかいう意味らしい)とか言っていた。頭がおかしいのか、ただのエロオヤジなのかよく分からない人物であった。対岸近くの小島まで行く。天候はいつもの通り曇りがちで日の出は見えないようだ。小島に降りて私は念願のことを果たそうとする。「ガンジス川で沐浴すること」!!服を脱いで徐々に川の深みへ向かう。足元は泥でぬるぬるしていて気持ち悪い。死体に足があたらないか心配だった・・・。ボートマンの言うように、私は頭ごと潜って、完全沐浴を果たしたのだった。もちろんGHへ戻って速攻念入りに体を洗ったが・・・・。その後、まだ時間が余っていたので、インドへ来たからには本場のヨガを経験したいと思って、またラジャーさんに手配してもらった。1時間半で200ルピーである。このGHに泊まって良かったなと思う。全部ラジャーさんが手配してくれるので、いちいち交渉する必要がなかった。それに金額もインド人料金ではないものの、決してぼったクリではない料金であったからだ。ヨガレッスンは1対1だった。最初は呼吸法から始まり、その後、全身のストレッチをした。終了間際、ヨガの程よい疲労感からか、ほとんど眠りそうになった。全て英語で指導してくれるので、特に困ることもなく、いい経験ができたと思う。最後に空港へ向かう前に、1時間ほどガンジス川の見納めをすることにした。火葬場まで行って、一人でじっくり見たいと思っていたからだ。幸い火葬が行われており、一部始終を見ることができた。まずは、死体が運ばれてきて、薪の上に乗せられる。バラモンが火を持って周りを歩いた後、遺族に手渡す。遺族はそれを遺体に着火する。という流れだ。途中、死体が運ばれてくる時に、寄り添っていた遺族が気が狂ったように泣き叫ぶのを目撃した。その光景を見て、私は心が締め付けられるような気がした。最愛の人を失った時には、あのように文字通り気が狂ったように泣き叫ぶのだろうか・・・。そして、その後GHへ戻る途中に、私はガンジス川に子供の腐乱死体が浮かんでいた。子供は人生をまっとうできなかったということで、火葬はできず、ガンジス川に重石をつけて沈めると聞いたことがあった。その重石が外れて浮かんできたものであろう。その死体は片腕・片足がなく、腐敗しているので人形みたいにも見えるくらいだ。あと恐ろしかったのは、犬がその死体にしきりに近づこうとしていたことだ。結局は足が届かず断念して立ち去ったが、その犬は死体を食べるつもりだったのだ。さっきの火葬場でも犬がなにやら食べていたが、あれは死体の残骸を貪っていたのだ。その時インドの凄まじさを思い知った。辺りには他の外国人もおり、彼らは写真を撮っていたが、私はさすがに死体を撮る気にはならなかった。さて、GHに戻るとリクシャマンが待っていた。ラジャーさんに空港行きのリクシャの手配をお願いしていたのだ。300ルピーで交渉してもらった。そのリクシャマンは乗ってしばらくすると、警官に100ルピー駐車料を支払わなければいけないから、400ルピー払ってくれと言ってきた。警官に払うのは10ルピーだと知っていたから嘘をついているのは分かったし、、そもそも約束が違うだろう、と腹が立った。しかし、今からまた別のリクシャを探すのは大変だし、何しろフライトの時間に遅れるのが一番困る。ここは仕方なく相手の言うなりになった。最後の最後までインドという国は・・・呆れた。空港は意外と遠く、リクシャはかなりの距離を走った。300ルピーではたいした儲けにならないから、あんなことを言ってきたのかと少しは相手の言い分を納得した。しかしそれでも、約束を破るのも、嘘をつくのもいけない。後々の観光客のためにもインド人の言いなりになってはいけない。だから、支払う際に300ルピーしか支払わなかった。当然相手は不満を言う。私も約束が違うと文句を言う。結局、間をとって50ルピーだけ渡したら相手はなんとか納得した。本当にお金のことを考えるのに疲れさせる国であった。ベナレスからデリーまで国内線に乗った。機内食を食べてうとうとした頃に、急に周りががたがた言って揺れたので、「墜落か!?インドの国内線なんかに乗るんじゃなかった!!」と思って目を開けて窓を覗くとデリー空港に無事到着していた。デリーの空港で4時間ほどの乗り換え時間があったので、おみやげを買おうと思っていると、なんとルピーは使えず、USドルのみとなっている。しかも手ごろなインドのお土産などいっさいなく、バカ高い外国の商品ばかりである。紅茶だけUSドルで買った。飛行機は1時間くらい遅れて離陸(理由は不明)。隣は日本人女性だったので、暇つぶしに「インドは初めてでしたか?」と話しかけてみた。そんな自分から隣の人に話しかけるようなキャラじゃなかったのに、インド人みたいにフレンドリーになってしまったのかもしれぬ・・・。もしくは、インド人不信の為、信用できる日本人と話すことを欲していたのかもしれぬ・・・。その人は旅行会社に勤めているということだったので業界のことを聞いたり、これまでに訪れた国のことについてお互い話したりして、全く退屈しなかった。夜中の1時頃に機内食を出すような訳の分からぬエアインディアではあるが、無事に成田に到着したのだった。

 

 

(さいごに感想)

「インドなんて二度と行くか!ボケ!!」という本があるそうだが、まさにこんな気持ちである。インド人にとってはインドは住みやすくても、外国人には住みにくくて仕方ない。しかし、人生において非常に良い経験をしたと思う。日本の素晴らしさを実感した。また、サバイバルな環境に身を置く事によって、自分自身成長できたと思う。そういう点では、いやな思いをいっぱいしたこの旅であるが、非常に意義あるものだったと思う。

台北 2009/7

 

航空券はJTBのサイトで25000円(航空券21000円+諸費用4000円)でゲットした。ホテルは華華大飯店という地球の歩き方に載っているところで3泊した。今回は、いつもの友人H氏と。H氏はもうすぐ結婚するとのことで、おそらく最後の海外旅行となるであろう。

1日目。金曜日なので、会社は午後半休。月曜も休むので、休日に休みをくっつけるなと上司らに軽く注意されたが、私は一向に構わない。いったん家へ帰って用意をしてから成田へ。空港でH氏と合流し、20時のフライトで日本を出発。約3時間半で台北桃陽空港着。さっそく、空港バスに乗ってホテルのある台北駅へ。1時間ほどで到着し、駅から10分ほど歩いてホテル着。その日はそのまま寝て終わり。

 

2日目。朝からぶらぶら歩いて、総統府や民主記念館などを見て回った後は、有名なディンタイフォンでショウロンパオなどを食う。その後、H氏に押し切られ、近くの氷館でマンゴーカキ氷を食い、腹がタポタポな状態で今度は回留という茶芸館でお茶を嗜む。確かにおいしい緑茶であったが、金の無駄遣いのような気もしないではなかった。その後、台北101へ。洒落た外観をしている建物で、もちろん展望台にも上った。展望が良かったので、台北市内がよく見渡せた。その後、故宮博物館へ。広い建物で1階から3階まで全部見て回ると足が痛かった。そして近くにある士林観光夜市へ。ものすごい人だかりでなかなか進まなかった。そこでついでに軽く夕食をとった。

 

 

3日目。郊外の九フンへ。MRT忠孝復興駅から出ているバスで1時間弱で到着。天気が良いので海の見晴らしが素晴らしい。基山街という商店街みたいなところを歩く。お土産や食べ物やなどが立ち並んでおり、若い人たちも多かった。その後、バスで基隆へ出て、バーガーキングで一服した後、市バスに乗って野柳風景区という海岸へ行く。ここは奇岩が並んでおり、誰かの頭にそっくりだなどと言って笑いながら歩いた。相変わらず暑かったが、風があったので過ごしやすかった。帰りのバスは台北駅行き直行バスに乗ることができ、車内で爆睡したと思う。台北市内へ戻ってきてからは、ホテル近くの新光三越という百貨店のフードコートでうどんみたいな麺を食ったが、まずかった。それから、龍山寺という由緒ありそうな寺へ行き参拝客たちを眺めた後は、近くの華西街観光夜市を通った。ここは、ヘビ屋や大人のおもちゃ屋や風俗店ぽい店などが立ち並び、DEEPな印象のある夜市であった。そこからしばらく歩いて西門町へ出た。ここは渋谷みたい所で、日曜の夜だというのに若者たちで賑わっていた。ホットパンツ姿の女の子たちが異様に多く、我々おじさん達は悩殺されそうだった。しかしまあこれだけ暑いとホットパンツも合理的かなとも思う。

 

 

4日目、朝から牛乳大王とかいう店でマンゴーミルクジュースを飲んだが、その後、2人して腹痛を催し2度もトイレへ駆け込むこととなった。最後に新光三越でお土産を買って観光終了。台北駅そばのバス停から空港行きバスに乗った。15時発のフライトで台湾を後にした。

 

(総括)一言。暑かった~。建物の中は涼しいが、いったん外に出ると暑くて、「暑い」「暑い」と自然と連呼せざるをえない状態だった。物価については、日本の約半分くらいかな。とにかく安い。それから台湾は非常に似ている。都市として非常に発達しているし、ひらがな・カタカナも街中至るところに氾濫していた。コンビニはセブン・ファミマばっかりだったし、吉野家もかなり多かった。それから看板に書かれてある漢字を読んで、意味を推測するのが面白かった。

 

上海 2009/3

 

今回は、JALのウェブサイトを見ていて、「14000マイルで中国へ」というキャンペーンを見つけて決めた。ただ、今回も計画はすんなりとはいかなかった。最初、上海は親と一緒に行こうかと予定していたので、北京に行こうと考えた。ただ、しばらく決断を保留しているうちに北京行きの席が○→△→×とあれよあれよという間に変化してしまった。完全にミスした!と思った。計画を中止するのはもっと悔しいので、上海行きを決めた(結局、母は祖母とともに3月前半に行ったそうだ)。いつも航空券の手配には苦しめられる。早めに計画を立てて、決断することが大切である。

 

(金曜日)

朝10時25分羽田発の便であるので、6時半に起床。1週間仕事が非常に忙しく、身体の疲れがとれないまま家を出る。羽田空港国際線ターミナルは非常に小さいなと思った。羽田から出ているのは、ソウルと上海くらいなのだろうか。飛行機の中では、疲れを取るためにぐっすりと眠りたかったが、やはりいつもの如く駄目だった。3時間半程度で上海虹橋空港に到着。さっそく、バスに乗って市街地に向かおうとするが、何番のバスに乗れば最適なのかよく分からずに困った。うろついていると、あるバスから降りた乗客同士が急に取っ組み合いの喧嘩を始めたではないか。お互いの連れ(彼女?)がその2人を静止してようやく収まったが、中国ではこういうアツイ喧嘩は当たり前なのだろうかとわくわく(?)した。さて、ようやくガイドブックに載っている市内への直通バスを見つけて乗り込むことができた。バスからの車窓で、上海は高層ビル率が高いなと感じた。でもそれらの建物は外観が結構汚い。高層ビルなのに汚いことに違和感を感じたが、もしかしたら黄砂の影響かもしれぬななど思った。30分ほど揺られて、静安寺駅に到着。そこで上海公共交通カードを購入。このカードはデポジット20元で、地下鉄だけでなく、バス、渡船などでも使えて非常に便利であった。最初にチャージしすぎて(購入時に何も考えずに100元札を出してしまった)、最後にずいぶんと余らせてしまったのが失敗であったが。さて、まずは地下鉄に乗って、ホテルに荷物を置きに行かなければいけない。南京東路という駅まで地下鉄を乗った。南京東路は歩行者天国となっている繁華街である。ここは夜に歩けばネオンがまぶしい派手な路である。その南京東路から脇道に入って500mほど行ったところが、今回私が泊まるホテルである。MENGXI HOTELといって、楽天トラベルから予約したのだった。値段は3泊で444元。1元が15円くらいなので、まあ安いだろう。最初 なかなかそのホテルを見つけられなかった。というのも、建物自体工事しており、本当に営業しているのかと心配になったくらいだ。ちなみにこのホテルに限らず、上海は今、至る所で工事が行われている。十分発展しているのに、まだまだこれからも発展し続けるのであろう。いずれ東京のように、あるいはそれ以上の都市になることが想像された。さて話は戻って、ホテルに荷物を置いた後は、現金がなくては観光できないので、近くの銀行(中国建設銀行)で両替を試みた。とりあえず一万円両替した(後に困ることになる)。結構時間がかかったが、レートはやはり良かった。空港で両替すると手数料50元も取られるらしいので、市内で換えて正解。さあ観光開始である。まずはやはり豫園。この豫園、地下鉄駅から遠いので、早速バスに乗ることにした。上海のバスは他の都市のバスに比べると断然使い勝手が良い。なぜならバス停に当該バスの全停車駅が掲示された看板が立っているから。停車駅は大体、南北の通り名と東西の通り名を組み合わせたものになっていることが多い。例えば、西蔵路と南京路の交差点であれば、西蔵南京、みたいな感じである。最初心配だったが、バスでうまく豫園まで行けた。豫園の周辺は迷路のようになっていて、豫園庭園にたどり着くのに苦労した。その豫園の庭園内もまた迷路である。豫園は、たしかに落ち着く場所であるが、決して感動する場所でない。その後は周辺の豫園商城等をぶらぶらした。屋台では得体のしれないものが売られており、匂いをかぐだけでもオエーとした。他には、中国チックなお土産が売られていたが、初日ということもあり何も買わなかった。後に、空港を除いてお土産を買う機会がなかったので、ここで買っておけばなと今少し後悔している。豫園商城の夜景をぜひ見たかったのだが、上海雑技団を見に行かなければいけなかったので、残念ながら断念した。さて、またバスに乗って南京東路まで戻って、地下鉄に乗ろうとすると、女の子たち2人組が声をかけてきた。怪しいなと思ったが、英語を使う機会にもなるし、少しの間相手をしてみたかったが、雑技団へ急いでいたので、バイバイと言ってさっさと退散した。地下鉄を乗り換え、黄波南路で降りる。新天地経由して、上海雑技団の劇場の一つである白玉蘭劇場に向かうつもりであったのだ。新天地は面積は小さいが、確かにオシャレ。ここが上海とは思えない。こんなところでデートでもすればなんとロマンチックであろうかなどと、妄想を膨らませたりなんかして。オシャレなレストランを横目に、メシを食っていないことに気づいて、時間もないので、コンビニで冷えたまずいおにぎりを買って、劇場で開園前に食べたのだった。白玉劇場はバスに乗る必要があり、やや不便な場所にある。だが、私の席はなんと一番前のど真ん中の席であったから、文句なしである。ちなみに私が予約したのは、http://www.hotels489.com/cn/dtl/tkt/index.html というサイトだ。ツアーよりは明らかに安い。雑技の内容は言葉で説明しずらいので、実際に見に行ってください。楽しく1時間半を過ごせた。その日はその後、ホテルに帰っておわり。

 

 

(土曜日)

予め、水郷の景勝地、周荘に行くことに決めていた。あいにくの天気であるが、しかたあるまい。上海旅遊集散中心から出ている観光バスに参加した。9時半出発で16時帰りと時間が決まっており、ガイドはいない。150元である。1時間半ほどで周荘に到着。迷路のようになっている風情のある水郷風景を楽しみながらぶらぶら歩いた。土曜日であるからか、観光客が異様に多かった。ほとんどは中国人で、この周荘は上海人にとっては、日帰りで行ける観光スポットなのだろう。最後に遊覧船に乗りたかったのだが、8人乗りボート1隻80元という料金体系で、こういうときに一人旅の弊害が出る。一人で乗るには高すぎるし、それに寂しすぎる。というわけで、シェアしようと思ったのだが、なぜか中国人は6人から8人くらいの団体で来ているケースが多く、一人だけ入れてもらうということが難しいのだ。さらに中国人は英語ができないので、まったくその意思も伝えることができない。一番良いのが日本人か西洋人を見つけることだが、なかなか待っていても現れない。未練たらたらであったが、仕方なくあきらめた。今思えば、筆談するなり、もうちょっと頑張ればうまくいったのかなとも思う。ただ、なかなか現地ではそういう余裕がないのね。結局時間を余らせてしまい、バス発車時刻の16時まで暇だった。バスターミナルの近くで釣りをしている人たちを眺めたり、ガイドブックを読んで今後の予定を組んだりして時間を潰した。上海に戻ってからは、まず食事をしてから、外灘の夜景を楽しむということにした。実際、食事処には今回の旅で非常に苦労した。どこいっても満員なのだ。その日は、なんとか地下街で空いている店を見つけ、小籠包を食べた。その後、外灘欄干へ行ってライトアップされた欧風建築を眺めつつ散歩した。それから渡船で対岸の浦東地区に向かった。また川沿いに散歩しているとなにやらドラム缶が並んでいるのを発見した。何だろうと思って近づこうとすると、いきなりそばにいた男たちが火を点けた。まもなく、バーンと花火が上がった。こんなに間近で花火を見たのは初めてだ。5分くらい、花火があがるのをずっと眺めていた。バーンという花火の爆発する音が、心臓に心地よい刺激を与えてくれるように感じた。タイミングが良かったな~とラッキーに思った。その後、ボッタクリの東方明珠塔には登らずに、ホテルへ戻った。

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確かに風情はありますね。

 

 

(日曜日)

かねての予定通り、杭州(Hangzhou)行きである。上海から日帰り旅行できる場所に、蘇州と杭州がある。蘇州には世界遺産に登録されている庭園がたくさんあるし杭州よりも近いが、私は杭州を選んだ。なぜかというと、ロンドン滞在中に、CNNで杭州の観光宣伝を何度も見たから、クラスメートに杭州出身の子がいた、ということで馴染みがあったから。ただ、それだけである。朝、9時に上海南鉄道駅へ着く。チケット売り場へ行き、電光掲示板に出ている「9時半出発杭州行き動車組(新幹線)」を紙に書いて伝える。すると、なんと「無い」との回答が。いや、さっきの掲示板に残り40と出ていたのに・・・。次の電車は?と聞くと、11時45分とのこと。仕方ないのでとりあえずそれを購入した。その後、唖然として電光掲示板を眺めていると、確かに残り0と変化していた。あと10分ほど早くくれば9時半発のチケット取れただろうなと思うと悔しかった。帰りのチケットも取れるか不安だったので、再び並んで19時~20時くらいに杭州発のチケットを購入した。よく見ると動車組ではない。動車組はないのかと聞くと無いと言う。1時間ほど余分にかかるが、仕方ない・・・。本当についていないなと思った。11時45分まで時間があるので、いったん人民広場に戻って、上海博物館へ行くことにした。上海博物館、セキュリティーチェックのため、並んでいてなかなか入れなかった。結局、上海博物館には30分程度しかおれなくて、駆け足で見て回った。オルセー美術館の時と全く同じ状況だ。興味深いものは少なかったが、水墨画だけはゆっくり見たかったな。それから再び上海南駅に戻り、動車組に乗り込む。快適な車両である。最初に水を1本無料で配られた。途中、弁当売りが来たので、弁当(20元)を買って食った。なかなかおいしかったので良かった。1時間半で杭州到着。周遊バスがあるはずなのだが、乗り場が見当たらない。近くのバイクタクシーの兄さんが乗り場まで5元で連れて行ってやるよと言うので、乗ると一瞬で到着。指差して教えれるくらいの距離なので、ふざけんなよと思って1元だけやると1元突き出した。向こうは5元だというが、こっちが駄目だと言うと、1元も受け取らずに去っていった。さて無事に周遊バスに乗りこみ、雷峰塔近くのバス停で降りた。早速40元払って塔に登る。塔からは西湖が一望できたが、あいにくの天気でイマイチであった。塔を降りたあとは、蘇堤に少し入ったところから遊覧船に乗って、孤島に向かう。ぶらぶら散歩して、再び遊覧船に乗って岳廟で降りる。それから孤山や中山公園を歩いて、白堤を渡ったところで、周遊バスに乗って駅に戻る。列車の時間まで2時間くらいあったので、粽を買ってベンチに座って食べたり、ぶらぶら周辺を歩いて上海とは異なる発達していない中国を感じたり、コンビニで日本メーカーの飲料・お菓子をみて驚いたりして時間を潰した。駅の待合室では大量の人が列車を待っていた。中国12億人、スケールが違います。また、電光掲示板にある列車の行先、「吉林」「昆明」「西安」「成都」・・・。いったい何日かかるんだよ。やっぱり中国大陸、スケールが違いますね。時間になって、車内に乗り込むと満員である。上の棚もスペースがないくらい、ぎっしりと詰められている。民族大移動を思わされた・・・。列車が出発してからも20分くらいずっと、できるだけ荷物を載せれるように配置換えなどを皆で熱心にしている様子をみているとおかしかった。10時過ぎようやく上海駅に着いた。その後ホテルに戻る前に、南京東路近辺で散歩したが、日曜日の晩だからか、ネオンも少なく歩いている人もかなり少なかった。代わりにPOLICEの車がよく走っているのが見受けられた。これだけPOLICEが警戒していれば、治安も悪くならないだろう。

 

(月曜日)

特段もはややることがなくなったので、あてもなく市内をぶらぶらすることにした。まず、静安寺に入って、上海人の熱心に祈る姿を真似て線香を立てて祈ってみたりした。大仏の裏側では解体工事をしていて、クレーンで建物を壊す作業など今まで見たことがなかったので、見ているだけで楽しめた。その後、デパートの中に入っている日系の味千ラーメンを食ったり、南京東路でショッピングしたりした(結局欲しい物がほとんどなく買わなかったが)。ホテルに荷物を取りに戻って、最後はリニアモーターカーに乗って上海浦東空港に向かった。リニアは時間帯の関係上か、残念ながら300kmまでしか出してくれなかった。空港では、余り過ぎた人民元を使わなければいけないという気持ちから、いくつかお土産を買ったが、なんせ明らかに現地相場に比べると高いのであまり買えなかった。結局、余った人民元は日本の空港で換えました。レートは悪いかもしれないが、上海の空港で手数料50元取られることを考えればお得であろう。

 

韓国ソウル 2009/1

 

社会人になってやっと生活が落ち着きだしたので、海外旅行へ行くことにした。週末の前後の金曜日・月曜日に有給休暇を取得して4連休でソウルを目指すことにした。今回はベトナムに一緒に行ったお決まりの友人Hとの旅である。私はJALのマイルがたまっているのでそれを使いたかったが、友人を配慮して格安ツアーで行くことにした。ツアーの手配はH氏に任せておいたが、期待通り50000円弱(燃油、空港税込み)の良いツアーを申し込んでくれた。現地オプショナルツアー(板門店ツアー)は私がhttp://www.alan1.net/ で申し込んでおいた。板門店ツアーは75000ウォンである。昨今の円高ウォン安を受けて、レートが100ウォン=7円だからかなり安い。

 

1日目

飛行機は9時発の便を押さえてくれたので、朝早く起きて京成線にて成田空港へ向かう。8時前にH氏と合流し、チェックインを済ませる。搭乗まで時間があまりなかったので、トイレもゆっくりできずに慌しかった。飛行機はアシアナ航空で約2時間半のフライト。仁川空港に到着して、送迎バスに乗るために指定された場所「F番出口」で待つが、なかなかそれらしき人物が現れなかった。我々は、日本のツアー会社に電話をして問い合わせてもらい、しばらく待たされた後、「A番出口へ来てください」と館内アナウンスで流れた。そこで、広い仁川空港の端まではるばる行ってみるが見当たらない。仕方ないので戻って、インフォメーションデスクでこちらから呼び出そうとするが、ツアー会社の宣伝になるからできないとのこと。代わりに現地ツアー会社に電話をかけてくれて、話をしている途中にたまたま隣で我々の名前を呼ぶ声が聞こえて振り向くと、その人がツアーガイドであった。ツアーガイドはE番出口で集合する旨を聞いていたようだ。結局そんなことがあって、空港を出れたのは2時頃であった。これで1時間半くらい時間をロスしたことになり、非常に腹立たしかった。お互いが直接連絡する手段を持っていないため、こういったことはまま起こりうるであろうと思った。それにしてもツアー会社のいい加減さに腹が立った。さて本来、免税店へ立ち寄ることになっていたのだが、頼んでパスしてもらうことにした。バスの中では、ガイドがいろいろ説明してくれてありがたかったが、そのうちオプショナルツアーの勧誘をしだしていやになった。垢すりとNANTAを薦めてきて、騙され易い友人が申し込もうよという雰囲気を出すので、警戒感の強い私もしぶしぶ同意した。だが結局、日本人観光客相手の垢すりなんかに高い金を払ってまで行きたくなかったので、そっちは拒否することにした。NANTAはもともと時間があれば行くつもりであったので申し込んだ。さて、ホテルはREXホテルという明洞から徒歩5分程度という非常に立地条件の良いところである。ホテルで少し休憩した後、ソウル市内をぶらつくことにした。まず最初に南大門市場を通って、徳寿宮へ向かった。ソウルはやはり非常に寒いと感じた。実際、地面の雪は溶けずにずっと残っているので最高気温でも氷点下くらいであろうと思われた。その後、ロッテ百貨店などに立ち寄ったりしてぶらぶらした後、明洞聖堂へ向かう。それから日が暮れる頃に明洞(ミョンドン)で餃子を食う。なぜ韓国で餃子なのかよく分からないが、H氏のチョイスで入った。まあ現地の人で賑わっていたので、ある程度人気の店なのかもしれない。明洞の雰囲気はまさに新宿みたいな感じだ。歩いているだけで楽しめる。さてその後は、カジノへ行こうということになった。ソウル駅近くのseven luckである。中に入ると、たくさんのテーブルがあって、多くの観光客ギャンブラーで賑わっていた。ルールが分からないので、そこでパンフレットを見て少し学習する。それから各テーブルを邪魔にならないように観察する。中には高額でプレイしている人も見受けられて、自分たちの資金ではあまりに情けなすぎると感じた。結局ルールの簡単なタイサイで勝負することにした。ルールは簡単で3つのサイコロの合計を予測するものだ。1回目、1万ウォン(約700円)で勝負。合計が4~10なら’小’、11~17なら’大’が当りなのだが、私は「大きい人物になりたい!!!」という単純な理由から’大’に賭けた。だが残念ながらはずれて没収。。。2回目、クーポン券でゲットした1万ウォンを懲りずに’大’へ賭ける。見事当たって1万ウォンゲット(その際クーポン券は没収された)。さて三回目。またまた’大’へ。また当り!これで現在10000ウォンの利益が出たことになった。まだ続けようか迷ったが、このゲームはやればやるほど、確率的には損するゲーム。なぜなら合計が3あるいは18の場合は、’大’’小’いずれに賭けてもはずれになるから。ここで止めておくのが賢明!と妙に冷静な判断をして終了。カジノの雰囲気を味わえたのは良かったと思う。ちなみに、利益の1万ウォンは、1万ウォン損したH氏にあげた。こうして私は真の大きい男になったのであった。(まあ、たった1万ウォンしか賭けないで大きい男なのか?という疑問は大いに残るが・・・・)その帰り道歩いてホテルへ戻る途中、温泉マークの看板がある建物があちこちにあるのに気づいた。最初、銭湯か旅館かなと思っていたのだが、どうも違っていて風俗店のようだと分かった。ホテルの目の前の建物にも温泉マークがあり、前には呼び込みのお兄さんが立って勧誘していた。ホテルに帰ってから、そのお兄さんの行動や、客の入っていく姿を上から覗いて観察していると、張り込み刑事(デカ)になった気分で面白かった。

 

 

2日目

朝7時に起床。板門店ツアーの集合場所のロッテホテルへ向かう。ツアーの概要は以下の通り。


【ツアースケジュール】
<集合> ロッテホテル本館6階国際文化サービスクラブ→統一大橋(検問)→キャンプポニバス→ブリーフィング→ 板門店見学(自由の家、本会議場、第三警戒所、帰らざる橋など)→キャンプポニバス→昼食(1部コースの場合)
<解散> ロッテホテル明洞
☆昼食
プルコギをはじめとした、15種類以上の韓食や洋食のそろったバイキングを用意しています。

バスは8時50分発。ガイドは30歳後半くらいのおばちゃんで、日本語はあまりうまくなく、まるで外国語を聞いているようであった。車内では、南北関係の歴史について説明してくれた。(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E9%96%80%E5%BA%97
高速道路を走ること、約1時間ほどで到着。2回ほどパスポートチェックを受けた後、観光バスから現地バスに乗り換えた。その際、「安全は保障しません」と書かれた誓約書にサインさせられた。板門店を回るには警備兵が1名必ずつくことになっているのだが、これがまたすげえ韓流のイケメンだった。板門店の兵士はみな、体格がよく精悍な顔つきをしていた。厳しい訓練のなかで変わっていくのであろう。単純な私は自分も筋トレをせねばなと痛感した。さて、このツアーのメインである、かの有名な会議場に入る時にはちょっと緊張した。中に入るとサングラスをかけた兵士が2名仁王立ちしており、1名は中央のテーブルの脇に、もう1名は北朝鮮側の扉の目の前にいた。兵士は微動だにせず、場の緊張感がひしひしと伝わってきた。この板門店で警備している兵士は韓国軍ではなく、国連軍所属であり、かなりのエリートだということだ。兵役を終えて戻っても、結婚には困らないそうだ。そういう話もバスガイドさんが話していた。韓国の徴兵制は特別の事情がない限り全男性が対象である。(
http://www.konest.com/data/korean_life_detail.html?no=557
やはり、この徴兵制は韓国内で常に物議を醸しているらしい。2年間兵役に行っている間に、彼女が他の人と結婚してしまうというような悲しいことも頻繁にあるらしい。さて、板門店を後にして、展望台などに立ち寄った後、昼食タイムとなった。バイキングというから期待していたが、冷めていてまずくて仕方なかった。体が冷えているんだから、せめて温かいものを出すとかいう配慮はないものかなと思わされた。ソウル中心部に戻ってきたのは3時頃。急いで地下鉄に乗って、鐘路(チョンノ)へ向かう。昌慶宮に入ったが、想像以上の広大な敷地により、他の遺産は営業時間に間に合わなかった。その後、昼食を食べるために東大門(トンデムン)へ。ここは、大規模なファッションビル群になっており、若者で賑わっていた。渋谷みたいな感じかな?DOOTA、Migliore、Hello apM などのビルを歩き回った。ただ、現在やはり韓国でも不景気を反映しているのか、客が閑散としており、店員が暇そうにしていた。そして、どこかビルのフードコートでチゲ鍋とチギ鍋(豚キムチ鍋)を食べた。確かにおいしいのだが、あまりの辛さにだんだん舌がしびれてきて、頭がクラクラするくらいである。ここまで辛くせんでもええやろ~と思った。食べた後は、Nソウルタワーへ行くつもりであったが、ミリオレの前でイベントがやっていたのでちょっと見ていると、面白くて結局1時間半くらいずっと立って見てしまった。メインはダンスであったが、出てくる子たちが皆かなりうまくて、ついつい見入ってしまったのだった。大音量の音楽が心地よく身体に染みてきて、寒さを忘れていた。その間、ふと今日見た板門店の兵士が思い出された。一方では、閑散とした土地で微動だにせずに立っている。もう一方では、人の集まるところで動き回っている。そのギャップが頭の中で違和感を引き起こしていた。まあだからどうしたというほどのものではないが・・・。また、観衆の韓国人たちを見ていて、ふと私がこれまで外国で出会った韓国人たちが次々に思い出された。特に、ロンドンで出会った2人とはまたいつか会いたいなと思った。私と気の合いそうな2人であった。広いこの世界で、再び出会える可能性などほぼ皆無であるが・・・。さて話は戻って、結局Nソウルタワーは断念して、ライトアップされた清渓川を散歩した後、ホテルに帰った。

 

 

3日目

朝7時起床。世界遺産の水原(スウォン)へ行く日である。地下鉄1号線からKORAIL京釜線に乗り入れ、約1時間で水原到着。観光案内所で華城への行き方を教えてもらい、バスに15分ほど揺られ到着。華城行宮はドラマ{チャングムの誓い」の撮影地であり、ドラマを見た私には楽しめた。H氏はさっさと行こうぜという感じであったが。その後、丘を登り、城壁の西将台までたどり着いた。見晴らしがよく、水原の町が見渡すことができた。大きな都市だなと思っていたが、今調べてみると韓国の人口8位の都市であった。その後、長い長い城壁をひたすら歩く。半周くらいしたところにある東将台手前で終了。そこでは、弓の体験射撃をした。想像以上に矢は勢いよく飛んで行き、的にブスっと突き刺さったら最高の気分だ。さて、再びバスに乗って水原駅前へ。昼食として水原で有名なカルビを食べたかったが、カルビと思って入った店が違っており鍋の店であった。適当に頼んだら骨だらけの鍋が出てきてぶったまげた。どうやらカムジャタンという鍋であるようだ。ここでも辛すぎで、食が進まなかった。食べた後は再びソウルに戻って、まずは世界遺産の昌徳宮へ入った。ここは非常に不便なことにツアーでしか回れないことになっていた。さらに日本語ガイドツアーは終了しており、韓国語ガイドツアーに参加したが、何行っているか全く分からず退屈することになった。1時間以上我慢したが、なかなか進まないので途中でこっそり抜け出して、昌徳宮を後にした。そして西大門刑務所歴史館へ向かった。ここは日本の占領統治時代の残虐な行為を紹介しているところであり、館内で日本語を話すこともためらわれるくらいであった。これだけ悪いことをしていたら、韓国人が日本人を恨む気持ちがあって当然だなと思わされたのだった。ただ、当時の日本人もほとんど同じ顔をした韓国人によくこんな酷いことができたものだなと思った。だんだん人間としての心が麻痺してくるのだろうか・・・。さてその後は、夕暮れ時にNソウルタワーに向かう。世界各国にあるタワーに共通な通り、カップルで賑わっていた。(ああ、東京タワーに好きな女の子と登りたい・・・。)それから明洞に戻り、石焼ビビンバ・冷麺・チジミなど、久しぶりの辛くない食べ物をたらふく食べた。石焼ビビンバがとてもおいしく、日本でもまた食いたいなと思った。おなかいっぱいになったところでタクシーに乗って、予約していたNANTA劇場へ。NANTA(
http://nanta.i-pmc.co.kr/jp/
は様々な調理器具を使って演奏するという劇だ。S席で前から2列目という良い場所であったが、それでも5万ウォンと安い。円高最高ね!!9時から始まり1時間半クオリティの高い劇を楽しんだ。劇の途中で観客から舞台に上がる人が選ばれるのだが、通路側のH氏が見事選ばれ舞台に立った。さすがのH氏も非常に恥ずかしそうにしており、「オレ通路側じゃなくて良かった」と私は思ったのだった。

 

 

4日目

前夜、寝るのが遅くなってしまったので、8時起床。朝からチルジルバンというサウナに入ることにする。場所はソウル駅から歩いていけるシロアム汗蒸幕サウナである。中には様々なサウナ室があり、暑くて息ができないような部屋や、一風変わったサウナ室もあり、楽しめた。日本人だらけの垢すりサウナなんかより、現地人で賑わうこちらの方がよっぽど良いと感じた。サウナで気持ちよく汗を流した後は、明洞でH氏チョイスの焼肉を食べた。今回の旅はほとんどH氏に頼りっぱなしであったなと思う。毎日あまりに寒くて、ガイドブックをポケットから取り出すのが億劫であったのが一因かなと思う。最後に南大門市場で、お土産を買って韓国観光もついに終了。5時のフライトでソウルを後にした。3泊4日充実した日々を過ごせたと思う。

 

 

おまけ)ソウルは東京と似ているからつまらないかなと思っていたが、想像以上に良い旅であった。韓国と韓国人が大好きになってしまった。これまで自分が旅した国は全部好きである。

 

 

ホーチミン 2008/3


(準備)
今回は、旅の手配にたいへん苦労した。一緒に行く高校時代の友人にツアーの予約を任せていたが、気がついたら時間だけが過ぎてしまった。(催促をあまりしなかった私も悪かったのだが。)そして1ヶ月前になってやっと手頃なツアーを見つけて予約しようとすると、飛行機が埋まっていてキャンセル待ちという状況だった。いくつか当たってみたが、どのツアーもそんな感じだった。焦って、イライラする日々が数日続いた。結局、ちょっと金額が高いが、HISのツアーのベトナム航空で行くことにした(JALとのコードシェア便だが、料金がなぜかJALよりかなり高い)。旅行代金は、燃油サーチャージや税金なども含めて、一人約10万5000円。ちと高いが、仕方あるまい。繁忙期は、最低2ヶ月前にはツアー予約しておく必要があるということを学んだ。(40日前までならどうせ取り消せるんだし。)
 
(1日目)
関空に朝9時に集合。お決まりのソバ屋で食べた後、11時にTAKE OFF。機内の席は結構ガラガラで、ひろびろと座ることができて快適であった。5時間半のフライトで、ホーチミンシティー(サイゴン)に到着。時差が-2時間なので、到着時間は14時半だ。空港の銀行でとりあえず1万円を両替した。受け取ったのは、約1,600,000ベトナムドン。桁が多すぎて非常にややこしい。デノミを実施してくれ。だいたい1000ドンが6円なので、ベトナムドンの桁を3つ消して6を掛けると日本円に換算できる。HISの出迎えでホテルに向かう。その途中、道路上のバイクの多さに驚いた。大気汚染が激しいのか、マスクをしている人が多い(特に女性)。仮面ライダーがいっぱいいるのを想像し、何度もおもわず噴き出しそうになった。また、クラクションがひっきりなしにどこかで鳴っている。あまりに活気があるので、それまでのベトナムのイメージが完全に崩れた。さて話は戻って、ホテルに着くと、同じホテルで下ろされた女2人組に、市内中心地までのタクシーをシェアしようと持ちかけられた。タクシー代なんて安いんだからシェアする必要ないのにと思ったが、別段断る理由もないので引き受けた。シャラトンホテルで下車し彼女たちと別れた後、我々はまず現地ツアー代金を支払うためにTNKトラベルに出向いた。日本人スタッフが対応してくれた。なかなか良さそうな旅行会社だと思い、安心する。その後、国営百貨店に入る。相方がショッピング好きで、値切る交渉を楽しんでいた。私はこれまで海外でショッピングをあまりしなかったので、値切り交渉は新鮮だった。店員さんたちは片言の日本語と英語ができる。彼女達はなかなかシブトイ。ベトナムにはなかなか良いものが売っていると感じた。国営百貨店を出ると、サイゴン川クルーズに乗り込む。出発まで1時間以上待って少々退屈したが、その間食事を取った。サラダと焼飯と春巻を注文したが、おいしくなかった。とくにマレーシアサラダは最悪だった。パクチ(香菜)が入っていて、どうも私はそれが苦手だ。結局サラダはほとんど残した。クルーズは約1時間だった。ちなみに民族音楽の生演奏があった。生演奏はいいが、スピーカーがすぐ近くにあるのでやかましくてたまらんかった。その横では酔っ払ったベトナム人たちが陽気に踊っていた。もう少しで船場に着くという頃に、セクシーな衣装を着た女性がいきなり登場してきて、ファイアーダンスを踊りだす。客の数人が一緒に踊って、最高に盛り上がったところで船は到着してクルーズは終了した。なんだかよくわからんクルーズだが、それがまたおもしろかった。予算は約1000円でした。帰りは、ホテルまで歩いて帰ろうとした。その途中でベンタイン市場脇のナイトマーケットに寄った。夜遅いのに関わらず、マーケットは賑わっていた。ベトナム人は働き者が多いと聞いたことがあるが、そうかもしれないと思った。さて、我々のホテルは想像以上に中心地から遠かった。1時間以上歩いても着かないので、結局タクシーに乗ることになった。しかし残念なことにホテルはその地点からほんの数100mのところであった。ホテルは立地条件が悪いだけでなく、冷房が壊れかけで、浴槽に水を溜めることもできない、最低なホテルであった。(さらに最終日にはイモリも出たな。)2000円ケチらずにドンコイエリアのホテルにすればよかったと思う。

(2日目)
昼からHISの市内観光ツアーだが、それまで自分達で市内観光をすることにした。まず、戦争証跡博物館に行った。ここは日本で言うと、原爆ドームみたいなもので、ベトナム戦争中の悲惨さを示す写真パネルなどが展示されていた。次に、ホーチミン市博物館に行った。その後、時間を潰すためのカフェを探して歩いている途中、一人のベトナム人の男が日本語で話しかけてきた。彼は仕事で日本に何度か行ったことがあるそうで、日本語をけっこう流暢に話す。他愛のない話をした後いったん別れたが、しばらく後にわれわれが歩き回っているときに再会した。そしてオススメのカフェに案内してもらうことになった。私一人だと絶対付いて行かないが、友人と一緒なので大丈夫かなと思って、付いて行くことになった。カフェで少々変わったコーヒーを飲んだ。そこは割り勘だった。その後、おすすめのタクシーでコーヒーショップに連れて行ってくれることになった。ここは断るべきだったと今は思う。10分以上もタクシーに乗って、コーヒーショップに到着した。コーヒーとジャスミンティーの袋1つずつで約1000円も払わされた。’騙されたな’とそのときに直感した。どうも多めに払わされている感じがした。その男がマージンをかなり取っているのだ。しかし、手口はかなり巧みだったと言えよう。被害額が少なくてすんでまだ良かったと思うことにしよう。ただ、なによりその後の気分が悪かった。街中で日本語で話しかけてくる奴はやはり要注意人物だな・・・。その後、その男と別れ、HISのツアー集合時間にはなんとか間に合った。このツアーはシクロ体験乗車ツアーだ。自転車みたいな乗り物で、市内観光するというものだ。実際に乗ってみると、なかなかおもしろかった。中央郵便局、サイゴン大教会、統一会堂などを通過した後、ベンタイン市場でシクロを下車した。ベンタイン市場にはいろんなものが売っていて、しつこい売り子も多かった。その後、ケムバクダンというカフェでココナッツアイスを食べた。そこで、ツアーは解散となった。その後、我々は先ほど内部に入れなかった統一会堂を再び訪れた。その日は日本語ガイドがいなかったので、われわれは自分達だけで回った。統一会堂を後にして、ベトナム航空のクーポンでフットマッサージをしてもらえるSEN・SPAに行った。約1時間のフットマッサージでリラックスできた。スタッフはみなフレンドリーで楽しめた。夕食はリッチにマジェスティックホテルにあるレストランでフランス料理を食べた。今回の旅行では、リッチにいくことを決めていたのだった。料理がおいしいのはもちろん、眼下に眺めるサイゴン川の夜景がなかなかオシャレだった。予算は約2000円である。いずれにしても濃い1日だった。

 
(3日目)
朝早く起きて、TNKトラベルのメコン川日帰りツアー(英語)に参加する。スケジュールは以下のようであった。
8:00 TNKトラベル前より出発午前 約1時間半でミトーに到着後、ミトー観光とボートクルーズ。昼食 メコン川に浮かぶ「トータス・アイランド」での昼食昼食後、「闘鶏」をご覧いただきます。午後 昼食後、ボートで運河を進みベンチェへ。手漕ぎボートや馬車を乗りついで、ココナツキャンディー工場とハチミツ農園の観光ハチミツ農園ではハニーティーのサービスそのほか、フルーツの試食や、メコンデルタの伝統音楽の鑑賞など盛りだくさんの内容をお楽しみください。ボートでミトーへ17:00 ミトーを出発し、バスでホーチミン市へ18:30 ホーチミン市に到着。TNKトラベル前でツアー終了ガイドさんはFONGという名前の男前のお兄さんで、彼の英語は結構聞き取りとりやすかった。バスは、休憩を含めて約2時間半でメコン川クルーズの拠点ミトーに到着する。そこからボートに乗り込み、はちみつ農園やココナッツキャンディ工場などを見て回った。手漕ぎボートにも乗った。ヘビを首に巻くのも体験した。昼食は小島で焼飯を食った。盛りだくさんの充実したツアーであった。これで9ドルは安すぎると思った。TNKトラベルは、かなりおすすめできます。ちなみに日本語ツアーは20ドルで、英語ができれば観光の幅が広がるだけでなくお金も節約できるということを知った。もっともっと英語を勉強せねばならぬと、さらにモチベーションがUPしたのだった。さて市内に帰ってきてからは、REXホテル内にあるロイヤルコートというレストランに入った。なぜかというと、ベトナム航空のクーポンがSEN・SPAで回収されなかったから、もう一度使えるなと小ざかしい知恵を使ったのだった。ラッキーであった。料理はベトナム料理でまあまあの味だった。民族楽器の生演奏や若い踊り子たちの舞を鑑賞できた。

(4日目)
今日はクチトンネルの半日ツアー(5ドル)である。スケジュールは以下の通り。
8:15 TNKトラベル前より出発約2時間でクチトンネルへ途中10分ほど休憩します。10:00 クチトンネルに到着。模型やビデオを利用して、ベンディントンネルの説明。当時のトンネルの内の施設を見学約30mのトンネルに入って体験。ライフルの試射。(料金別途)12:00 バスに乗り、ホーチミン市へ14:00 戦争証跡博物館前で停車し、希望者のみ下車バスはそのままTNKトラベル前で解散ガイドは、たまたま昨日と同じFONGさんだ。バスは休憩も含めて、約2時間でクチの地下トンネルに到着。最初にビデオ鑑賞したが、英語がちんぷんかんぷんだった。その後、クチトンネル内部などを歩いた。トンネル内部は酸素が少ないのか、異様に息が上がり苦しかった。ちなみに銃の試射も体験した。約6ドルで5発だ。音が凄まじくて、耳がつぶれそうだった。おそるおそるの射撃だったが、いい経験ができた。ホーチミン市に帰ってきた後、我々はカフェで昼食を取って、それからチャイナタウンであるチョロン地区に向かった。ティエンハウ廟など見所を回って、最後にビンタイ市場をうろついた。チョロンから中心地まではバスで帰ってきた。3000ドン(約20円)と、タクシーに比べるとかなり安かった。バイクであふれかえっている道路をなかなか進めないので、バスはひっきりなしにけたたましいクラクションを鳴らしていた。夕食はZEN・PLAZA内にあるスシバーに行った。ここの寿司は日本のと全く同じでかなりおいしかった。予算1000円でこのクオリティーは納得。連日、全力で観光しているので疲れが出た1日であった。

 
(5日目)
だいたい昨日までで有名どころは制覇してしまったのでどうしようかなとかなり迷ったが、朝早く目が覚めたので、ビーチを見るためにブンタウに行くことに決めた。ブンタウは水中翼船で1時間15分で行ける、近場のビーチだ。朝9時の便にギリギリ間に合ったのはラッキーだった。この船はかなり早い。時速80キロくらいは出ているんじゃないかな。トッピーみたいな高速船であった。外に出ると、風がとても気持ちいい。さらに景色も楽しめた。大きな貨物船もいれば、小さな漁船も見られる。この高速船に乗れただけでも来た甲斐はあったなと思った。ブンタウに着くと、タクシーでキリストの像に向かった。徒歩で丘を登っていくとやっとキリストの像に着いたが、なんと閉まっているではないか。時計では11時、ガイドブックには11時半まで開いていることになっているはずなんだが。係りの人ぽい人が中から出てきて帰る用意をしている。入れてくれとお願いしたが、ダメだと十字架を胸で作って拒否する。信仰心があるなら、そこは慈悲で入れてくれよと思ったが、どうにもならなかった。残念ながら諦めざるおえなかった。次にバックビーチに向かうことにした。歩いていると、バイクタクシーが寄ってきて、15000ドンでどうだと行って来た。バイクタクシーは交渉性でトラブルが多いから止めとけとガイドブックに書いていたが、そのときはそのときでバトルすればよいと思って、乗ることにした。1台のバイクに3人も乗るので怖かったが、風が気持ちよかった。料金の件は心配していたが、全く問題なかった。バックビーチは約4kmあるらしく、かなりの距離を歩いた。水はお世辞にもきれいとは言えないが、ビーチで楽しむベトナム人を見れたのはおもしろかった。その後、タクシーを捕まえて、釈迦仏台に向かおうとする。そのタクシーは露骨に遠回りするし、メーターの上がり方が早いような気がしたので、途中で降りた。メーターの上がり方が早いのは昨日市内のタクシーでも遭遇した。一体どういう細工をしているのだろうか。さらに次に捕まえたタクシーも遠回りをしやがり、結構の出費になった。釈迦仏台はたいしたことがなく、苦労してまで来るほどではなかったかもしれぬと感じた。その後、バイクタクシーに乗って、ホワイトパレスに行った。このバイクタクシーも優良ドライバーだった。少なくともここブンタウでは交渉性のバイクタクシーの方が良いと思う。最初に金額が決まっている方が、安心だ。もし向こうがふざけたことを言ってきても、こちらは男2人だから確実に口論で勝てる。一方、メータータクシーに細工がしてあっても文句が言いにくいし、向こうも遠回りする可能性が高くなる。ホワイトパレスでフロントビーチを一望した後、3時の便でブンタウを後にした。帰りも私は一人で甲板の上でずっと海を見ていた。日差しがきつく、日焼けが進行しているのが分かったが、構わず景色の移ろいを眺めて満喫した。ロマンチックだと感じた。ホーチミン市に帰ってきた後は、動物園に行った。時間が遅かったせいか、門が閉められて入れないところも多かった。夕暮れ時なので、やはりカップルが多かった。その後、相方が口コミで調べてくれたフットマッサージ店(ロイヤルフットマッサージという店)へ行った。チップ、ドリンク込みで約10ドルであのクオリティーは良かった。口コミって想像以上に大事だなと思ったのだった。マッサージしてくれた女の子は22歳でかわいかったので、いろいろ話をしたかったが向こうが英語が全然できず、残念だった。最後に、フ-ンライというレストランに入った。我々にはあまり時間がなく、焦っていたが、その店はたまたまオーナーが日本人の人で、早めに料理を出してくれないかとお願いしたところ、すぐに持ってきてくれた。スタッフの女の子たちもフレンドリーでおすすめの店である。予算は1000円。そして、何とか集合時間の9時15分までにホテルに到着できた。HISの人がやってきて、空港へ向かった。最終日もやっぱり濃い1日であった。
 
(6日目)
0時10分の便でサイゴンを離陸した。帰りの便も空席が目立ち、ゆったり座ることができて快適だった。家に帰ってきてからは、下痢が激しく熱が続いた。どうやら食中毒にあたったらしい。機内で飲んだミルクが臭かったので、それが怪しいと私は思っている。いずれにしても最後まで、盛りだくさんな中身の濃い旅行であった。
 
(まとめ)
今回は初めて友人と海外旅行した。喧嘩とかしないかなと行く前はやや心配したが、意見対立すらほとんど皆無だった。協調性のない私とこれだけ仲良くやっていける彼はかなり人間的に優秀な人物だと思った。今回の旅行では2人の力を合わせて、連日充実したプランを達成することができたと思う。また、いっしょに行こうぜよ。
 

ローマ 2007/12

 

パリを立ってから約1時間半、ローマのフィウミチーノ空港(通称レオナルド・ダビンチ空港)に到着。空港内でやや迷いながらも、鉄道駅に着き、切符を買ってレオナルドエキスプレスに乗り込む。約30分でローマの鉄道の中心、テルミニ駅に着く。まずは荷物を置くために予約済みのユースホステルに直行する。アレッサンドロ・ダウンタウンというホステルで駅から2,3分という最高の立地条件だった。部屋は8人部屋だが、きれいだしパリのホステルよりはマシのようだった(値段もこっちの方がやや高い)。荷物を置いた後はテルミニ駅構内を歩いて回った。スーパーマーケット(CONAD)があったので、非常に便利だと思った。オレンジとお土産用のインスタントリゾットを買った。その後、セルフレストランに入った。いわば食堂みたいなもんかな。時間が遅かったこともあり、パスタが冷めていたが、テーブルでゆっくりできるのは良かった。食後はさっきスーパーで買ったイタリア産オレンジを2個も食べつつ、地球の歩き方を読んでのんびり過ごした。

 

翌朝、ルームメートのゴソゴソする音で目が覚めた。結局パリとローマの滞在中、目覚ましは一度もセットしなかった。誰かが起きると勝手に目が覚めるから、9時や10時まで寝過ごすということがないからだ。朝食は、一応コーンフレークが置いており、パンもそこそこおいしかったので、ローマでは朝食をホステルで食べていくことに決めた。ホステルを出てからは観光案内所に行って、とりあえずローマパスというものを買った。これは地下鉄・バスが3日間乗り放題で、ローマの見所2箇所に入場できるというチケットだ。しかし、その後どこへ行けばいいのかと途方にくれた。ローマはほとんど研究していなかった。それにどうも頭の調子が悪く、やる気がしない。パリで全力で観光したので、その疲れが出てきているのかもしれないなと思った。駅周辺で1時間近くダラダラした後、とりあえずテルミニ駅周辺の見所でも押さえようと決めた。まずは近くの教会に入り、その後、ローマ国立博物館に入った。ここでローマパスを使った。古代ローマの彫刻ばかりが展示されていた記憶がある。すばらしいのかもしれないが体のパーツ(鼻、指、ペニスなど出っ張った部分)が欠けまくっているので、なんとなく私にとっては物足りなさを感じた。その後、サンタマリア・マッジョーレ大聖堂に行って、その後はまたどうしたらいいのか途方にくれた。気だるさを感じながら何も考えず、とりあえず有名どころのトレビの泉に向かってぶらぶら歩いた。トレビの泉は大勢の観光客で賑わっていた。肩ごしにコインを投げるという俗っぽいことも一応しておいた。その後、パンテオンや3つの噴水があるナヴォーナ広場を見て回った。それからローマ博物館アルテンプス宮に入って、また古代ローマの彫刻を見た。やはり体のパーツが欠けているが、体の曲線は完璧に彫られているのはすごいと感じた。ローマの町をブラブラ歩いていて思ったことは、まず細い路地がたくさんあってなんか迷路みたいになっていることと、噴水がやたらに多いこと。それからローマって面積的にかなり小さな町だなって感じた。地下鉄やバスを使わずとも観光ができるなと感じた。あとは治安はかなり良いと思う。なぜなら観光客がいそうなところには必ず警官が立っているから。ローマの雰囲気ははなんだか平和すぎる感じがして、家族旅行に向いているなという印象を持った。晩は地球の歩き方に載っているレストランに入った。お得な定食を頼んだが、ナイという。WHY?ときくとFINISHED.という答えが帰ってきた。まだ開店して30分しか経ってないはずなんだがと疑問には思ったが、まあ仕方ないので一品ずつ頼んだ。スープとパスタを注文して食べた。日本人であふれかえっていたが、味・値段ともに悪くないので明日も来ることにしよう。

 

 

 

2日目はバチカンに行ってきた。開館時間の9時より20分早めに並んだが、すでにバチカン宮殿の行列はすごかった。だが、並んでいる間ガイドブックを読んで翌日の予定などを立てれたので、退屈はしなかった。結局2時間待った。(後で分かったのだが、なぜか開館時間は10時だったようだ。)宮殿内部はやたらに人が多かったのでなんとなく落ち着いて見ることができず、はっきり言ってつまらなかった。有名な「最後の審判」はかなりでかくて驚いたが、あまりの混雑でろくに見る気がしなかった。宮殿内にあるピザ屋でピザ一切れを買って食べた。宮殿を出た後は、サンピエトロ大聖堂の中に入った。あまりに大きな大聖堂で驚いた。入り口すぐの右側にミケランジェロ作の「ピエタ」がある。磔刑に処されたのちに十字架から降ろされたイエス・キリストと、その亡骸を腕に抱く聖母マリアを表している彫刻なのだが、私はどうもこの作品が好きだ。どう好きかと言われると、どう表現したらよいか分からないが。サンピエトロのクーポラに上りたかったが、ものすごい行列だったので断念した。その後、地下鉄に乗り、有名どころの一つであるスペイン階段を訪れた。ちょうど夕陽が地平線に沈むところだった。その後、夜景を見るために近くにあるピンチョの丘まで歩いた。夜景の中に浮かぶサンピエトロ大聖堂(maybe?)がきれかった。夕食は昨日と同じ店に入った。定食を頼んだが、やはりないという。今日は開店してすぐなのに。定食は見せかけメニューだと分かった。しかも昨日と同じように、「カラフ(水道水)をくれ」と言ったら、ダメだといわれた。イケズだなとかなり気分を害した。スープとリゾットを注文して食べた。「チェック、プリーズ」と言って勘定書をもらった時、悪徳レストランだと確信した。リゾットの値段が違う。1ユーロ高い。サービス料も昨日より0.5ユーロ高い。だましやすい日本人のガキだと思ってなめんなよと思って、「これは違う。メニューをもう一度持ってきてください。」と拙い英語で言った。そして持ってきたメニューで確認すると、やはり違っていた。サービス料も1ユーロに書き換えていた。たった1.5ユーロだが、騙されなかったことに自信を持った。ただ観光客相手に騙すというのは、残念なことだと思った。レストランで注文する際には、必ずメニューの金額をしっかり覚えておくことが必要だと学んだ。

 

 

3日目はまずコロッセオから始まった。ローマパスを使った。その後、パラティーノの丘に登った。そしてフォロロマーノ。それからヴィットリアーノに登った。その後、シテ島の周りを散歩した。橋の下の影では、男と女が横になってチューチューしている。夜だったら、服を脱いで事を始めそうな勢いだ。次にお決まりの「真実の口」を訪れて、記念撮影(20分くらい行列で待った)した。ちなみに十字軍騎士団団長の別荘の鍵穴はおすすめ。鍵穴を覗き込むと、うまい具合にサンピエトロ大聖堂が中央に見える。その後、歩いてローマ一番のパノラマが得られるらしいジャニコロの丘を目指す。暗くなりつつあったので急ぎ足だった。丘の頂上のガリバルディー広場からの展望はさほどではなかった。ローマの町の明かりが弱いからかもしれない。夜景はパリの方がきれいかった。暗闇の中、そこらじゅうでカップルがチューチューしている。ローマは想像以上に治安が良いと思った。夕食はもちろん昨日とは違うレストランに入った。比較的大きなレストランで味もおいしく、値段も手軽な定食を食べることができて満足した。最初からガイドブックに頼らず、このレストランに入っていれば良かったと思った。いい気分でテルミニ駅をうろついているとサンタさんの格好した人がノートやらメモやら配っている。通行者はみんな立ち止まってそれらをもらおうと群がっている。私ももらおうと、「プリーズ」と言ったら、観光客の私にもくれた。ビニールのバックも配っていたのだが、それはみんな欲しがるので競争率が高かった。30分くらい粘ったが、結局手に入れることはできなかった。バックユースホステルに戻ると同じ部屋に、ロンゲの日本人の男2人組がいて話かけてみた。今まで7ヶ月間世界中を旅して回っているらしい。世界一周航空券というのがあって、三十数万円で最大20回飛行機に乗れるらしい。かなりお得に感じた。長期放浪の旅は、うらやましいが、大変そうに感じた。

 

 

最終日、もう行くところがなくなったので、アッピア旧街道を歩くことにした。ずっと石畳が続く道だ。ランニングしている人にたくさん出会った。車の通行が想像以上で厭になったが、チャーチリア・メッテラの墓を越えたところでやっと車の通行のない細い道になった。なんともローマの田舎を感じることができて気持ちよかった。ランニングしている人を見ていると気持ちよさそうで、自分もちょっとだけ走ってみた。アッピア街道を走る観光客などそんなにいないだろうよ。バスを待っている間、日本人がいて、どこで降りたらいいのか困っている様子だったので教えてあげた。新婚旅行でローマに来たということだった。その際、ローマ水道橋がよかったですよという情報をもらった。だが地球の歩き方にはのっていないので、行き方を口頭で詳しく教えてもらった。そしてバスを降りて2人と別れて水道橋に向かった。言われたとおりに行ってみると大きな遺跡が見えてきた。すごい広い原っぱが続いていた。趣のある水道橋があり、牧場があり、散歩には最高の場所だった。おまけに付近には列車が通っており、しかも飛行機の通り道で真近に飛行機をみることもでき、飽きない草原であった。教えてもらえてラッキーだったなと思った。今まで海外で日本人を見ると避けてきたが、親切に話しかけてみるといいこともあるもんだなと勉強になった。水道橋を後にして、ラテラーノ大聖堂に行った。歩きつかれたせいもあって、内部で数十分うとうとした。それから隣にある「聖なる階段」を登った。これは28段の階段をゆっくり時間をかけて膝で登るものだ。意外にも膝が無茶苦茶痛く、これは一種の修行なのだなと分かった。これで私のローマの休日は終わったのだった。フィウミチーノ空港でチャックインしているとき、エグゼクティブクラスの搭乗券を渡された。どうやら空いているから座らせてくれるようだ。超ラッキーだ。空港内のセルフレストランでおいしいラザニアとティラミスを食べていて、本当に幸せだなと感じた。エグゼクティブクラスの搭乗券は、ちょっとだけ遅いサンタさんの最高のプレゼントだなって思っておかしくなった。そしてローマを午後9時飛び立った。やはりエコノミークラスと違って、エグゼクティブクラスはかなり快適でよく眠ることができた。

 

そして31日夕方、成田に到着した。(どうでもいいことだが、成田で桂南光を見かけた。国内線のチェックインしようと並んでいるときに、真後ろからなんか聞き覚えのある声だなと思って振り向いたら、南光が家族といっしょにいた。帽子をかぶっていたが声と顔ですぐに分かった。大阪行きの同じフライトに乗っていた。搭乗を待っているときに他のだれも気づいていないのが不思議だったが。)成田を出発するとすぐに伊丹に到着した。伊丹空港への着陸の際、夜景が最高にきれいで感動した。これほど美しい夜景の見れる空港は世界中にほとんどあるまい。こうして私のヨーロッパへの旅は終わった。また就職活動と海外旅行に明け暮れた私の2007年も終わったのだった。