小さな冒険日記

青春時代を記録したものです。

プサン 2011/1

 

今回で韓国3回目。久しぶりにちょっくら3連休で旅行に行きたいなと思っても、国内にはもはや魅力感じないし、お金も高い。それなら韓国に行こう!ということで、話題のLCCであるエアプサンのサイトを見てみると、燃油・税金込みで20000円。思わず衝動買いしてしまった。購入した当時は、北朝鮮が韓国のとある島を砲撃して朝鮮半島に緊張が走っており、会社の通達で渡航自粛令が出ていたので、「ちょっとやべえな」と思っていたが、事態は悪化せず無事渡航することができますた。(もし行けなかったら北朝鮮を恨んでやろうと思った・・・)

 

1日目(土)

関空で「551の豚まん」と「ぼてじゅうの焼きそば」を腹に入れてから、夕方18時の便で出発。機内では「サンドイッチ3切れとヨーグルトとオレンジジュース」の軽食セットが出た。隣に座っていた日本人のおばはんの挙動がやたらにシャキシャキしていて、ちょっと変な人かもと思っていたが、まあどうでもいいかっと別に気にしなかった。いつものように、機内食食って、入国書類書き終わって、ガイドブックを読んでいたところと、隣のおばはんがいきなり声を掛けてきた。「プサンに3年間住んでいるので、何か知りたいことがあったら遠慮なく言ってね。」いきなりだったのでぎょっとしたが、ちょうどその時、空港からホテルへの行き方がよく分からず調べているところだったので、そのことを訊ねてみた。その人は最初想像したような頭のおかしい人では全くなかったが、えらくよくしゃべるマシンガントーカーであった。韓国から日本に水産物を輸出する企業(韓国の会社)に勤めている人だそうだ(名刺ももらった)。海外で働きたいという思いがあって、親の反対を押し切って、韓国へ来てから仕事を探したそうだ。空港に着いてからは、乗るべきリムジンバスをわざわざ教えてくれたので助かった。リムジンバスを小1時間乗って、チャガルチ停留所で下車。日本で予約したホテルを探すが見当たらない。こちらの気温は想像以上に寒い。というか、手が凍りそうな勢いである。現地の人数人にホテルの名前を見せて尋ねて回って、なんとかたどり着くことができた。メインロードから1本はずれた細い路地にあったので、これは確かにかなり分かりにくい。事前にもっとよく地図を見るべきだったと反省。そのホテルは「三原荘(サム・ウォン・ジャン)」という民宿みたいなところで、1泊およそ2000円。部屋は清潔で、床暖房も最低限だが効いていて、布団は電気カーペット付きと、まあまあ設備は悪くなかった。テレビを付けてみると、なぜかエロテレビのチャンネルが入っていたのは、少し驚いたが・・・。ついでに言うと、日本のAVほど過激でなかったのは残念だったが・・・。

 

2日目。

朝、少し早めに起床。ホテルすぐ近くにあるチャガルチ市場で様々な海産物をみて回った。本当に寒いのに、売り子(といっても全員ばばあだが・・・)は気の毒だなと思った。特にチャガルチ市場(建物の中にある)の外で、売っている露天商はもっと気の毒と思った。私のように精神的にしんどい仕事も大変だが、このような仕事も大変だなと痛感。さて、本日は世界遺産の慶州(日本でいう奈良みたいなところ)に行く日なのだ。地下鉄に乗って、終点の老圃洞駅まで行く。そこで、慶州行きの高速バス(4500ウォン、30分に1本)に乗る。1時間で慶州高速バスターミナルへ到着。ローカルバスに乗り換えて最初に向かったのは、仏国寺。世界遺産だが、日本人の私にとってお寺は新鮮なものではなく、おもしろいとは思えなかった。その後、ハイキングをして石窟庵へ向かう。単調な山道を1時間ほど登っていくと到着。ここは、モナリザと同じようにガラス越しにしか石仏を見ることができないので、感動も何もしなかった。さすがに下りもくそ寒い中ハイキングする力はなかったので、バスで山を下る。その後はバスに乗って慶州博物館へ。ここにはいろんな出土品が展示されているが、おもしろいとは感じなかった。つまんないので、「仏像の顔が誰に似ているか当てようぜ」ゲームを一人で楽しんだ。「この顔は、あの泥酔会見した政治家に似ている。」「これは、相撲賭博で逮捕された力士だ。」「こいつは、去年結婚した同期のあいつに似ている。」なんて感じ。それくらいしか楽しむすべがなかったのだ。最後に大陵苑という小さな丘(古墳)が点在する観光スポットを見学して、慶州観光終了。ひたすら寒かったからかもしれないが、なんとも物足りなさを感じた観光であった。再び高速バスに乗って釜山へ帰る。夜景がきれいだとガイドブックで書かれている広安里ビーチへ行き、ビーチを一人寂しく歩いた。広安里大橋のライトアップは明らかに物足りなく、疲れただけであった。その後は、南浦洞にあるロッテ百貨店光復店にて食事。カレーレストランに入ったが、カレー自体はまあまあとして、ポットに並々と入った熱いお茶が、冷えた渇いた身体には最高にありがたかった。その後、釜山タワーから夜景を鑑賞する予定であったが、もはや体力の限界で断念。その後、ホテル近くのスーパーで会社の人たちへのお土産を購入(ベタな韓国海苔ですが・・・)。昔は、せっかく旅行に来てまで、会社のお土産を買うのに時間を潰すなんてなんと馬鹿馬鹿しいことかと思っていたが、最近は考えが変わった。お土産を渡して喜んでもらえるとこちらもうれしいし、お土産を探す行為自体でもその国のことをもっとよく知る機会となり、観光の一種だと思えてきたのだ。

 

3日目(月)

朝、眠たい体に鞭打って7時前に起床。7時半に出発。行き先は太宗台。南浦洞からバスに乗る。終点の太宗台に着いても、想像していたような海岸線は全く見当たらない。看板の地図を見ると、どうやら園内の奥の方まで行かないと見れないらしい。園内に周遊列車が走っているようだが、時間が9時半からという事でまだまだ時間があるので、仕方ないので歩いていくことにした。修業みたいな行路であった。昨日同様、左足のひざあたりの筋肉が痛く、しかも冷たい海風が容赦なく吹き付けてくるからだ。しかも想像以上に距離があり、まだかまだかと思いながら、つらい気持ちで歩いた。やっとの思いで、展望台到着。まさに断崖絶壁が素晴らしい。よく晴れた日には対馬が見えるそうだが、私の目には見えなかった。ひょっとすると視力のいい人には見えたかも知れぬが。その後、灯台付近へ行き、遊歩道を歩いた。ここの景色は、facebook的に言えば、「いいね!」だ。 帰りはもはや歩く力が残っていなかったので、30分待った後に周遊列車に乗った。その後バスに乗って市街地に戻ってきてからは、著しい体力の低下から復活するために、ロッテ百貨店光復店内で昼食を取った。「ICHIBAN」という店でラーメンを食べて、心も体も暖まった。その後は、昨日行きそびれた釜山タワーへ。ここからの眺めは、私が今まで登ったタワーの中では、「エッフェル塔の次に素晴らしい」と言おう。快晴だったからかもしれない。標高がそれほど高くないからかもしれない。しかし、密集した住宅街のカラフルなこと、海が間近で眺められて太陽からの光が反射していたことが美しかったのだ。ぜひとも夜景も見たかったものだ。釜山タワーを降りてからは、国際市場やPIFF広場(映画館街)などを通ってからホテルに帰った。荷物をピックアップしてから、リムジンバス(発車時刻は朝チャックアウトする際、宿のおやじさんに聞いておいた)に乗って空港へ。空港では、ロッテ免税店で母親から頼まれた化粧品を購入(母親曰く、やっぱり安かったそうだ)。その後、セブンイレブンで「ビビンバおにぎり」というのを食べたが、なかなかおもしろい味であった。16時の便で釜山を後にした。  

 

<その後>

旅行から帰ってきたらいつも体調を崩すので、意識的にできるだけ睡眠時間を多めに取っていたのだが、やっぱり今回も風邪を引いてしまった。これを書いている本日も、一日中寝こむことになってしまった。今に始まったことではないが、体が弱い人間であるとあらためて実感。

 

<反省>

今回の旅は、寒かったの一言に尽きる。昨年行った北京よりも寒かった。気温的には北京の方が寒かったかもしれないが、風が吹き付ける釜山(海に面している)のほうが、体感温度は低いと言える。ヒートテック下着+ウールセーター+厚手フリース+ダウンジャケットという4レイヤーの重装備であったが、寒さを防げなかった。毎日寮で暖房をガンガン効かせているため、寒さに身体が慣れていないというのも大きいかもしれない。今回は油断して、忘れ物が多かったのが大失敗であった。タイツ、手袋、カイロを忘れた。特にタイツを忘れたのは致命的であった。それからカイロは意外とかなり重要な装備だと痛感した(靴下に貼るカイロもかなり有効)。

 

グアム 2010/11

 

グアムは実は2回目である。大昔、私が中学1年生だった時、両親と来た事があった。私にとって初海外旅行の地である。当時は、レンタカーで島内をいろいろ回った記憶があるが、ほとんど覚えていない。

今回、ダイビングのアドバンスライセンスを取得するために、海がきれいで有名なグアムに行こうと決めた。せっかくなので家族を誘ってみると、母親と祖父母の4人で行くことになった。

今回は、セブ島に行った時に利用した格安ツアー会社、てるみくらぶで申し込んだ。金曜深夜発、月曜早朝着という強行スケジュールであるが、一人35000円(燃油などは別)という格安だったので決めたのだった。そのてるみくらぶから、出発1週間前に電話がかかってきた。「まだチケットがとれていませんので、延泊していただけないでしょうか?」当然、私は激怒した。1ヶ月半前に入金しているのに、なぜ1週間前にチケットがまだ取れていないのだ。その後、何度もやり取りして、最終的には、デルタ航空で、3人は金曜朝発で月曜で夕方帰り、私は土曜朝発で帰りは他の3人と同じ便になった。それでもダイビングライセンスコースを断念せざるおえなくなった私の怒りは当然収まるはずはなく、「コンチネンタル航空か、ビジネスクラスか、最低でもオプションのディナーショーでもつけろ」と吠えてやった。「コンチネンタルは提携していない」(だったら、ツアー概要に大韓航空またはコンチネンタル航空なんて書くな!)、「ビジネスは空席がない」(絶対うそ!)、ということで、「オンワードディナーショーをつける」(ディナーショーの中で一番安い!)ということになった。

・上司を出せといっても出てこない。普通は、何か問題が起こったら上司が出てくるだろう。私の会社では少なくともそうである。

・お客様相談室を設けているようなので、苦情メールを送ったが、回答してこない。

・後で折り返すといってもなかなか連絡してこない。こちらからかけても電話がなかなかつながらない。やっとつながったら、向こうからかけ直すと申し出てこない。

・平日の12時~13時は営業していない。普通は交代で食事に行くもんだろうが。土曜日は営業していることになっているが、担当者は1人だけで、クレーム対応などは全くできず、営業している意味がない。

とにかく、顧客対応が最低な会社である。インターネットを見ていると同じような意見の人が多かったので、リピーターを無視するようなこんな会社はいずれつぶれると思う。 今回非常に不快な思いをさせられたが、顧客の立場になって考えることの大切さについて身を持って学ばされた一件であった。現在営業担当を勤めている自分も、顧客のことをよく考え、いい加減な対応をしないようにいつも真剣に仕事に取り組まないといけないと思った。

 

1日目。

約3時間のフライトをを経て、昼2時頃にグアム到着。てるみくらぶの宣伝で覆われた混載ワゴンに乗り込み、ホテルへ。15分程度で、グアム・プラザ・ホテルに到着。後で分かったのだが、このホテルはグアムタモン地区の中心部に位置しており、なかなか良かった。夕方に5時に家族と待ち合わせしており、それまで少し時間があったので、ホテル近くのビーチやスーパーマーケットなどをぶらぶらして過ごした。5時ごろにホテルにて家族と合流。送迎バスに乗ってディナーショーへ。結論からすると、オンワードのディナーショーはたいしたことがない。ポリネシアンショーもいまいち、BBQもいまいち。お金を自費で出すにはもったいない感じがする。

 

2日目。

今回の目的である、ダイビング。ダイビングショップは、GENTLY BLUEというところで、事前に日本で予約していった。午前はボートダイブ2本、午後はビーチダイブ1本で、148ドル(機材レンタル込み)。午前中のボートダイブは、ブルーホールとアメリカンタンカーというスポット。ブルーホールは、ダイバーの中ではかなり有名で、水深18mから78mにかけて縦穴があって、穴の中から見上げると、ハート型に見えるというスポットだ。初心者ばっかりの組だったので、残念ながら穴の中に入ることができなかったが、海の透明度は素晴らしかった。アメリカンタンカーは、沈没タンカーの中を探検できるスポット。海の透明度は最悪だが、沈没タンカーの内部で水面から顔を出せるのは非常におもしろかった。インストラクターはSUGIさんっていう人で、チャモロ人みたいな顔をしている日本人だが、ユーモアのあって感じがいい人だった。午後は、フィッシュアイの海中展望塔近くにあるピティ・ボム・ホールというスポットでビーチダイブ。ここは、餌付けスポットであるためか、異様に魚が多く、素晴らしい光景であった。インストラクターは女性でかなり若い人だった。小麦色に焼けた肌と染めた金髪が美しく、スリムなビキニ姿で悩殺されそうだった。

 

3日目。

空港送迎の集合時間が13時半。何をするにも中途半端な時間しか残っていない。仕方がないので、タモンビーチで一人寂しくシュノーケリング。シュノーケル器具は前夜に、ABCストア(コンビニ)で購入済み。遠浅のビーチは、大してきれくはないが、魚は結構いたので楽しめた。1時間ほど泳いだ後は、ホテルに戻ってシャワー浴びた。最後にショッピングモールを親とぶらぶらしてこの旅は終了。

 

(まとめ)実質、ダイビング1日だけのツアーで物足りなさを感じる旅であったが、まあ仕方ない・・・。次はサイパンでもダイビングしたいな・・・。

 

カンボジア+タイ 2010/8

 

会社の年1回の連続休暇。去年はインドに行った。今年もやっぱりアジアを一人旅することとなった。メインは世界的に有名なアンコール遺跡を見に行く旅である。飛行機はスカイゲートという航空券販売サイトで購入。バンコク経由カンボジア行きのタイ航空のチケット。燃油・税金含めて約10万円。夏休み時期ということでやや高い。

1日目。深夜0時30分のフライト。バンコクには4時半着。眠いし、シャムリアップへ向かうフライトへの乗り継ぎ待ち時間が長くて退屈。バンコクからシャムリアップまでは45分と、機内食(軽食)を食べるのもせわしないフライト時間である。距離で言えば、300~400kmくらいで陸路でも10時間程度なので、陸路で国境越えしても面白かったかなとちょっと思ったりもした。飛行機から見たカンボジアの大地は、平野が果てしなく広がっているという印象だ。シャムリアップ空港に着くと、まずはビザ取得(20US$)である。大勢の事務員がおり、発行は流れ作業で行われるので、10分もかからない。それから両替であるが、とりあえず空港では2000円だけリエルに両替した。あとから分かった結果論としては、リエルは全く両替不要であった。街中ではどこでも米ドルが通用し、リエルは補助通貨セントのように使われているだけだ。だから、おつりとして返ってくるリエルだけで十分である。さて、話は戻って、空港を出ると、僕の名前を書いたネームプレートを持ったトウクトウクドライバーが待っていた。シャムリアップでは、タケオ・ゲストハウスという日本人宿をメール予約していたが、ついでに空港ピックアップサービス(3ドル)を申し込んでいたのだった。ちなみに、このドライバーには滞在中ずっと世話になった。名前は忘れたが、31歳の背の低い男で、日本語がかなり上手。寡黙であるが、まあ真面目そうな男であった。空港から市内までは15分程度。道路はしっかりと舗装されていて、整然とした町並みというイメージを受けた。それから道路沿いの人を見物していると、若い人が多いなと思った。やはりクメール・ルージュの時代の大量虐殺により、高齢の人が少なくない年齢構造になっているのだろうか?いずれにせよ、ベトナムと同様に経済の発展しそうな活気が感じられた。ゲストハウスに着いて荷物を置いたあとは、市内観光へ。オールドマーケットというところで、さまざまな土産物店や食品の見物した。食品は、昆虫や内臓などグロテスクなものが多く、「おうえ~~」となりそうな代物ばかりである。その後、セントラルマーケットというところにも行ったが、売っているものはオールドマーケットの土産物店と同じである。僕は、そこで布に描かれた油絵を15ドルで買った。それは少女の肖像画で、顔の表情の繊細さがとても気に入ったからだ。以前から部屋に飾れる絵画が欲しいなと思っていたから、手頃なものが見つかってよかったと思う。午後は、カルチャービレッジに行った。ここは、カンボジアの歴史や文化を紹介したテーマパークで、中国深センにあった文化村のパクリのようなものだ。民族ダンスショーが各民族館で毎時間行われ、観客たちは次々とショーが開かれる民族館に一斉に移動するのであった。僕も4つくらいのショーを見た(計4時間くらい)が、正直眠くてしんどかった。変な夜のフライトであるから仕方あるまい。夕方にゲストハウスに戻って、近くのバンテアイスレイというレストランに入って夕食を食べた。料理はなかなかイケた。ここは昔、一之瀬泰三という日本人カメラマンがよく通っていた店らしい。彼は僕と同じ年である26歳のときにクメール・ルージュに捕らわれて殺されたらしいが、彼もここで一人ゆったりとこうして毎日食べていたのかなと少し感慨にふけったりした。

 

 

2日目。今日から3日間は遺跡三昧。4時起床。前日に、「明日は朝、アンコールワットサンライズを見たい」といドライバーに行ったら、5時出発と告げられた。朝起きると寝不足気味で正直眠いが、トウクトウクに乗っていて体に受ける風がとても心地良く目が冴えてきた。アンコールワットでは、大勢の観光客が日の出を待っていたが、曇りのために、いまいちというか全然駄目なサンライズ。やはり雨季ではなかなか厳しいようだ。アンコールワット内部は、デバターと呼ばれる多数の彫刻が見事であった。その後、朝ごはんを近くの食堂で食べてからは、アンコールトムへ。中心となるのはバイヨン。大きな岩に、穏やかな微笑をした菩薩像が彫られているのが圧巻であった。他のアンコールトム内の遺跡を見た次は、タ・プローム遺跡へ行った。ここでは、ぬかるんだ道に足を取られて激しくスリップした。もうズボンはどろどろだわ、手もどろどろだわ、おまけに手に持っていたカメラも被害を受けた。幸いカメラは命に別状はなく安心したが、ズボンは致命的な汚れ方である。近くに座って手で泥を落としていると、近くにいたカンボジア人青年が寄ってきて、あそこに水があるから使いなよと教えてくれた。行ってみると井戸があり、水を汲んで洗って泥を落とした。感謝感謝。その後、お昼にいったんゲストハウスへ戻って休憩した。眠れなかったが、横になっていて少し回復した。3時に再びトウクトウクに乗り、西バライとプノンバケンへ行った。西バライは大きな貯水池となっており、ドライバー曰く、シェムリアップ市内の人がよく休日に泳ぎに来るスポットだということだ。エンジンボートで中央に浮かぶ小島まで行けるが、15ドルと高いからやめた。プノン・バケンは、アンコールワット近くの丘陵であり、眺めが良いスポット。20分くらい登ると頂上である。帰りは、象が通る道を下り、象を交わしながらの歩行であり、スリルがあった。その日、ドライバーには20ドル渡した。晩は、市内中心部にある西洋人が集まるバーストリートをぶらぶらして、そこにある店で食事した。店を出てナイトマーケットへ向かおうとするとすぐに、タイミング悪く雨が降ってきた。それは物凄い雷雨であった。軒先で雨宿りしていたが、なかなか降り止まないので、退屈であった。それを見かねたのか、近くにいたトウクトウクのドライバーがFREEだから乗れと言う。とりあえず乗ると、近くの大きな土産物店に連れて行ってくれて降ろしてくれた。優しい~!カンボジア人って本当に親切だし、しつこくないし、いい国だと思う。ナイトマーケットは観光客相手のお土産物店の集合体で、売っているものはオールドマーケットやセンターマーケットと同じであった。

 

 

3日目。今日はドライバーが交代。昨日までのドライバーは日本語を話せるためか、別の日本人グループの案内をするそうだ。この日は、トンレッサップ湖とロリュオス遺跡である。トンレサップ湖までは約30分。そこで、1時間半のクルーズを楽しんだ。一人だけなので、ボートは貸切状態である。現地の小さな男の子も乗り込んできて、英語の発音が分かりにくいが、「あれは教会だ」「あれは学校だ」といろいろ教えてくれる。シャムリアップ川の両側には水上家屋が並んでいる。ハンモックでぶらぶら寝ているおじさんや子供を見ていると、気持ちよさそうだ。ここにはベトナム人が多いらしく、外国人は土地が持てないために仕方なく水上に家を建てて住んでいるらしい。途中、「お土産を買って学校へ行こう」と案内の男の子が提案する。ちょっとしたスナック菓子が5ドルと高いなと思ったので、止めといた。しかし、5ドルくらいだったら、買って学校へ行って子供たちと交流すればよかったなと、今では後悔。そんなところで、はした金をケチらないでもいいのに、と後で自分に呆れた。狭い川が急に大きなトンレサップ湖が広がる地点が、クルーズの終点である。そこには養魚場があり、ワニも何匹か飼われていた。彼らは普段全く動かないが、誰かが魚を投げ込むと突然動き出す。魚をワニたちが取り合う姿は圧巻であった。クルーズを終えた後は、次にプノン・クロムという丘に行くのを完全に忘れていて(アホ!)、そのままロリュオス遺跡群へ向かう。この遺跡を観光しているときに雨が降ってきた。仕方ないので、遺跡の中で雨宿りしたが、なかなかやまない。東南アジアにはスコールしかなく短時間で降り止むと思っていたから、傘など持ってきていない。結局1時間近く待ったが、やまないので仕方なく雨に濡れながら降りてきた。雨季だと、しとしと長時間降るということを始めて知った。市内への帰り道では、ニューマーケットに立ち寄ってもらった。ここは面積が大きく、観光客はほとんどいない現地人向けのマーケットである。ドライバーにはこの日15ドル支払った。市内に戻ると、昼食としてピザのファーストフード店に入った。ここシェムリアップには、外国人観光客が多い為か、結構外資系企業も入ってきているようである。その後、ワニ園というところに行った。チケット売り場の女性は典型的なワニ顔だったので、思わず噴出しそうになった。やっぱりワニばっかり見ていると人間もワニみたいな顔になってくるのか?あるいは、ワニ顔だからワニが好きになってワニ園で働くようになったのだろうか?さて、そこにはワニが100匹以上ところ狭しと寝ていて圧巻であるが、3ドル出す価値はなかったと思う。奴らは全く動かず、持っていた水をかけてやったりもしたが全く反応なし。まあ~、つまらないやつらである。私以上の怠け者も世の中にはいるもんだな。晩は、クーレンⅡというレストランでアプサラダンスショーを鑑賞しに行った(当日朝に予約していた)。バイキング料理を食べた後は、1時間ほどのショーを前の方で立って見ていた。化粧の影響も大いにあるだろうが、みんなびっくりするくらいの美人である。そもそもカンボジアには街中にも美人が多いと感じた。鼻は低いが、目がきれいな人が多い。クメール美人である。

 

 

 

4日目。郊外の遺跡巡りである。気温が低く、トウクトウクに乗っていると体に風が直撃して寒いくらいだった。道中は農村が広がり、のどかな風景が素敵であった。1時間半近くかけて、まずはクバールスピアンへ。ここで遺跡を見るには山道を30分以上登らなければならない。ちょっとしたハイキングをカンボジアで楽しめてよかった。その後、昼食を食べてから、バンテアイスレイ遺跡内部へ。有名な「東洋のモナリザ」はどれなのか結局分からなかった。毎日遺跡三昧であったため、もはやそんなことはどうでも良かったからだ。その次は、地雷博物館へ。館長のアキラー氏は、戦争中に地雷を埋めた経験があり、その後、その知識から長年地雷撤去作業に従事してきた人物である。彼の言葉が印象深かった。「自分の人生は自分で選べるんだ。」ずっと軍隊に強制的に働かされて、戦争が終わった時に、ある国際機関に地雷撤去を依頼されたときに、人間には選べる権利を持っていることでそう思ったそうだ。今の日本人の感覚からすると当たり前のことだが、戦争中はそうではないのだと思い知らされた。私たちはいい時代・いい国に生まれたもんだな~。さて、話は戻って、最後に行ったのは、バンテアイサムレ。ここは観光客がほとんどいなかった。帰りには、キリングフィールドに寄ってもらった。ここは、クメール・ルージュの時代に殺された墓があるところで、遺骨もそのまま積み上げられていた。当時知識人はみな殺されて、医者は全国で40名ほどしか残らず、アプサラダンサーのような文化人もほとんど殺され、眼鏡をかけているだけでも殺されたそうだ。今のカンボジアはその片鱗すら感じられず平和そのものである。市内に帰ってきてからは、ブラインドマッサージという、盲目の人によるマッサージを受けた(5ドル)。全く目が見えないのか、暗い部屋の中で手探りで体を探られるので、最初は気色悪かった。こんな店ではなく、若いお姉ちゃんと楽しく会話できるマッサージ店に入ればよかったなと後悔したくらいである。それに、意思疎通ができない為に、蚊に噛まれて大変だということを伝えることができなくて困った。おかげでマッサージ中に、無防備な私は7箇所くらい刺されて、かゆくてたまらなかった。しかし、その全盲の男性は腕は確かであった。気持ちええなと思いながら、ふとマッサージ師のことを考えてみた。彼はこれまで人生の果てしないくらいの辛い思いをしてきただろうなと思うと胸がじーんとした。自分だったら、毎日死にたくなるだろうなと思った。最後にお金を渡した時は、指触りで確認しているようだった。しっかり握手をして、ありがとうと言ってお別れした。この日の夕食は再びバンテアイスレイ。飲み物を尋ねられて、ココナッツジュースが欲しいと店員に言ったら、メニューに書いていないのにどこかから調達してきてくれた。しかも1ドルという良心的な価格。カンボジア人って素朴で親切。

 

 

5日目。バンコクへ旅立つ日である。5時起床し、空港へ行く前に、アンコールバルーンへ立ち寄る。これは気球に乗って10分間ほど空からの景色を楽しむものである。すがすがしい朝日の光が田んぼに反射する様が美しかった。カンボジアの旅の終わりにはふさわしい光景であった。空港には早く着きすぎて退屈であった。飛行機はプロペラ機でブーンブーンと激しい音を立てて飛ぶので、ちょっと不安であった。バンコクに到着したのが11時頃。市内に向かうのに、エアポートバスを利用した。近日に電車が開通するそうだが、私の到着日にはちょっと間に合わなかったようだ。ナナ駅で降りて、あらかじめ予約していたSUK11ホステルへ。1泊2000円だが、なかなか洒落たホステルである。さて、バンコクに到着したものの、3年前にバンコクの観光名所は網羅しているので、何もやることがない・・・。仕方ないので、なつかしのパラゴン(デパート)をうろついたり、バッポン通りでポン引きをひやかしたりして時間をつぶした。晩は、アジアホテルのレストランで食事してから、カリプソのニューハーフショーを見に行った。このニューハーフショーはとても楽しい。ニューハーフたちって、なぜか背の高い人が多いような気がする。股間の辺りの凹みから判断して、性転換手術を完了済みの人が多かった。ユーモアがあるショーで、バンコクお薦めのスポットである。その後は、バンコク名物ゴーゴーバーを見に行くことに。3大ゴーゴーバー街の一つ、ソイ・カウボーイに行った。初めて入ったゴーゴーバーは衝撃だった。たくさんの女の子たちがステージ上で踊っている。白人だけでなく日本人客もとても多い。セクシーな女の子たちを眺めながら、流行の音楽を聞きながら、1ドリンク300円程度でお酒を飲める(私はソフトドリンクだが・・・)。ここは天国か?

 

 

6日目。朝からパタヤへ向かう。路線バスで約2時間である。パタヤに着くと、まずはパークタワーへ行き、展望台の屋上からワイヤー下りをした。最初地上170mからの飛び降りはさすがに怖かったが、いったん飛び降りると無茶区茶気持ちよかった。その後、ワット・プラ・ヤイやワット・カオ・プラ・バートというところへ行った。次にビーチで水上バイクをした。日本で先日免許は取得したのだが、実際にレジャーで遊んだことがなかったからだ。適当にビーチサイドの店に声をかけ、30分600バーツで交渉成立。おやじに言われるままに着替えてから出発。このとき私は海外旅行で過去最大のミスをした。それは後程述べる。水上スキーは爽快そのものであった。曇天で雨がポツリポツリ降っていたが、フルスピードで走ると最高に気持ちいい。しかも海上には他の水上スキーなど一隻もなく、自由に走り回れたのがよかった。戻ってきて、シャワーを浴びたかったが、シャワーを浴びるところがなく、仕方なくそのまま着替えた。ベタベタしていて気持ちが悪い。そして、ふと心配になって財布を確認すると、異様に少ない。実は、財布をそのまま店に預けてしまっていたのだ。水上バイクを出発する際に、着替えた時に財布をカバンの中に入れてそのままであることに気づいたが、まあ大丈夫かなと思ってそのままにしてしまったのだ。ついついバンコクの大都会ぶりを目の当たりにして、日本と同じようなリスク感覚になってしまっていたのだ。しかも旅の終盤ということで、完全に気が抜けていたと言わざる終えない。被害額を計算すると、5000円分くらい少ないので、1000バーツ札1枚と500バーツ札1枚を抜き取られた可能性が高い。50%の店への怒りと50%の自分への呆れに苛まれた。返せと文句を言いに戻ろうと思ったが、どうやってもお金が減っていることを証明することは不可能であった。「貴重品を人に預けてはいけない」なんて初心者でも知っている「旅の常識」であるのに、情けない限りである。その後は、ずっとそのことが気になって、ものすごく嫌な気分であった。さらに悪いことに、雨は降り続け全く止む気配はない。傘を持ってきていない為に町歩きしながら濡れ続けた。パタヤの盛んな夜を一度見てから帰りたかったが、もはや気力も失せてバンコクに帰ることに決めた。帰りのバスの中では、冷房が効きすぎで寒くて、濡れた体にはかなり辛かった。おまけに交通渋滞の為なかなか到着しなかったので、寒さで凍え死にそうだった。戻ってきてからは、ゴーゴーバーの集まるナナエンターテインメントプラザへ向かって、やけくそになって普段は飲まないビールを飲んだりして過ごしたのだった。

 

 

7日目。朝早く起床して、ダムヌン・サドウアク水上マーケットの日本語ツアー(800バーツ)に参加する。まだ、昨日の事件が忌々しく思い、気分が悪い。まずはバスで近くまで行って、その後エンジンボートで水路を20分ほど進んだところに水上マーケットが登場。それから手漕ぎボートで15分ほど水上マーケットを巡った。ツアーから帰ってきてからは、市内でショッピングした後、一度ホステルに戻って、昼寝をした。朝早くて眠かったし、もはや何にもすることがなかったからである。バンコク最後の夜は、やっぱりゴーゴーバーへ。7時から12時くらいまでソイカウボーイとナナエンタテインメントプラザにある店を1時間間隔でハシゴして回った。日本にもゴーゴーバーがあればいいのになと思うくらい、完全にGOーGOにはまった私であった。(ただのスケベおやじ???)

 

 

8日目。朝食を食べた後、ホステルの別の客とタクシーをシェアして空港へ向かう。

今回で当分、海外旅行は打ち止めになるかなと思う。あまりの職場環境ゆえ、会社を辞めることになりそうだからである。まだ、行きたい場所はたくさんあるが、大体アジアの国は網羅したと思っているので、満足はしている。しかも、海外旅行にはまった最初の地であるバンコクでいったん終わりというのもちょうどふさわしいような気がする。

 

(後日談)当時はそう思っていたが、仕事に慣れてきて怒られなくなってきため、一旦退社を延期。海外旅行を継続致すこととなった次第です。

セブ島ダイビング 2010/7

 

今回は3連休に1日有給休暇を付けて、4連休で行ってきた。今回はツアーを申し込み、「てるみクラブ」という安い新興旅行会社で申し込んだ。ツアー代金は63000円(ダイビング講習込み)で、一人部屋追加代金・燃油サーチャージを加えると、トータル82000円であった。

 

16日、マニラで乗り換え。マニラで1時間半くらいの待ち時間があり、退屈した。マニラで両替したが、ちょうど1ペソ=2円という計算しやすいレートであった。セブの空港に着くと、現地ガイドの送迎があり、ホテルへ直行。今回はアネモネリゾートというホテル(実際は民宿みたいなの)で、日本人オーナーが経営しているらしい。このホテルには3泊したが、いつも掃除がきれいで、その点で快適に過ごせた。その日は、その後外出して、「バタバタ」というトライシクル(バイクに客を乗せるためのBOXがついているもの)に乗って、近くのローカルレストランで夕食を食べた。

 

17日、朝からダイビングへ。ホテルに出迎えが来て、歩いて5分でダイビングショップへ到着。まずは、ちょっとした筆記テストを行う。テストといっても、自分で解いて答え合わせするだけで、点数なんてどうでもよかった。次にプールでダイビング機材の使い方を練習。講師は日本人インストラクターで、なかなかの好青年。その後、浅瀬の海で同じ練習。海はあまりきれいではないが、水中世界に少し感動。マスククリアするときに海水が器官に入りそうになってパニッくった。ダイビングってひとつ間違えたら危険だなと感じた。講習は昼過ぎに終了。その後、少しホテルで休んだ後、バタバタでマクタン島観光。観光といってもたいしたところはなく、かろうじてラプラプ像を見に行った。バタバタの運転手に、「帰りは別のバタバタを見つけるから帰れ」と言っても付いて来るので、ガイド代わりにしてやった。あっというまに見終わり、これからどうしようかなと思っていたところへ、1時間20分で500ペソで、マッサージはどうかとドライバーが行ってきた。まあ暇つぶしにいいやと思って行くと、マッサージ師が若い女性だったので、最初はヒヤッとした。しかし、終始健全なマッサージで、しっかりと全身マッサージしてもらい、気持ちよかった。1時間20分、いろいろ話しかけて暇つぶしした。「私は仕事が嫌いだが、あなたはどうか?」なんて質問すると、「セブでは仕事があるだけありがたい。それにオーナーの韓国人がいい人だから楽しい」なんて言っていたナ・・・。その後は、気分が良くなり、日本人や韓国人が多い高級レストランに行き、ドライバーにおごってやった。

 

 

18日。ダイビング2日目。「近場ならお金がかからないが、せっかくセブに来ているのだから、ボートで素敵なダイビングスポットに行きませんか?」とインストラクターからオプショナルの提案。その料金がなんと1人2500ペソと言うのだから、頭にきた。明らかに足元見た値段設定だなと。フィリピンの相場からすると法外な値段だ。私が得意の交渉術で2000ペソまでまけさせたが、それでも高いと思う。ただ、ツアー代金が激安であることを考えると、ダイビングショップへの支払いも少ないことが想像され、こういうオプショナル料金で利益を上げるしかないのかなと一定の理解を示してあげることにした。それでボートに乗っていったダイビングスポットでは、確かに魚や得体のしれない生物をたくさん見ることができて、感動の世界であった。この日は天候が曇っていたこともあり、水中の透明度はたいして良くなかったが、それでも十二分に楽しかった。海底に沈んだ墜落ヘリコプターも見ることができたしな・・・。その日も2本潜って昼過ぎに終了。午後からは、タクシーに乗って、セブ市内へ。このタクシーも結局半日貸しきることになった。サント・ニーニョ教会横で下車し、タクシーを待たせて一人で観光開始。まず、サント・ニーニョ教会では大勢のフィリピン人が集まってきており、熱心に祈っていた。さすが、キリスト教への信仰が厚い国である。その後、ぶらぶら下町を歩いて、カルボンマーケットへ。東南アジア独特のマーケットで、途中スラム街みたいな細かい路地にも入って、刺激的であった。2時間待たして再びタクシーに乗り込み、ビバリーヒルズと呼ばれるアップタウンへ。道教寺院に行ったが、日本人の私にとっては何も新鮮さを感じる場所ではなく、つまらなかった。セブ市内の観光箇所も少なく、それで終了。時間が早かったので、マクタン島随一のショッピングモールであるガイサノ・マクタンへ寄ってもらった。そこでお土産を買ったり、夕食やフルーツを買ったりした。ホテルに戻ったのは19時くらい。タクシードライバーは無口だが、真面目に言うことを聞いてくれたので、ちょっと大めの1000ペソを渡すと喜んでいた。ホテルでは、マンゴやオレンジをたらふく食ってから寝た。

 

19日、朝早くから帰国の路へ。マニラでの乗り換え時間が3時間半で、さすがに退屈だった。もう少し乗り換え時間があればマニラ市内の観光もできるのに。本当に中途半端な待ち時間である。やっぱり海外旅行は直行便がある場所がいいな。

総括として。フィリピンは治安の悪い国だと思っていたが、セブについてはそれは全く当てはまらないと思う。さらに英語は通じるし、人々は明るくてフレンドリーだし、フィリピンが好きになりました。老後はフィリピンで過ごそうと思っています。

香港マカオ 2010/5

 

ゴールデンウィークである。航空券は高いのは最初から分かっていたので、3ヶ月以上前に入手した。ANAのサイトで6万円弱+燃油・税金であり、GWの割には十分安いと判断した。

 

1日目。朝10時50分のフライト。前日は新人歓迎会で遅くなって疲れていたので、比較的遅い時間で助かった。香港の空港に着陸してから、いつものごとくまず両替だが、銀行は手数料をたくさん取られると聞いていたので、HSBCのATMで国際キャッシュカードを使って1万5000円だけ両替した。それからオクトパスカードというSUICAのようなICカードを入手してからバスで市内へ向かった。下りたのは、モンコックという繁華街。今回はそこにある安宿を予約していたのだ。部屋は一泊3000円くらいで恐ろしく狭いが、まあオーナー(使用人かもしれぬが)もいい感じの人だったし、そんなに騒音も気にならなかったし、部屋・設備も特に問題はなかったので、合格である!さて、まず準備をして外出。まず尖沙咀という繁華街へ行ってぶらつく。その際、重慶マンションという建物の中もぶらついたが、ここの1Fには何軒かの両替商が入っており、レートはどこも同じで良かった。それからスターフェリーというボートに乗って九龍半島側から香港島に渡った。夕方にビクトリアピークに登ろうとピークトラム乗り場に行くと、ものすごい列が出来ていて1時間以上も待たされて、待つのが大嫌いなせっかちな私はうんざりした。そして、これは後で判明したのだが、FAST LANEというのがあって、マダムタッソーの入場券とのセットで購入すると並ばなくて済んだのだ。すごく損した気分であった。地球の歩き方よ、なぜそんな重要な情報を乗せていないのだ(怒)!!!!待ちに待ってやっとピークトラムに乗り込み、ビクトリアピークに到着した。ピークタワーのスカイテラス(有料)へ上がり、香港の100万ドルの夜景登場。湿度が高く、霞んでいるのが残念だが、夜の風が心地よく、ロマンチックな雰囲気満載である。帰りのピークトラムもすごい列でうんざりして、歩いて下りてやろうかと思ったが、時間が遅いうえ道がよくわからないのであきらめた。今回はFAST LANEという割込みがないので、30分くらいで乗れた。ピークでちょこっと広東麺を食べたが、お腹がまだ空いていたので、24時間営業のマクドで食べてからホステルへ帰った。

 

 

2日目。前夜遅くなり早起きがしんどかったので、マカオではなく深セン(中国本土)へ向かう。メトロで40分くらいで、近い。終点の羅湖駅で下車後、出国審査・入国審査を抜けると、そこは中国本国である。まずは繁華街の老街へ向かう。上海や北京と同様、非常に発展している街である。カンフーという中国で有名なファーストフード店で昼食を取ったり、靴を買ったりしてショッピングを楽しんだりした。その後、中国民族文化村へ行った。そこは中国の名所旧跡をミニチュアで再現したテーマパークがあり、暑いながら歩いていても飽きなかった。それから各少数民族の村を再現したテーマパークもあり、そこでは各住居に立ち入ることができたりと面白い。明らかに漢民族とは異なる、かなり背の高い女性達をよく見かけたが、どこの民族たちであろうか?最後にナイトパレードを1時間ほど鑑賞した。なかなか演出が凝っているのに加え、出演者が総勢100名近くいるので迫力があった。食事は香港に戻ってきてから、米麺を食べたが、やはり普通の麺の方が圧倒的においしいと言えよう。

 

 

3日目。マカオである。香港島上環のフェリーターミナルからマカオ行きのジェットフォイルが出ている。出国審査を済ませて、フェリーへ乗り込み、早いもので1時間程度でマカオへ到着。まずはバスで市内中心地へ向かう。セナド広場で下車して、西洋風の建物の間を抜けてぶらぶら歩く。日本人を含め、かなりの観光客の数である。聖ドミニコ教会などで涼しんだりしながら、進んでいくと、眼の前にかの有名な聖ポール天主堂跡が登場。このときマカオに来たことを実感した。これは、教会が焼け落ちたときに建物正面の壁面だけが残ったものである。ちなみに2階にも登れる。その後、すぐ横のモンテの砦へ登る。ここからはマカオの市内が臨め、特にリズボアグランドホテルが目立っていた。それから、一般の古い住居マンション街を通り抜けて、ギアの要塞へ向かった。あいにくロープウェイが工事中で利用できなくて、歩いて登ったので疲れたが、頂上からの景色は海まで見渡せすばらしかった。これでマカオタワーに登ったつもりになった。その後、ずっと気になっていたあの建物、リズボアグランドホテルへ向かった。ホテル内部も豪華絢爛である。カジノも見に行った。たくさんの金持ち達がカジノを楽しんでいた。私は貧乏人なので、やはり遠慮いたしました。その後時間が余ったので、もう一度セナド広場付近をうろつき、エッグタルトを食したりして時間をつぶした。もう歩きすぎで足が痛くてたまらなかった。原因は、昨日に深センで購入した靴かもしれなかった。やはり長時間歩くときは、クッションがよく効いた良い靴を履かねばならないと痛感した。さて、最後にマカオの夜景を見たかったのだが、あまり帰りが遅くなるのもしんどかったので、あきらめて帰ることにした。バスでフェリー乗り場へ向かう途中、サウナ・夜総会(エロ系)などのネオンがあちこちできらめいていて、マカオは娯楽の町だということをあらためて感じた。香港についてからは、フェリー乗り場にあった味千ラーメンで食べた。海外へ来て日本食を食べるのは良くないというのは重々承知しているが、この習慣はいつもやめられない。私はどうしても日本食が一番好きなのだ。海外で日本食に出会うと、急に食欲が復活するのだから不思議なものだ。

 

 

4日目。この日は、香港の離島へ。どの離島へ行くか迷ったが、結局長洲島にした。中環フェリーターミナルからフェリーで1時間で到着。実に優雅な船の旅であった。島では、海岸線をハイキングしたりして、時間を過ごした。本島に帰ってきてからは、デパートでワンタン麺を食べてエネルギーを蓄えた後に、アベニュー・オブ・スターズへ行った。ここは海岸に沿って作られた散歩道で、各有名人の手形が道に埋め込まれている。ここで、シンフォニー・オブ・ライツ(8時スタート)を見ることにしたのだ。音楽に合わせてちょうど高層ビル群から光が放たれる様は圧巻。天気が曇りがちなのがやや残念だが、それでも十分楽しめる15分間であった。その後、油麻地や旺角の周辺を散歩した。猥雑な大きな看板のネオンが色とりどりで、これが昔ながらの香港らしい風景だなと風情を感じた。男人街や女人街などは観光客が多く、いろんなお土産物が売られていた。私もキーホルダーやマグネットを買った。注意すべき点は、絶対言い値で買わないこと。言い値はだいたい日本での相場くらい。ただ、実際香港の平均な物価は日本の7割くらいだが、土産ものに関して言えば、もっと安い。実際、香港の風景が描かれたマグネットは、最初40ドルと言ってきて、「じゃ、いらない」と言うと、「いくらなら買うのか」と言われた。「15ドル」と言うと「それは無茶だ。20でどうだ?」。「じゃ、いらない」と行って立ち去ろうとすると、「分かった、15でいい」。まあそんな感じだ。ちなみにその後、別の店で、今度は「10ドル」と言うと、手で帰れ帰れというポーズをされた。やはり15ドルが最安値かと思って帰ろうとすると、急に「待って!10ドルでいい」と言う。まだ下がるのか驚いた。悔しいので、結局もう一つ買った(ナンピン買いした)のだった。

 

 

5日目。最終日。午前中旺角周辺で屋台マーケットとか見たりして、ぶらついた。職場への手ごろなお土産を捜すが、見当たらず。結局、空港に行って、お土産探し。ここでも手ごろなお菓子を捜すのにさんざん迷い、なぜお土産という慣習があるのかと、馬鹿馬鹿しくなった。着実にアジアの国を制覇しており、もはやあまり行き先がなくなってきた。個人的には東南アジアはまだまだ行きたいのだが、仕事の関係上、4日間しか連続の休みが取れない。ついに私の海外旅行熱もさめるのだろうか?

韓国 済州島 2010/2

 

本来、チェジュには友達や家族と一緒に言って、レンタカーで回ったりしたかったのだが、なかなか都合があわず断念。社会人になってから、自分の都合を合わすのだけでも精一杯であるから、他人の都合に合わせる余裕は全くない。ということで、今回も一人旅。一緒によく旅行にいった親友Hが先月結婚してしまったから、私は今後さびしい限りである。さて、航空券はK-TRIPという大韓航空専門の予約サイトで33380円(28600円+税金・燃油など)でGETした。ホテルはやや高いが、1泊4000円のホワイトビーチホテル(旧済州)をネットで予約。その後ガイドブックを読んで予習して、見るところが少なく4日間も必要ないなと気づき、行く前からなんとなく心の中に暗雲が立ち込めた。しかも出発前に天気予報を見たら、雨、雨、曇り、雨の4日間。もう俺どんだけついていないのだと悲しくなった....。

 

1日目。朝の便で関空発。お昼前に現地空港到着。両替した後は、観光案内所で地図とバス案内をゲット。これらは滞在中、非常に役に立った。さっそく雨の中、市内バスで済州市内に向かう。乗り込んだもののどこで下りたらいいのか分からないので、乗客に聞いて無事下車。そこから風雨の中、重たいスーツケースを引きずって15分くらい歩いてやっとの思いでホテル到着。海に近い為か、風が非常に強く、傘がすくに裏返ってしまうくらいだ。ホテルでのんびりを支度を整えた後は、市内をぶらつくことにした。三姓穴・自然史博物館・牧官衛や東門市場をぶらぶら雨の中歩いた。市場では海鮮類がたくさん売られていて、漁港という雰囲気が感じられた。他には豚の面が店頭に並んでいたりして、ギョっとさせられた。雨に濡れて体が冷えたのでつらかった。その後、E-MARTという大型スーパーに入って、お土産物を購入して、その後夕食(ビビンバ)を食べた。7時半にはホテルへ帰着。あとは、ホテルでNHKとか、「アリラン」っていう韓国内の英語ニュース番組を見て時間を過ごした。「まあ、急ぐこともあるまい。」今回はそんな呑気な旅である。

 

 

2日目。雨。今日は島東部にある世界遺産をめぐることにしていた。まず市バスを利用して市外バスターミナルへ向かう。中国と違って韓国はバスが利用しにくい。なぜなら文字が読めないから、どこで下りたら良いのかわからないのだ。たまに書かれているバス停もあるが、ハングルしか書かれていないバス停も多い。タクシーを使った方が便利だろうが、まあ焦る旅でもないし気長に行こうと思ったのだった。市外バスターミナルで溶岩洞窟系へのバスチケットを購入。バスが出発してしばらくして、隣の人に「万丈窟(マンジャングル)にきたら教えてください」と言ったら、「このバスは万丈窟には行かないよ」と言われた。タクシーに乗り換えるしかないみたいなことを言っていた。もう最悪!と思っていたら、逆隣の人が片言の日本語を話しかけてきた。このバスは民族村に行くと教えてくれた。だから、「ルート変更して民族村から反時計回りで城山日出峰と万丈窟に行けばいいのでは」と教えてくれた。私もそれがいいやと思ったので、終点まで乗っていた。そのおばちゃんの日本語は下手糞であったが、もともと中国人で昔に済州島に移ってきたこと、日本語を昔に6年間くらい学んだことがあること等がわかった。そのおばちゃんも終点で降り、私についておいでと言って民家の裏庭みたいな所を通るので、どこ行くねんとちょっと不安になったが、着いたところは民族村。入場料がとられないように裏口から僕を民族村に入れてくれたのだ、とその時初めて分かった。本当にうれしかった。そこでおばちゃんとお別れして、民族村を探検した。ここは「チャングムの誓い」の撮影地で、ほぼ全話視聴した私としては、なんだか懐かしい気分であった。そして出口に向かっている途中でおばちゃんが飴でも買わないかと手招きしていた。通り過ぎようとしたが、よく見たらさっきの親切なおばちゃんではないか。民族村で働いていたのね!サボテンの飴を作っているとのことで、私に作りかけの飴を千切ってくれた。お礼を言ってお別れして民族村を出た。こういう出会いが旅の醍醐味なんだな。さて、次は世界遺産の城山日出峰へ向かうつもりであるが、どこからバスが出ているのかわからない。コンビニのおばちゃんに尋ねたら、わざわざ店を出て、バス停まで案内してくれた。強風のため冷え切った身体で、韓国人ってなんて親切なんだと心の温まる思いがした。日出峰は海抜180mもあるので、ちょっとした登山であった。天気は悪いが、かろうじて展望はあり、暖かかったらほのぼのとして気持ちの良い所であろうなと思った。さて次の目的地は万丈窟。バスに乗って「マンジャングル」で下車。だが、周りには何もないではないか!?ちょっと山のほうへ歩いてみると「マンジャングル2km」との看板発見。この道はバスが通っていないようなので、歩くしかない。30分ほど林道をひたすら雨の中歩いて、到着。朝からずっとここに来るのに苦労したな。万丈窟は片道1kmで、入り口は1箇所だけだから引き返さなければいけないので、合計2kmである。この洞窟の出来た過程は、昨日自然博物館で学んだ。火山から噴火した溶岩が流れていく途中に、空気と接する外側の部分が固まって、内部は溶岩が流れ出て、出来あがった洞窟である。(私の説明で分かるかな?)これまで、石灰洞(沖縄)や海食洞(江ノ島)は見たことがあるが、溶岩洞を見たのは初めてだったので、ええ感じやった。帰りはバスに乗りたかったので、くそ寒い中バスが来るのを待ったが、来そうな気配がなかったので(バス停の時刻表はハングルのみで読めないし)、仕方ないのでまた歩くことにした。市内に戻ってきてからは、地下街で家族連れの賑わうレストランに入り、オムレツ(?)を食べてホテルに戻った。

 

 

 

3日目。世界遺産のハルラ山に上るか、否か?昨日はずっとそればかり考えていた。天気は曇り後晴れ。オリモクコース・霊室コース(頂上には行けないが、コースタイムが短い)ならば大丈夫かなと思い、登ることに決めた。市外バスターミナルから乗ったバスは登山客で満員であった。天候は案の定小雪。(天気予報で曇りということは山の中では霧。ただ、気温が氷点下なので、小雪になるはず。)久しぶりの登山である私は、情けないことにたくさんの登山者に追い抜かれた。2時間ちょっとで山小屋到着。そこではカップ麺(1300ウォン。安い!)が売られていて、みんなおいしそうに食べていた。当然私も食べた。唐辛子が辛いが、冷え切った身体に暖かいスープは最高で、あまりにおいしかったので、もう一杯食べたのであった。海外の山小屋でカップ麺を食らう・・・いい経験してるなと思った。外に出ると辺りは晴れていて、頂上部分を見ることができた。きれいな景色だったが、またすぐに流れてきた雲によってその姿は隠れてしまった。下山してからは、中文リゾートへ行くか済州市に戻るか迷ったが、先に来たバスが済州市行きだったので、運命に任せてそのバスに乗った。本当に「のらり・くらり」の旅である。市内に戻ってからは夕日で有名な沙羅峰(サラボン)へ行こうと思った。どうせ曇っているから夕日は見れないけどね。バスの運転手にサラボンについたら教えてねと言ったら、通じていないらしく、困っていると日本語が話せるおじさん登場。助けてくれた。歴史学者だそうで、研究に日本語が必要だから勉強したそうだ。日本には6回も来た事があるそうだ。しかし、韓国は英語よりも日本語を話せる人の方が多いんじゃないかと思った。あとやっぱり、ここの人はみんな親切だな~。サラボンは高さ150mなので、ここもちょっとした登山だ。頂上付近は公園になっていて、トレーニングマシン(場違いだが)がいくつか置かれていて、トレーニングしている人が多く見受けられた。済州市内が見渡せるし、飛行機が離着陸するのも見れる。5分おきくらいに飛行機が到着するので、島の割にはフライト数多いなと驚いた。ここは本当に気持ちがいいところで、私のお気に入りの場所となった。こんな裏山が家の近所にあれば毎日でも登るだろうなと思った。夕食は昨日のレストランが旧正月のためしまっていたため、仕方なくE-MARTのフードコートで鍋を食べて帰った。

 

 

4日目。中文リゾートに行くつもりでいたが、目が覚めると7時半で、遠出するにはもはや遅すぎるので断念。目覚ましかけなかったのものらりくらりの旅のせいである。朝から、龍の頭に見えると有名な龍頭岩を訪れた後は、近くにあるサウナに入った。ソウルとほとんど同じで新鮮味はなかったが、汗蒸幕は初めての体験であった。その後は退屈ながらぶらぶら当てもなく市内をぶらついた。

 

 

現地で使ったお金は1万円未満で、トータル6万円くらいの安旅であった。今回はいまいちな旅であったが、人々の優しさによく触れた旅であった。韓国は本当にいい国だなと実感した。ただ、もうずいぶん韓国の文化に慣れてしまったので、当分韓国には行かないだろう。

北京 2009/12 〜 2010/1

 

航空券はJALのサイトで5万円+燃油・税金1万円で購入。やや高いとは思ったが、まあ年末年始だから已む無し。

1日目。朝10時半発のフライトだったが、北京空港の混雑の影響で1時間ほど出発が遅れる。現地に着いたのが、2時くらいだったので、今日はほとんどどこも行けないじゃないかとガックリ。空港で両替を済ませた後は、空港列車と地下鉄を利用してホテルまで向かう。ホテルは灯市口駅という繁華街の王府井からも歩ける立地にあり悪くない。楽天トラベルで予約したDRAGONホステルへ入ると、部屋がいっぱいだから、今夜一晩だけ近くのホテルで泊まってほしいと言われる。ふざけた話だが、中国だから仕方あるまいとあきらめる。スタッフとともに5分くらい歩いてそのホテルに向かう。そこで1泊分だけ支払い、荷物を置いてから観光開始する。まずは故宮の裏山である景山公園に向かう。すでに辺りは暗くなってきており、公園内はところどころにライトが照らされている。頂上まで5分くらい上ると頂上で、そこからは故宮や北京の町並みが一望できた。かなり寒いが、非常に心地よい気分だった。その後、西の方へ降りて北海公園へ入場する。景山公園にしても北海公園にしても夜7時まで空いているのがありがたい。真っ暗闇の中、頂上に向けて上った。暗闇でほとんど人もおらず、ややスリリングだが、それがまた楽しめた。丘を降りた後は、完全に凍った湖の周りの遊歩道を半周ほど歩いて、退場した。近くでバスに乗り込み、天安門へ向かう。北京のバスは上海と同じく、バス停に停車駅がすべて掲示されているから、非常に利用しやすい。天安門に着くと、ライトアップがきれいで感動した。毛沢東肖像画を見て、オレは北京に来たのだなと実感したのだった。そのまま歩いて繁華街の王府井へ向かう。東方新天地というショッピングモールに入ると、本当に洗練されていて、まだかなり新しい建物のようだ。その中にある点心店で、小籠包とヌードルを食べた。結構おいしかったので、がっつりと食べることができた。食後は、ホテルまで歩いて帰ったが、途中に王府井小吃街に立ち寄った。上海や台湾を彷彿とさせる屋台街で、あの吐き気を催すような油くさい臭いは健在であった。ホテルに戻ったのは9時くらいで、夕方からの観光だったが、充実した1日であったなと満足であった。ホテルの部屋は非常にきれいで暖房設備も優れていて、快適に過ごすことができた。

 

 

2日目。朝6時起床。ちょうど7時間半寝たので、体調はよさそうである。荷物をまとめ、チェックアウトして、本来のホテルへ向かう。そこで、チェックインしようとするが、スタッフは「今日はNO ROOM」と言う。「いやいや、昨日のここのスタッフは、今日こちらへ来てくれと言っていたよ。」と言うも、スタッフは何もしてくれない。相手はずっとニコニコした優しそうな女性であったが、英語の発音がかなり下手クソなので意思疎通が困難で、イライラした。結局、午後からシングルルームが空くだろうから、とりあえずドミトリーを押さえて置いておきましょう、ということになった。朝から30分以上ロスしたし、幸先の悪い一日となった。本当に、ちゃんと引継ぎしとけよ。。。。さて、今日は万里の長城に行くつもりだったのだ。どうやって行くかであるが、上海にもあったように、国営の北京旅遊集散中心という現地ツアーに参加することに決めていた。そのオフィスは前門駅付近にあると、ガイドブックには書いている。実際に行ってみると、オフィスは閉鎖されているではないか。どこか近くに移転したようで、探しまわるがなかなか見つからない。誰かに聞くしかないが、付近にはいっぱい似非業者がたむろしているので、相手には注意しなければいけない。英語が通じないので苦労したが、何人かに聞いてやっと正規のチケットブースを発見した。そこで、万里の長城八達嶺長城)と明十三稜(定陵)に行くツアーコースを申し込んだ。長城の入場券(35元)と昼食込みで160元だから、日本語ツアーに比べてかなり安いと言えるだろう。そのコースのバスがちょうど出発するところだったみたいで、タイミングが良かった。バスが動き出して、ツアーガイドが何やら中国語でひっきりなしに話し出す。全く分からないのでポカーンとしていたが、前の席の男性客が日本語で説明してくれた。その中国人は結構日本語を話せるので驚いたが、後で聞いた話によると京セラで働いているそうで、上司が日本人だから日常的に日本語を使っているそうだ。都度、集合時間を教えてくれたり、本当に親切な方であった。さて、まずはバスは明の墓に立ち寄り、現地で1時間半の自由行動の時間が取られる。地下宮殿を回って、博物館をみたりしたが、残念ながらイマイチ感は拭えなかった。その後、バスはお土産店兼レストランに立ち寄って、昼食休憩となった。最初にお土産店のデモンストレーションがあって、その後レストランでみんなでテーブルを囲んで食事となった。冷たくてまずい飯であったが、隣に座った例の中国人や逆隣のチェコ人親子と話しながらの食事であったので、心は温まったのであった。それから最後にメインの万里の長城へ。自由時間が2時間半である。ロープウェイで長城のところまで登った。天気はよく空気は乾燥しているので、長城からはよく見晴らしがきいた。長城はずーと遠くのほうまで尾根に沿って果てしなく続いていることに、歴史のロマンを感じた。長城は意外にも坂が急で、老人とかにはかなり危険だなと感じた。死ぬまでに行ってみたいところの1つをなし遂げたことに満足した。再びバスに乗って5時くらいに北京市街へ戻ってきて解散となった。その後、京劇でも見ようかと、長安大戯院に行ったが、結構値段が高い(6000円)ことが分かりあきらめた。その後、天安門横の中山公園へ行き、真っ暗の中、一人広大な面積を散歩した。この中山公園も昨日の景山公園や北海公園と同様に趣深く、中国人の美的感覚のクオリティの高さを感じた。寒いが、本当に気持ちが良い散歩であった。それから、昨日同様に王府井まで歩いて、王府井食堂街というところの中で吉野家を食べた。ついつい食べたくなるんだよな。。。それから、またお土産街をうろついたが、そこで京劇の衣装で歌っている人を見ることができた。正直、見た目や歌声が気持ち悪いが、エキゾチックな雰囲気が味わえ、ラッキーである。それからホテルに戻り、汚くて狭いが、シングルルームで熟睡することができた。

 

 

3日目。朝6時半起床。外に出ると、雪がうっすらと積もっている。北京は常時氷点下だから、一度降ったら雪は消えないはず。昨日までどこにも雪は全くなかったので、これが初冠雪だなと思った。本日は市内観光で、まずは故宮である。開門前は天安門広場へ行って時間をつぶしてから、8時過ぎに天安門へ入場。多くのスタッフが雪かきをしていた。楼上に上ると、天安門広場が一望できた。それからさらに奥へと進んで、チケットを買って故宮に入場。広い敷地の故宮だが、まずは直進していくことにする。午門→太和門→太和殿→中和殿・・・・と次から次へと、大きくて立派な門や宮殿が登場してくる。今日は気温が低いようで、かなり寒い。マイナス10度とかだろうか、写真を撮るときなどに手袋をはずすと、痛くなるくらいだ。多くの観光客がいたが、北京には帽子をしていない人も多く、寒くないんだろうか?と思わされた。直進を続けて出口である神武門のところへ来たところで、引き返して西六宮を見て回る。その中には、西太后宣統帝溥儀が住んでいたという建物があり、昔は暖房などなかったろうから、冬は寒くて凍えていただろうな等と考えたりしていた。それから、次に外東路をめぐる。たまに日本人のツアー客がやってきて、どさくさに紛れてガイドさんの説明を盗み聞きしたりしていた。さて、4時間くらいかけて故宮見学を終えて退場。その後は、私のお気に入りの景山公園に上ることにした。昼間の頂上からの景色も格別であった。下りてから、次に鄭和園へ行くつもりだったが、若干時間も早かったこともあり、パンダを北京動物園に一目見に行こうと思いついた。と思っていると目の前のバス停に動物園行きのバスがやってきて飛び乗った。タイミング抜群だな。。。終点の動物園で下りた後は、寒さでエネルギーが消費されているのか、お腹が非常にすいていたので食べる店を探す必要があった。KFCを発見して店内に入って注文したが、席が一向にあかない。かなり待ったが要領よく席がとれないので、惨めだが立って食べてバーガーは外で食べた。一瞬の昼食であったが、これで元気回復。動物園に向かう。動物園ではパンダ園へ直行。寝ているパンダもいたが、ほとんど起きていて本当に幸運。パンダを実際に見たのは生まれて初めてのような気がする。ゴロゴロ横になっているパンダや、笹をむしゃむしゃ食べ続けているパンダなど、思わず「かわいい~☆」と声をあげてしまうようなかわゆさである。写真だけでなく動画なども何度もとって大満足であった。パンダだけ見て、それで動物園は退場。次は地下鉄で鄭和園へ向かった。鄭和園では、まずは万寿山という丘に登った。中国の公園っていつも小高い丘があるんだな。頂上付近に達したところで問題発生。手袋が片方ない!!入り口までわざわざ戻って探してみたが、見当たらない。もう一度同じ道を上り返しても、やはりない。お気に入りの手袋だったので、非常に残念だったが、もうあきらめるしかなかった。手袋っていつもなくなる運命にあるようなグッズだな。。。その後は、丘を反対側に下りると、昆明湖のほとりの長廊に出た。ここでちょっと驚いたのが、湖の中に大勢の人が歩いてる。湖は完全に凍っているようなので、もちろん私も柵を乗り越え中に入った。対岸に島が見えたので、そこまでずっと氷の上を歩いた。1kmくらい歩いて南湖島に到達。南極の冒険家みたいな気分でうれしかった。その後、遊歩道を通って入り口まで戻ることにした。途中、完全に日が暮れてしまったが、園内に照明がほとんどなく真っ暗だった。しかも迷路みたいになっているので道に迷ってしまい、パニクった。人に聞いてなんとか脱出できたが、気味が悪かった。その後、地下鉄駅まで歩いて、市中心地へ戻った。王府井で、味千ラーメンを食べてホテルへ帰った。

 

 

4日目。朝6時に起きて、チェックアウトを済ませると、天壇に向かう。外は雪がかなり降っており、だいぶん積もってきていた。今日も相変わらず、思いっきり寒い。雪の中を祈念殿→皇弓宇→園丘と散歩した。冬の北京は半端ない寒さだったが、この時期に来たおかげで、こんな素敵な雪景色を見ることができた。やっぱり冬の旅行はロマンチック気分を味わえて私は好きだ。空港への交通が心配だったので、早めにホテルに戻って、荷物をピックアップして、空港に向かった。空港鉄道に乗っている途中、列車がストップした。隣の席の女の子に、何が起こっているの?って英語で聞いてみた。案の定、大雪で前に進めなくなったそうだ。しばらくすると、列車はバックし出して、タクシーで空港に行くしかないかと考えていると、再び停車した。もしや線路に雪が積もっていて、前にも後ろにも動けなくなったのではないか。この状況はかなりやばいなと心配になったが、私にはどうすることもできない。ということで、隣の女の子との会話をしながらひたすら待つしかなかった。彼女は20歳で、内モンゴル自治区出身で、今は北京の大学に通っているそうだ。今日は、実家の内モンゴル自治区に帰省する途中だったらしい。向こうの英語が下手で会話が困難であったが、漢字での筆談も交えて、何とか意思疎通できた。笑顔がかわいい素朴な子で、日本で出会えていたらな~、なんて思ったりしていた・・・。列車は再び空港に向けて出発し、下車時にメールアドレスを交換してお別れした。空港に着いたのはちょうどフライト2時間前。早めに出発して正解だったな。しかし、チェックインカウンターへ行くと、「北京の大雪の為に、使用機材となる飛行機がまだ大阪を出発しておりません。3時にご連絡しますので、しばらくお待ちください。日本航空」との張り紙があった。待っていて3時くらいになると、なんと「今日の大阪行きのフライトは明日に延期になったそうよ。」という声が聞こえてきた。スタッフに確認したら、「明日の10時20分にこちらへお越しください」との回答。当分大きいショックのため信じられなかった。最初は空港で1夜過ごすことを決めたが、6時くらいにあまりの退屈さに耐え切れず、市内に戻ることにした。空港鉄道に行くとかなりの混雑だったため、バスのチケットを買って並んだ。だが、凍えそうな中待ち続けるが、バスは30分以上経ってもいっこうに来ない。交通が完全に麻痺しているようだった。明日空港に無事戻れるか心配なので、結局あきらめて空港に残ることに決めた。中国料理を食べて満腹になったあとは、ベンチに横になり眠ろうとした。窓に近いせいか、寒くて眠れそうになかったので、4Fの中央付近の床に陣取って眠ることにした。ベンチがすでに満席で床しかなく、背中が硬くて寝心地は決してよくはなかったが、まあ山のテント泊みたいなもんだ。2時間おきに目が覚めたが、まあ朝の目覚めは悪くなかったので、結構よく眠れたようだった。10時ころにチェックインして、予感どおりビジネスクラスのシートをゲットした。イタリア→日本のフライトの場合もそうだったが、PEX運賃で購入して、空港で当日早めにチェックインしたら、ビジネスシートにしてくれる可能性が高いような気がする。まあ何はともあれ、その日はようやく無事日本へ帰ってくることができたのだった。